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高校同窓会

あれを学校と呼んでいいものか…そんな高校だった、私が通ったのは。
私服、土足のままでの校内生活。夏は暑く、冬は寒さのあまりコートを着たままで授業を受けることも多かった。ほとんど清掃することもない汚れた教室。

女子が男子の半数しかいないので、8クラス中3クラスが男子クラス。はっきりと目に見える形ではないが、旧制中学の名残が感じられ、校則は無きに等しい。

広域から集まって来るので、入学者は多種多様。
クラブ活動、イベントは盛んで本気モード全開。その一方で、飲酒、喫煙他ほぼ何でもあり。(もっとも、スポーツ系クラブで現役活動中はさすがに飲酒、喫煙はたまにではあったが)
屋上、部室は時にマージナルな様相を呈していた。

3年にもなると授業に出ない者多数。代返は常態化。校則の厳しい学校なら、少なくとも30人は停学処分になっていたであろう。(もちろん私もそこに入る)なのに、崩壊しているわけではない。

こんなこともあった。学校から少し離れたグラウンド(学校の施設ではない)に一升瓶持ち込み夜中に宴会していたら、近くの住民に通報されパトカー数台に囲まれた。一瞬「終わったな」と思ったが、身元を告げると、「○高か。しょうがないな。ほどほどにしておけよ。帰れ」と、解放された。

高校生らしからぬ行為の数々は地元ではよく知られていた。おそらく、決定的な悪事を働くような学生(高校)ではないということでのお目こぼし。信じてもらえないかもしれないが事実だ。

普通ならこれで懲りる。しかし、3年の体育祭後にはカウンター席だけの店で飲み続けた。店が閉まってからはやむなく川縁で過ごし、始発で帰宅。
こんなことがまかり通るのは、見方を変えれば「歪んだパラダイス」。とても高校とは言えない。

そんなことを気の合う者同士やっていた野郎中心に、卒業後集まることが多い。だが、今回は女性陣も加わり華やかな同窓会。25人前後集まっただろうか。
(断っておくと、集まった男性すべてがバカやっていたわけではありません)

教師、プロのギタリスト、医者、会社員、大学准教授、フリーランスほか職業も、現在何をしているかも様々。大なり小なり一度は挫折を味わい、必死に苦境から這い上がってきた者もいたはず。なのに、どこか穏やかで、徒に齢を重ねてきたわけではないと感じられる。
変な鎧をまとっていない。いまだに同じ匂いを感じられる人間がいる。利害関係もない。そんなところが心地よいのだろう。

在校時話したことはないのだが、名前は知っていて今回初めて話す相手がいた。
バークリー音楽大学を出てプロのギタリストとして活躍している吉岡靖高もその一人。やはり独特の雰囲気を醸し出している。彼が国賓待遇に近い形で中国に招かれ、演奏した時の逸話は興味深いものだった。まさに中国恐るべし。CMに音楽をつける苦労話は、端っことはいえ広告業界で仕事をしてきたので、リアルに感じられた。

最近、彼の演奏会の案内メールが回ってきたのだが、都合悪く聴きに行けなかった。いずれ機会を見つけて聴きに行きたいと思う。

同じく一度も話したことのなかったMさん。母親同士はPTAで知り合いだったと聞き驚いた。彼女はつとに有名だったが、それはあくまで伝え聞いていただけに過ぎず、実際に言葉を交わさなければ何も判りはしない。初めてであったが、いろいろ話すことができた。
このブログで何度か触れた小児科医の友人Eに「半端じゃないね」と後に彼女の感想をもらしたら、「Mは鉄人」と返ってきた。至極納得。

小中高と同じだったのに、話す機会のなかったSさん。若い頃一方的に抱いていたイメージとは違うよなと今さらながら思う。子どもに英語を教える傍ら、ボランティアの一環で、音楽・教育を通じ子どもたちを世界と繋げる活動をしている。(→ヤングアメリカンズ・ジャパンツアー

女子バスケのキャプテンだったAさんとも話すのは初めて。体育館での練習の際、隣同士のこともあったのに「覚えていない」と最初言われ、ショック。「自分のことしか見えていなかったから」って、慰めになりません(笑)。が、しばらくしてから思い出していただけたようでほっとする。

3年間のうち高2の時だけ男女クラスだった。そこで一緒だったOさんとは30年振り。「丸くなったよね」と声をかけられた。「あの頃に比べ体重10㎏以上増えてるし、腹も出たからなあ」と答えると、「とんがってたのが、丸くなってよかったってことだよ」と言われる。
確かに空っぽな自分に苛立っていたよなと、当時を思い起こす。

今でも忘れられない当時の出来事に触れる。Oさんに迷惑がかかるといけないので言っておきますが、告白とかいうような色っぽいものではありません。「似たような状況があったけれど、1年の時のYくんは違ったよ」と、きつ~い一発を喰らってしまった(笑)。 Yは今先生。昔から男気がある。器の違いはいかんともしがたい。
当日そのYともいろんな話ができて楽しかった。教育委員会の歪さ、荒れた学校の実態など聞きしにまさる。

妻の元職場の同僚のいとこにあたる野球部Hも、現在は教員。一時期身体を壊しそうなくらいたいへんだったと聞いていたので、思ったよりも元気そうでほっとする。1次会では向かい合わせの席。彼が人を悪く言うのを聞いたことがない。こんな先生に教わりたいと誰しもが思うであろう好人物。

2次会はカラオケボックスへ。しかし誰一人歌うことなく、ひたすら旧交をあたためる。
遅れてハンドボール部のキャプテンY登場。「おお○○、久しぶり。どうしてるかと思ってたよ。いや~嬉しいな」の言葉に胸が熱くなる。

同期卒業後30周年の同窓会に私は出なかったので、ご無沙汰してしまった。
大々的に「○高」と銘打たれた集いが苦手だ。おまえに愛校心はあるかと問われたら、無いと答えざるを得ない。母校が嫌いなわけではない。極端な言い方になるが、自ら関わった人間にしか興味がない。そして彼らは同じ○高生だった。それだけのこと。

教師を始め周囲が抱く○高というイメージから、こちらが意図せずともメリットを受けていたことは否定できず、屁理屈と言われたら反論できない。

話が逸れた。ハンド部のYには、他の者とは違ったシンパシーを感じている。彼もまた私と同様卒業後、母校でコーチをしていたからだ。外練の際にはよく顔を合わせた。彼が後輩を指導している姿は今も目に焼き付いている。

さらに遅れて生徒会長Sが合流。一気に盛り上がる。
生徒会に出た記憶ほとんどない。部室裏の壁を乗り越えふけていたからだ。
今さら遅いが、Sに詫びる。
猛獣とまではいかないが、珍獣の多い同期を束ねる苦労、並大抵のものじゃない。
頭が下がる。部費の交渉の際には「もっとくれ」と無理言った記憶が残っている。
卒業後も感じているのだが、彼のさり気ない気配り、私などには到底真似できない。

3次会の会場を出る頃(午前0時近く?)野球部のKが駆けつける。某テレビ局勤務。顔を見せてくれたことが嬉しかった。

彼も含め私の知っている店で4次会。この時点で残っていたのは、今回音頭をとってくれた小児科医E、幹事として動いてくれた建築家のA、教師H、医師H、Mさん、私の総勢7名。
医師Hの大学在学時、研修時の話の凄まじいこと面白いこと。医大というのは体育会系と変わらんなという印象を受ける。医者になるのもたいへんだ。

皆かなり飲んでいるので話がぐちゃぐちゃになってくる。

誰かが紅一点Mさんに「俺たち男子ってどうだった?」というような質問を投げかける。
恋愛面に限定してだったかどうかは忘れたが、「こども!」とばっさり斬られる(笑)。
そのうちEが「Mは男だから」「Mが……の時、面倒見たじゃん」と逆襲。
こんな調子で盛り上がり4次会も終了。

Kは帰宅。残り6人で、Mさんが20代から通っているというゴールデン街の行きつけの店へ5次会。
幹事を務めてくれたAはかなり疲れていたと思う。幹事はほんと気を遣う。彼がうとうとし始めたのを見て、無理に誘ってしまったかな…と申し訳なく思う。今回、私のことを語ってくれた彼の言葉が沁みた。自分にはもったいないと思えてならなかった。

彼のやわらかな物腰、暖かさは皆が感じるところではないだろうか。幹事お疲れさまでした。ほんとうにありがとう。

Eは別の店のママさんに捕まってしまい、3~40分遅れて合流。
前日夕方5時から12時間近く飲み続けているため、このあたりは記憶もまばら。
男どもを引き連れて来たといった感じで、Mさんは異彩を放っていた。

朝5時解散。小児科医Eは家が同じ方角なのでTAXI拾い相乗り。
「さすがに5時はきついな」と互いに苦笑。
彼が先に降りてから一人になると、キース・ジャレット「ケルン・コンサート」が頭の中で鳴りだした。互いに浪人が決まった春だったか、誰かの車で深夜、湘南の海へ繰り出した。その時車内で流れていたのがこの曲。今も時折聴いている。

我々だけでなく、ボロボロに近い状態になった奴がけっこう周囲にはいた。実際、在学中からいろいろあった。

「でも…傷を舐め合うようなことはなかった。だから今があるんだよな」と、誰にともなく呟いていた。

当日参加し、このブログを読まれた方。失礼な物言いがあったらご容赦ください。
あくまで私的な印象です。普段飲みつけない酒も入っており記憶も曖昧ゆえ。

今回参加できなかった同級生稲葉なおとが、吉岡(靖高)と対談しています。必見!

こちら→ http://p-b-a.jp/ccc/inaba090213/index.html

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友からのメール

以前このブログに書いた、小児科医の友(高校同級)から携帯にメールが届いた。
男同士のメールは短い。長いのなんてかえって気持ち悪いと、私などは思ってしまう。

1.五味康祐をもっとも象徴する本を一冊
2.長沢延子遺稿集、読んだらそのうち貸して
急いでない

五味さんの本2冊プレゼント。週末までに送るよ。
○○に読んでもらえるなら、これ以上嬉しいことはない。
長澤の本のこと了解。
また、飲もう。

五味さんはありがたく貰っちゃう
飲みたいね
また連絡する

こんな感じのやりとり(笑)

これだけで済んで、気持ちが通じる友というのは楽だ。
「そんなのわかりきったことだろ」「ごちゃごちゃ面倒だよ」なんて言葉は一切不要。
楽だけではないな。ありがたいと思う。

かげにまわったら、何を言ったりやったりしているんだか…と思える輩が多すぎる。
もっとも、私の場合あからさまな言動が災いしてよく衝突したものだ。
わざわざ腹をたてるのも馬鹿ばかしいと思えるくらいには、大人になった気はしている。

互いのブログを読んでいるので、友は五味康祐に興味を抱いたのではないだろうか。
古本市に参加する遙か前、「この本はこの人に」と思える近しい人に、いつか読んでもらえたらという思いで、お気に入りの本は最低3冊揃えるようになっていた。
だから、今回の旅立ちは嬉しい。

長澤延子はたぶん原口統三の名前を挙げたからだろう。
4年前、ちくま文庫で『定本 二十歳のエチュード』が復刊されたとはいえ、今の若い人たちがどれくらい読んでいるか見当もつかない。東大生でも、そう多くは読んでいないのかもしれない。

★アマゾンを調べて残念なことが…。『定本 二十歳のエチュード』早くも品切れ。ちなみに私は、初めて読んだ時の角川文庫を2冊、光芒社版1冊、ちくま文庫3冊、日本教養全集<16>、計7冊所有。

友とは今年の2月に二人で飲んだ。気がついたら終電を過ぎていた。
普段、アルコールを口にすることはほとんどないのだが、しみじみ、或いは楽しく飲める酒はいい。美味いと感じる。ビールかバーボン。バーボンが無い時はジン。これくらいしか飲めないが。

年内、彼と飲めるだろうか。他にも、飲みたい友人は何人かいるが、皆忙しそうだからな。

倉田百三、吉本隆明の本を教えてくれた、現・小児科医の友について書いた記事。
未読で、興味のある方はよかったら。

「友と出逢い 本と出会う -高校から浪人時代にかけての回想」
こちら→ http://ramble-in-books.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-b092.html

「信頼できる心の友 小児科医」
こちら→ http://ramble-in-books.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-7e6c.html

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信頼できる心の友 小児科医

以前「友と出逢い 本と出会う」という記事の中で触れた、現在小児科医として、クリニックを開いている友のことです。頭は文系なのに、特別な理由があって医者を目指したと書きましたが、彼は、小さい頃から足にハンディキャップを持っていたのです。しかし、運動神経は抜群で、休み時間に野球をした時には驚かされましたし、卒業後テニスをした時も、かなわなかった。高校、医大では卓球部所属。信じられないほどの本を昔から読んでいる彼のブログから、二つほど紹介してみたくなりました。

一つ目は医大で卓球をしていた頃を振り返っての話。

6年生までクラブを続けて、一番うれしかったのは、尊敬していた先輩に
『俺が一番嬉しかったのは ○○が試合で短パンはいた時だ』と言われた時でした。
100メートルは18秒でも、工夫次第で戦えるのはわかっても、4センチ短くて、細い足を見せることが始めて大学生で出来たのをその先輩は覚えていてくれました。
お尻の大きさ違うからジーンズはいたことはありません。
でも、その頃付き合っていた彼女は、お尻にポケットのない短パンの内側にお尻がちいさく見えないように、タオルを入れる内ボケットを着けてくれました。
喉元過ぎればなんとやら、今では夏いつも短パンです。(略) 自分のハンディキャップは目に見えるから、優しくして貰えて、楽なことだったんだって今は思えます。でも、やっぱり自分をつくってくれた不具合だと思っています。
どうしても出来なかったことはとても普通のことでした。

親御さんにはけっこう厳しい先生という評判です。一番近くで見守ってあげなくてはならないのが親だということを説いている姿が浮かんできます。怒られたと思って来なくなる若いお母さんがいるとしたら、寂しいことだなと思います。医師としての愛情ゆえに違いないはずだから。

二つ目は、仲間7、8人と「何時間人を待てるか」という話題になり、高校の時に7時間待った経験を持つ彼は、2番目の長さだったということ。
彼に聞いたら、いろんな歌を聴くので、完全に自分の作というより、無意識に誰かの歌の歌詞が混じっているかもしれないよとのことですが、こんなことを書いていました。

どうして君を好きになってしまったんだろう
と思いながら、本当にあきらめられるまで待ちました
途中からは、自分自身があきらめきれるのを待ってました

こういう心情って、男にはというより、自分にもあったなと、しんみりしてしまいました。
彼に魅力を感じたのも、自然なことだったんだなと思えるのです。
彼が自身のブログで、医大卒業時進路を決めてくれた本(絶版)を挙げていたので、日本の古本屋に注文し取り寄せました。
日下隼人『子どもの病む世界で』(ゆみる出版)。
今日プロローグの部分を読んで、これは簡単には読めるものではないと、一端閉じました。激しく心を揺さぶられそうな、重い本だと思えたからです。
彼も久しぶりに読んだみたいで、次のような感想を書いていました。

24年ぶりに読んだら、字が小さくてつらいけど『どうしてこんなに優しく出来るんだろう』と同じ思いをまた持ちました
自分なりにはあれだけ強い気持ちを持ったつもりで道を選んでも
やっぱり努力しても得られない優しさをもつ人がいるんだと思います

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友と出逢い 本と出会う ー高校から浪人時代にかけての回想ー

彼らと出逢わなければ、自分の読書の歴史や傾向も随分変わっていたかもしれないと、今でもよく思う。

それまで、全くと言っていいほど、本を読まなかった私が、中1の夏に一冊の本をたまたま手にとった。三浦綾子『塩狩峠』(新潮文庫)である。キリスト教に関心があったわけでも、誰かに薦められたわけでもなかった。自己犠牲の精神の尊さに打たれ、本に魅力を感じるようになった。それがきっかけとなり、読書に開眼。

最初は文庫で日本の作家の代表作を手当たり次第に読み漁った。小説以外は、安吾の『堕落論』、小林秀雄を少々。漱石『三四郎』、川端『山の音』、谷崎『春琴抄』、志賀直哉『暗夜行路』、深沢七郎『楢山節考』などが特に好きだった。太宰にはかぶれ、文庫で手に入るものはすべて読んだ。啄木の歌集、光太郎の『智恵子抄』も繰り返し読んだ記憶がある。

中3になって海外文学へ。ゲーテ『若きウェルテルの悩み』、プレヴォー『マノン・レスコー』、リルケ『マルテの手記』、E.ブロンテ『嵐が丘』は2度続けて読み、ポーの短篇、チェーホフの短篇、トルストイの『アンナ・カレーニナ』はお気に入りになった。そして、ドストエフスキー。完璧にのめりこんでしまった。未だに手元には、下手くそな字で書いた、登場人物の相関図が残っている。作中、愛称も使われるので、これには随分と助けられた。

ここまでは取り立てて話すほどもない、どこにでも転がっている話である。

小説一辺倒だった私に一つの転機が訪れたのは高2になってからである。クラスは一緒ではなかったが、一目置いていた男から「これ読んだことあるか。○○(私の名)なら気に入ると思うぜ」と渡されたのが、倉田百三『愛と認識との出発』だった。夢中になり、夜を徹して読んだ。『出家とその弟子』は読んでいたが、この本の存在は知らなかった。

それからしばらくして、渡されたのが吉本隆明『情況』

マルクーゼ、フーコー、アルチュセール、フーリエ、レヴィ=ストロース、ウィーナー、ゲーデル……。いったい誰? プラグマチズム、アナルコ・サンディカリズム、関係の絶対性、共同規範としての言語、構造主義、重層的決定、不完全性定理、サイバネティックス……。何のこと?一ヶ月かけても読み通すことはできず、ほとんど理解できなかったと言える。ただ、その容赦ない語り口、独特の言い回し、鋭い観察眼には強く惹かれた。自分の読書体験の中で出会ったこともない世界だった。

大学紛争における教授陣たちの姿勢に対する批判、太宰の逸話に触れながら何人かの文学者のいんちきさを説いているところには共感を覚えた。前田武彦、野末陳平、青島幸男、大橋巨泉などの芸能人を扱った章は、とりあげる対象が他の章とは異質だが、同じ著者の「ことば」で語っている、つまり、ぶれたりせず、同じレベルでさばいているように感じられ、面白く読めた。

同い年の人間が、こんなものを読んでいることに大きなショックを受け、自分の世界の狭さを恥じた。私の貧弱な読書の畑に、彼が大きな種をまいてくれたと、感謝している。

今では、吉本隆明自身の著書、雑誌『流動』『テーゼ』『ユリイカ』『現代思想』『現代詩手帖』などの吉本特集、多くの吉本隆明論を含めると200冊を超える吉本関連本が手元にある。

もう一人、同じ高校の友人。授業の厳しさ、難しさゆえ、畏怖されていた国語の教師が、ただ一人絶賛したという彼。お互い浪人が決まり、予備校が同じになった。彼は国立コースだったため、校舎も授業時間も別だったが、共に過ごす時間がどんどん多くなっていった。二人とも気に入った英語の人気講師がいた。コースが異なると教材が違うので、互いの教科書をコピーし、もぐりで授業を受けた。顰蹙を買いそうだが、当時は当たり前のように行われており、講師自身が承知していた。小さめの教室の後ろには立ち聴きの列、すごい時は、開いたままのドアの外から覗き込んで聴いている者もいたくらいで、誰が見ても一クラスの人数を遙かに超えている。のどかな時代であった。

彼も私も、自分のカリキュラムの半分はエスケープしていた。こんなつまらない授業を聴いているくらいなら、喫茶店で本を読んでいた方がいいと思うところが、似ていたのだろう。彼のバッグは、いつも異様に膨らんでいた。教科書に辞書を2冊加えてもそんなにはならないというほど。一緒に過ごすようになって間もなく、中を見せてもらった。白い大きな本が入っていた。メルロ=ポンティ『眼と精神』(みすず書房)。言葉を失った。

吉本隆明の本は少しずつ読む量が増えていたものの、哲学となるとサルトル『嘔吐』、ニーチェ『ツァラトゥストラ』、デカルト『方法序説』くらいしか読んでいない。当然、その分野では彼の話し相手はつとまらない。時折解説してくれたが、こちらには下地がないのだから、理解できるはずもない。それゆえ、話題は自ずと文学になったが、2時間、3時間話しても飽きなかった。秋の気配が感じられるようになった頃、彼はフーコーの『言葉と物』に挑んでいた。

なんとか浪人生活から抜け出した後、彼の影響もあって、哲学、思想書ばかり読みふけるようになっていた。それは同時に、古本屋通いの始まりでもあった。

最初の彼は、本来なら完璧に文系の頭なのだが、特別な動機があって、小児科医になった。今も1年に一回くらいは会っている。相変わらずの読書量だ。浪人の時の彼とはもう20年以上会っていない。どこで何をしているのか、私の知人で知る者がいない。

今、彼に、一番会いたい。

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