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音楽三昧 ヴィヴァルディ~アリアーガ~ベートーヴェン~モーツァルト~ブルックナー

先週全般の睡眠不足の影響か、昨夜は午前0時前にダウン。記憶も飛んでいる(笑)。
今朝は午前6時前に目が覚めた。明日までに準備せねばならない資料の作成でも始めようかと自室のミニコンポで、BGMとしてヴィヴァルディのCDをかけた。頭と心とからだ、すべてにすうっと染み込んでくる。もう、止まらない。それから5時間あまり、PCを消し、読書もせず、ひたすら音楽を聴きまくる。
そういえば、2週続きの古本市、そのレポート記事作成、仕事では新しい分野への取り組みなどバタバタしっぱなしで、ゆっくり音楽を聴く精神的余裕もなかった。きっとその反動だろう。

■ヴィヴァルディ 《ヴィオラ・ダモーレ協奏曲集》 イ・ムジチ合奏団
ヴィヴァルディの曲の中では1、2を争うくらい好きな曲、アルバム。深沈とした味わいがあり、何度聴いても飽きない。余りにも有名な「四季」など、この曲に比せば浅く、通俗とすら感じてしまう。《ラ・チェトラ》、《調和の霊感(幻想)》、《フルート協奏曲》および《バスーン協奏曲》の中の数曲ほか、もっと聴かれてもいいと思える作品は多い。

続いて、スペインのモーツァルトと呼ばれた、アリアーガの弦楽四重奏曲。一般にはあまり知られてはいないようだが、好み。17歳の頃の作品とは思えぬ。
■ アリアーガ 《弦楽四重奏曲集》 より第1番 ガルネリ弦楽四重奏団

この後は、普段よく聴く、ベートーヴェンのオンパレード。
■ ベートーヴェン 《ピアノ・ソナタ第30番》 ■ベートーヴェン 《ピアノ・ソナタ第32番》
30番をケンプ、32番をアラウの演奏で。ため息が出る。この二人の演奏は温かく、ベートヴェンへの愛がつまっていて、特に好きだ。更にベートーヴェンを2曲。
■ ベートーヴェン 《弦楽四重奏曲第14番》 バリリ弦楽四重奏団
バリリ、ヴェーグ(新・旧)、ブッシュ、カぺー、スメタナ(旧)、バルトーク、メロス、タカーチなどその時の気分でかけるCDは異なるが、今日はバリリ。すべての弦楽四重奏曲の中から1曲を選べと言われたら、躊躇いなくこの14番を選ぶ。これほど深遠で、魂を揺さぶられる四重奏曲は他にない。
■ ベートーヴェン《交響曲第6番「田園」》より第5楽章。
ジュリーニ指揮 ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団。このゆったりとしたテンポについていけないという人がいるかしれない。しかし、私には、あふれんばかりの<歌>が伝わってくる。一音一音慈しむように奏でられ、いつまでも終わらないでほしいとさえ思えてくる。

普段ならこのあたりで満腹なのだが、まだ足りない。続いて、
モーツァルト 《交響曲第39番》 《交響曲第41番「ジュピター」》 クリップス指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 (交響曲集 第21番~41番より)
39番ならベーム、ムラヴィンスキー、ブリュッヘン、41番ならベーム、ブリュッヘン、シューリヒト(ウィーン・フィル)がよく聴く演奏だが、このアルバム(21番~41番)は最近のお気に入り。
極めてオーソドックスなスタイルながら、滋味にあふれ、モーツァルトのシンフォニーの魅力を余すところなく引き出している。変ないじり方をしていないからといって、個性を欠くわけではない。その馥郁たる響きの美しさ。モーツァルトの交響曲を聴く回数が減ってきた私にとってこれは、近年の大きな収穫。自然とまた、他の演奏も(比較して)聴いてみたくなるからだ。

ブルックナー 《交響曲第8番》 ハイティンク指揮 シュターツカペレ・ドレスデン
一箱古本市の日当を店主とみきちより渡されたので、中古盤をディスクユニオンで購入。
ハイティンクは強烈な個性に欠け、面白くないという人が少なからずいる。確かにそういう面もある。が、素晴らしい演奏はやはり素晴らしい。1980年代録音のベートーヴェンの第9「合唱」(2種類)は堂々たる演奏、最近のシカゴ響を振ったマーラーの3番もいい。
そしてブルックナー。正直話題となったウィーン・フィルによる8番は琴線に触れるものが少なく、結局2回しか聴かなかった。
このドレスデンとのライブ。これがあのハイティンク?と思わせるような没入ぶり。特に第3、第4楽章。深い呼吸の中で思いの丈を込めている。ブルックナーの交響曲は時としてそのような演奏を拒否する厳しさを持っているのだが、違和感がない。オケも指揮者に応えるかのように熱い。それがライブ特有の乱れを所々生じさせてはいるものの、全く気にならない。
ドレスデンというと、「いぶし銀のような」音色のことがメインに語られてしまいがちだ。事実この演奏も、ドレスデンの響きを存分に味わえる。しかし、音がよければいいというものではない。そういう当たり前のことを再認識させてくれるアルバムだ。
金管の圧倒的な鳴りにブルックナーサウンドを満喫できるのは言うまでもない。特筆すべきは木管の繊細さ、弦の艶やかさ。強奏部分との対比もあって、弱音部ではその素晴らしさがいっそう際立っている。ブルックナー好きにも、そうでない方にも、お勧めの一枚。

渇いたスポンジが水を一気に吸収するかのように、音楽に浸った。
シュッツ、シャルパンティエ、ヴィクトリア、バッハなどの宗教音楽もじっくり聴いてみたくなった。

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〔 雑記 〕 「おくりびと」、「納棺夫日記」、親鸞「教行信証」、ブルックナー・・・

映画『おくりびと』の宣伝を見た時、およそ16年前に読み、その後文春文庫〔増補改訂版〕で再読した『納棺夫日記』をすぐさま思い浮かべた。思ったとおり、『納棺夫日記』を原作として作られた映画だった。驚いたのは、主演の本木雅弘がこの本を自費出版版で読んでおり、著者にアプローチしていたこと。このことは『おくりびと』がアカデミー賞外国語映画賞を受賞した際に初めて知った。

本木雅弘は私にはやや苦手な役者で、出演作品はほとんど見ていない。何年前かは忘れたが、深夜に放映されていた『ファンシイダンス』を面白く観た記憶しかない。この映画も、たまたま観ただけで、監督が周防正行であることも知らなかった。(『Shall we ダンス?』もまだ観ていない)
本木雅弘への関心が高まり、映画も観たくなったが、今はこの盛り上がりだから観るのは当分先になるだろう。

青木新門がどのような感想を述べているか知りたくて、2月24日付毎日新聞朝刊を駅売店で購入。「『おくりびと』が(死者を)どこに送るのか」が描かれていなかったので、「原作者」とされることを拒んだと記事には書かれている。映画はまだ観ていないが、著者からすれば、きっとそうなのだろう。しかし、映画は「視覚的に見えない世界を現代風に視覚化してくれた。いい仏像ができた、という印象だった」と語り、本木雅弘からノミネートの知らせを受けた時には「おめでとう」と伝えたとのこと。

今日、青木新門『納棺夫日記』を文春文庫〔増補改訂版〕で4回目読了。文庫には載っていない「柿の炎」「少年と林檎」は、1993年発行の自費出版版で読む。
近々ブログで取りあげようと思い、久しぶりに親鸞『教行信証』(中央公論社『親鸞』所収)から、関連部分を読む。

貯まっていたタワーレコードのポイントを使って、『ブルックナー 交響曲第9番』オイゲン・ヨッフム指揮ミュンヘン・フィルハーモニ管弦楽団のCD(2007年8月発売)を購入。
あまりの素晴らしさに、3回続けて聴き入ってしまった。ブルックナーの、神への篤い信仰が余すところなく表現されている。テンポを動かし、金管を強奏させることが時に煩わしく感じられ、シュターツカペレ・ドレスデンの演奏は、LP時代に聴いたものの、愛聴盤とはならなかった。同じ「9番」ならベルリン・フィル盤の方が美しく感じられ。

ブルックナー指揮者としては好きなので、1982年バンベルク交響楽団を率いて来日した際には、NHKホールで生演奏も聴いた。アンサンブルに乱れがあったり、音色が渋すぎて陶酔できるほどの演奏ではなかったものの、ブルックナーの本質は十分伝わってくる名演だった。
ヨッフムのブルックナー「2番」(シュターツカペレ・ドレスデン)、「5番」(アムステルダム・コウセルトヘボウ)、「6番」(バイエルン放送so)「7番」(アムステルダム・コウセルトヘボウ 1986年来日ライブ)などは愛聴している。

そのヨッフムが、こんなにも深い演奏を残してくれた。「9番」の演奏で感激したのは、2006年9月に発売された、ジュリーニ指揮シュトットガルト放送so演奏のCDを除けば、ギュンター・ヴァント最後の日本公演を生で聴いて以来だ。

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