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ETV特集 「作家・辺見庸 しのびよる破局のなかで」 (2月1日 NHK教育TV放映)

芥川賞作家辺見庸は4年前、脳出血で倒れ右半身麻痺、その後癌も発覚し、大きなハンデを抱えながら、今なお現代社会の問題を鋭く抉り続けている。倒れた後に出版された『自分自身への審問』 (毎日新聞社)、 『いまここにあることの恥』 (毎日新聞社)には、鬼気迫るものを感じた。

辺見は現在の危機的状況を「パンデミック(感染爆発)」と名付ける。字義通りならば新型ウイルス感染の恐怖であるが、それだけではなく、経済恐慌、格差、社会と切断されてしまっている個、人間の心の問題まで、重層的に捉え、広義に用いているのだ。社会の個別的な事象、例えば、秋葉原事件、派遣切りなども「パンデミック」のひとつとして言及。さらに、カミュの『ペスト』をとりあげ、そこに現代社会が抱えている問題を重ね合わせる。

秋葉原事件に触れ、世の中から切断されてしまった「個」というものに、人の根源自体の腐敗を見て取っている。犯人が携帯を使って書き込んだ一連の言葉に薄ら寒くなるような痛ましさを感じ、リアルに生きられない姿を見、吐き出されたものが単なる記号としかとれず、これが「言葉」かと、愕然とする。これは、時代が経済という枠にとどまらない「恐慌」を迎えようとしている兆しではないかと。

1929年のニューヨーク株大暴落に端を発する世界恐慌の時期に、著書『ドグラ・マグラ』で有名な夢野久作が「猟奇歌」なるものを雑誌に掲載していたこと、さらにその歌に私自身驚愕した。
「自分より優れた者が皆死ねばいゝにと思ひ鏡を見てゐる」
「殺すくらい何でもないと思ひつゝ人混みの中を闊歩して行く」
「白塗りのトラックが街をヒタ走る何処までも何処までも真赤になるまで」
これらの歌から、単なる符合には思えぬ恐怖を感じないだろうか。
辺見の言葉を記す。

昔日との相違はまさに
悪の核(コア)をそれと指ししめすことの
できないことなのかもしれない
どうやら資本が深くかかわるらしい
〝原発悪〟が
ほうぼうに遠隔転移してすべての人のこころに
まんべんなく散りひろがった状態が
いまという時代の
手におえない病症ではないのか

カミュの『ペスト』(新潮文庫)では、行政側および新聞社がオランの市(まち)で起き始めていることを具体的、詳細には報道はせず、そのことがペストの拡大の危機を湖塗してしまう様子が描かれている。人々も現実に起きていることの真の重大さに気づかず、市が閉鎖された後も、街頭を練り歩き、懊悩はあるものの個人的な感情を第一として生活を送っている。いずれ鎮まる、たいしたことはないだろうという、願望に近いものが目を曇らせてしまう。久々に読み、神の問題も含め、30年以上前に読んだ時には見えなかったものが見えてきた。

辺見庸はこの『ペスト』に書かれている、医師リウーの「絶望に慣れることは絶望そのものよりさらに悪いのである」という言葉を基に、考えを巡らせていく。
ペストにさえ日常として慣れてしまいかねない、人間の危うい本質は現代においても変わらない。資本の潤滑油になっているマス・メディアが流す、コーティングされた情報にさらされている私たちは、まさにパンデミックとも言える危機的状況において、実相が見えなくなっている。道義、人倫、権利、言葉、信頼、約束など、人間の諸価値そのものが根底から覆されようとしている。単に経済の回復を目指すだけでは、対症療法に過ぎない。寄る辺なさ、存在の悲しみに震え、この世界から切断され、矮小化されてしまっている人間の内面こそ打破すべきと訴えるのだ。
辺見の言うように、職を失い、住む場所もなく、公園や路上で寝る人々の姿をふつうの、仕方のない光景と思えるようになってしまったら、異状だと思う。

辺見は、絶望に慣らされないための糸口を「誠実さ(sincierity)」に求める。言葉そのものは抽象的だが、伝えようとしていることは十分届いて来た。
著書『自分自身への審問』(毎日新聞社)にも書いているが、山谷で無宿者のために10年以上、休みのたびに炊き出しに来る人の話を例に出す。(本の中ではごく普通のサラリーマンで家庭人と書かれている。また、誠実さを〝心ばえ〟と表現している)
とってつけたような優しい言葉はかけない。しかし、誰かに注目されるわけでもないのに、社会の片隅で長年持続させる「誠実さ」の凄み。これには、作家である自身が百万言の言葉を費やしてもかなわないと正直に吐露する。『ペスト』の中の医師リウーの言葉、「ペストと戦う唯一の方法は誠実さです」に触れながら。

自覚的な「個」としてどう在るべきか。マスコミから伝達される、ある意味でバイアスのかかった(偏りのある)情報の奧に、何を見なければならないか。多くの問題を考えさせられる良質な番組であった。
辺見庸が共闘を求めているようには、私には思えなかった。それだけにいっそう、彼の口から紡ぎ出される言葉に重みを感じた。揺るぎない視座を持っている人である。

番組内では、リハビリを兼ね、右足を引きずりながら階段を上り下りする姿が何度か映し出される。進歩はしないが、やめると歩けなくなる可能性が生じる、「徒労」のような運動。
最後の言葉が耳から離れない。
「徒労という窓口から世界を考えたり、自分の行為とか生っていうものを考えることは、あながち悪いことじゃねえなとは思う。なにか、成果を期待するのがないっていうことはいいね」
命を賭して戦おうとする作家の思いが、胸を打つ。

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