カテゴリー「鶴見俊輔」の投稿

『鶴見俊輔 いつも新しい思想家』 (河出書房新社)

特集本は隅々まで読む必要はないし、記事内容によっては、必ずしもタイムリーに読まなければならないこともないと思っている。実際私も、この『鶴見俊輔 いつも新しい思想家』 (河出書房新社)は全体の6割強しか読んでいない。高名な精神科医で、魅力ある著書を数多く出している中井久夫との対談、吉本隆明の記事、鶴見と編集グループSUREなどで活動を共にしている、黒川創による鶴見俊輔入門記事、そして自選アンソロジーの中の「退行計画」に惹かれ購入。

中井との対談はやや物足りない。鶴見が主役とはいえ、中井がほとんど聞き手、しかも話を自ら展開するきっかけもないまま、「そうですね」が多く、受けにまわってしまっている。友人の自殺をきっかけに、医局制の問題を衝く医学部批判を書いた28歳の頃に、自分の文体を獲得できたと語っているところがまあまあ長めの発言。(実際はもう少し話していたかもしれないが、流れの中でまとめられてしまった可能性がないとは言えない。しかし)もっと、中井自身の言葉を聞きたかった。
驚いたのは、先日ETV特集「吉本隆明語る」の中で、吉本が桑原武夫の第二芸術論を批判的に取りあげていたが、鶴見も同じことに言及していることだ。

桑原武夫が戦後間もない頃、俳句を否定するような「第二芸術」論を書きました。あれは政治文書としては今も当たっているとは思う。しかし文学論として扱えば、あれはだめ。曖昧さを見ることができていない。「第二芸術」論では和歌・俳句について間違っている。

自分を京大に招き、更に人文科学研究所の助教授にさせた桑原をそのように語るところが、いかにも鶴見俊輔らしい。
ヘレン・ケラーと実際に会って、「私はそのとなりのラドクリフという大学でとてもたくさんのことを学んだ。だが、そのたくさんのことをunlearnしなくてはならなかった」という言葉を聞く。その「unlearn」を「学びほぐす」と訳し、その姿勢を良寛の漢詩や和歌に見る。

中島岳志との対談では、葦津珍彦の影響を受けていることを認め、幕府が倒れたのも「腐っているものが倒れるのは当然」と言う。今の日本政府も腐っているが、潰すだけの力が日本社会の中にないとも語っている。
また、日露戦争時の児玉源太郎や小村寿太郎を、スピノザの『エチカ』からの言葉を用いて、「つくる自然」の人、すなわち、「我々が日本国家をつくるんだという意識をもっていた人たち」と捉え、続いて世界史及びアジア史における明治維新の重要性を説いているところは、とても興味深かった。

吉本隆明は、鶴見の「明治の歌謡-わたしのアンソロジー」(1959年)という文章を読んだ時に、「ナショナリズムの側面をはっきりさせないで、民主、平和といいことばかり言っても意味がないと思いました。それを読んで、この人は本格的な人だなと感じた」と語っている。そして、「戦後リベラルの中でも、あの人は最良ですね。僕なんかが大きな影響を受けた丸山真男でも鶴見さんのような幅のある見識はなかった。ですから、学問があったり知識があったりということと違う何か持っている人ですね」と高く評価している。転向論やべ平連問題では対立点はあっても、認めるべき所は認める。これは両者に共通している。
そして、次のようにも語っている。「戦争自体が悪だと考えるべきですね。その両義性を鶴見さんはよく理解しているのではないでしょうか」。

フランス文学者海老坂武は、鶴見と吉本による対談「どこに思想の根拠をおくか」に触れ、「戦後二十年の日本の思想史が凝縮されている、とすら言える」と述べている。
私は、『どこに思想の根拠をおくか 吉本隆明対談集』(筑摩書房・1989年第5刷)で読んでいたが、今回改めて読み直し、相手から投げかけられる疑問、批判的意見から逃げることなく、両者が見事に対峙しているとの感を強めた。

黒川創による、鶴見俊輔の解説はわかりやすくまとめられている。「展望」1968年3月号初出となっている「退行計画」は、鶴見俊輔という人間を知る上で、恰好の材料であろう。
主要著作解題の章も、いくつか読んでみたら、紙幅が限られている割には、充実している。また、巻末の著作案内もコンパクトでありながら、指針として役立つ。

特集本は概して、ある程度その人物の著書を読んでいないと、焦点が散漫になり、人物像をつかみにくくなる嫌いがある。
とはいえ、本書は自選によるアンソロジーが全体の約35%を占めていることも含め、鶴見俊輔に興味があるならば、入門書としてもお薦めできる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

鶴見俊輔 片翼をになう人

時代のメルクマールとなる人物の多くが物故してしまった現在、日本思想、言論界の両翼を担っているのが、吉本隆明と鶴見俊輔であると、私は思っている。最前線で活動しているか、その発言が若者を含め多くの者に影響を与えているか否かを、さしあたって基準とはしていない。二人が抱く「倫理」という点で、その言説の根っこの部分が信ずるに足るものか否かという点で、この二人以外の名前は、残念ながら浮かばないのだ。

鶴見俊輔の『悼辞』が、編集グループSUREより発行されることは知っていたが、「みちくさ市」(古本市)への参加に伴い慌ただしくなり、忘れていた。12月7日付朝日新聞の書評欄で重松清が取り上げているのを読み、今日仕事の合間に連絡入れるもなかなか繋がらない。朝日の影響大と思い知る。結局10分かけ続けた。年内入手は無理であろうと思っていたが、既に増刷を終えており、入手できそうだ。明日手続せねば。重松の評は鋭い切り口もなく、物足りなかった。しかし、もとより買うつもりでいたので、影響はない。

鶴見俊輔という人物を知るのに、格好の材料が手元に残っていたので、少し長くなるが、紹介したい。

2003年3月24日付朝日新聞 「殺されたくない」を根拠に イラク反戦に見る新しい形より

9.11テロ以後に始まったこのピース・ウォークの第一回で私が出発地点にきたとき、集まったのは百五十人。そのうち百人が女性で、五十人が男性だった。男性には、共通の性格があり、女にひっぱられる男だった。もう少し踏み込んで言うと、女にひっぱられて生きる役割をよろこんで受け入れる男たちのようだった。(略)

私は、土讃善麿の戦後始まりの歌を思い出す。一九四五年八月十五日の家の中の出来事を歌った一首だ。

あなたは勝つものとおもつてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ

明治末から大正にかけて、啄木の友人として、戦争に反対し、朝鮮併合に反対した歌人土讃善麿は、やがて新聞人として、昭和に入ってから戦争に肩入れした演説を表舞台で国民に向かってくりかえした。そのあいだ家にあって、台所で料理をととのえていた妻は、乏しい材料から別の現状認識を保ちつづけた。思想のこのちがいを、正直に見据えて、敗戦後の歌人として一歩をふみだした土讃善麿は立派である。

敗戦当夜、食事をする気力もなくなった男は多くいた。しかし、夕食をととのえない女性がいただろうか。他の日とおなじく、女性は、食事をととのえた。この無言の姿勢の中に、平和運動の根がある。(略)

戦争反対の根拠を、自分が殺されたくないということに求めるほうがいい。理論は、戦争反対の姿勢を長期間にわたって支えるものではない。それは、自分の生活の中に根をもっていないからだ。

「理論は、戦争反対の姿勢を長期間にわたって支えるものではない。それは、自分の生活の中に根をもっていないからだ。」

戦争というものを考える際、咀嚼せねばならぬ、重い言葉だ。

まず、何から読めばいいかであるが、正直難しい。さしずめ、『期待と回想』(朝日文庫)が入手しやすく、値段も手頃であろうか。話題になった『戦争が遺したもの』(新曜社)、大衆芸術の本質をみごとに突いた『限界芸術論』(ちくま学芸文庫)などもあるが。

共著も含めると、驚くほどの著作数なので、図書館に足を運び、自分の興味あるテーマについて書かれている本から手にとってみるのも、いいかもしれない。

鶴見俊輔86歳。吉本隆明84歳。まだまだ健在でいてもらいたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)