カテゴリー「映画」の投稿

映画『劔岳 点の記』 -誰かが行かねば、道はできない。

映画『八甲田山』『駅 STATION』『鉄道員(ぽっぽや)』などのキャメラマン・木村大作初の監督作品『劔岳 点の記』。もちろん撮影も本人が手がけている。原作は新田次郎による同名小説。(→こちら)
今からおよそ100年前の明治40年、日本地図完成のため立山連峰山中27ヶ所に三角点を設置、わけても登頂路さえ見出せず、難攻不落と言われた劔岳登頂を果たした男達の物語である。

CGなし、ヘリを使っての撮影なし。当時の陸軍参謀本部陸地部測量隊が歩んだ道を忠実に辿りながら、険しい山々を登った末に完成。監督をして「これは撮影ではない。"行"である」と言わしめたのも納得がいく。スクリーンに拡がる映像の圧倒的な力は筆舌に尽くしがたい。神々しい山々の美しさには息を呑む。

『八甲田山』をご覧になった方なら想像がつくと思うが、雪山の恐ろしさ、厳しさを撮らせたら、この人の右に出る者はいない。一歩先には地獄が大きな口を開けて待ちかまえている恐怖が観る者の身体を凍らせる。

浅野忠信は寡黙な中に揺るがぬ意思を秘めた測量手・柴崎芳太郎の役を、香川照之は自然に対する畏敬の念を忘れることなく、劔岳登頂のため身を粉にして測量隊を引っ張っていく案内人・宇治長次郎の役を見事に演じていた。両者とも抑えた演技が光っていた。
残念なのは、宮﨑あおい演じる浅野忠信の妻役が明治の女性というより現代的なイメージだったこと。香川照之の息子役や中村トオル演じる日本山岳会の小島烏水役の科白が深みに欠け、細やかな心情の変化を描く点で物足りなさを感じたところか。松田龍平は亡き父・松田優作に比べ俳優としてはまだ足下にも及ばないという印象を受けた。脇を固めるモロ師岡、役所広司はらしさを発揮、安心して観ていられる。わずかしか登場しないものの夏八木勲、國村隼は存在感を示している。総じて見事な映画だった。この映画の主人公はある意味、立山連峰、悠久の自然そのものだからだ。

春の陽射しに包まれ穏やかな表情を見せていた山の天候が瞬く間に急変し吹雪、豪雨となって人間を襲う。人の力ではいかんともし難い自然に対し、謙虚で在らねばならぬ大切さも教えてくれる。そして、畏れ敬う姿勢を失わなければ奇跡的な光景を見せてくれるのが、自然の奧深さでもある。
自然と対峙する中で、浅野忠信、香川照之らが役者という枠を超え、一個の人間としての表情を見せる瞬間があり、それが素晴らしい。
俳優、スタッフを含め、幾度も険しい山に登り、厳しい山の自然に耐えた者たちの執念によって作り上げられた映画だ。
「誰かが行かねば、道はできない。」圧倒的な自然を前にして人間という存在のなんとちっぽけなことか。しかし、そのちっぽけな人間の中に秘められた強い意思の尊さに、心打れずにはいられない。

天狗平から臨む、夕陽に映える雲海はこの世のものとは思えぬ美しさ。極端すぎるとの誹りを免れないかもしれないが、この光景を目にできるだけでも一見の価値がある。

音楽は、アルビノーニ『アダージョ』、ヴィヴァルディ『四季』、マルチェッロ『オーボエ協奏曲』、バッハのG線上のアリアなど、全編にわたって有名なバロック音楽が使われていたが、不思議とマッチしていた。

立山は平安時代から、地獄信仰、観音信仰と結びつき、山岳信仰の霊場として知られた霊山。鎌倉時代には地獄と浄土が併存する他界信仰が形成され、江戸時代になると、地獄思想が立山曼陀羅に描かれた地獄の絵解きによって庶民の中に浸透していったと言われている。映画の中でも「立山曼陀羅」が登場し、劔岳は針の山、すなわち地獄としてとらえられており、信仰に篤い地元の人々が劔岳への登頂を好ましく思わない様子も描かれている。

●立山信仰と立山曼陀羅の解説
http://www2.ocn.ne.jp/~tomoya1/
●立山信仰の世界
http://www.pref.toyama.jp/branches/3043/tate/w-b.htm

今回、夫婦のいずれかが50歳以上なら二人で2,000円という割引を利用して観た。サービスはありがたいが、そんな年齢になったのかと体力の衰えとともに認識させられるのは複雑だ。
予告編で、『30デイズ・ナイト』が流れる。ゾンビのようなヴァンパイヤーが、30日間夜の明けないアラスカの街を襲うという設定。「これ観たい!」と言うと、「なんでこんなものをわざわざお金を払って観なくてはならないの。100万円もらっても観ない!」と妻。ばっさり斬られてしまう(笑)。
『劔岳 点の記』は上映時間の関係もあって、新宿歌舞伎町の映画館で観たのだが、掃除は行き届いていない、係員の対応はいいかげん。さらに、挙動不審の客が紛れていた。かつては名画の上映で知られた映画館の凋落ぶりに、「なんか場末って感じ。二度とここでは観ない」とご不満の妻であった。これで映画そのものが×だったらたいへんなことになっていたなと、冷や汗。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

CMの音楽とメッセージ 映画『八甲田山』の音楽を流すCMに違和感(2)

過日、映画『八甲田山』の音楽を流すCMに違和感という記事を書いてから、芥川也寸志『八甲田山』を少なくとも30回は聴いている。

1曲目はこの音楽のテーマがやや控えめに、かつ短めに奏でられる。2曲目の雪中行軍の音楽には、生と死の対比が鮮やかに盛り込まれている。3曲目の美しい調べには、胸をしめつけられる。厳寒の中にあってやわらかな春を思い、「死」を意識せずともすむ、穏やかな世界への希いに充ちている。そして終曲。チェロとハープの寂しげな音色が、聴く者を雪の八甲田へと引き戻す。映画を観た人ならば、さまざまな場面が浮かんでくることであろう。曲は八甲田のテーマを伴いながら徐々に盛り上がり、ティンパニー、シンバルの強奏とともに終わる。

勇壮というイメージは、私には微塵も感じられない。踏破は不可能と思われていた雪中行軍ゆえ、生きて帰れぬやもしれぬという覚悟を抱いていた者も多くいたはず。しかし、誰一人「死して礎となる」つもりなどあったとは思えない。「この悲劇を忘れてはならない」。そんな芥川のメッセージと鎮魂の想いが、この曲に込められているように思えてならない。

その後2度ほど、CMを見た。ますます腹立たしくなった。1000歩譲ってこのCMに功があるとするならば(功とも言いたくはないが)、映画『八甲田山』、新田次郎『八甲田山死の彷徨』、芥川也寸志『八甲田山』などに触れる人が、新たに出てくることぐらいだろうか。

こんなもやもやとした気分を引きずる中、いいCMに出会った。サントリーオールドのCM。画面に目を向けていなかったのだが、耳慣れた「夜がくる」(小林亜星作曲)が聞こえてきた途端、懐かしさに誘われ、思わず見入ってしまった。父親役の俳優、國村隼はドラマで見かけたことはあるが、名前は知らなかった。目で演技できるいい俳優だなと思った。若い男性のせりふは入れず、字幕の方がもっといいのにと、個人的には思えたが、ひどいCMの影にとりつかれていただけに、いいもの見たなとほっとした。

30秒、60秒の短い時間であっても、CMとて、ひとつの作品だ。「残念だな・・・。嫌な奴なら一発殴れたのにな」。娘のいない私にも、ぐっとくる言葉だった。

パロディが悪いとは思っていない。楽しいCM(広告)、お腹をよじれさせてくれる面白いものも歓迎だ。不快感がなく、メッセージを伴っていれば。そのメッセージが必ずしも、何かを深く考えさせるものでなければならないとは思っていない。ソフトバンクのCMも、最初の頃のものは数バージョン見たが、奇抜で面白かった。

ネガティブアプローチの手法を取り入れ、1990年頃「史上最低の遊園地。TOSHIMAEN」で話題を呼んだ、豊島園の広告などは今もって名作だと思う。「だまされたと思って、いちど来てみてください。きっとだまされた自分に気づくはず。楽しくない遊園地の鏡として有名な豊島園は、ことしも絶好調。つまらない乗り物をたくさん用意して、二度と来ない貴方を心からお待ちしています」。

最後に、高校の後輩が制作に関わっていたと後で知り、さらに驚いた明治安田生命のCM。もう、今さらここで持ち出すまでもないのだが、You Tubeで久しぶりに見て、やはり沁みた。
私にとって小田和正といえば、なんといってもオフコース。しかも、鈴木康博が抜ける前の。『言葉にできない』は忘れられない曲のひとつ。この曲をバックに、写真と字幕のみ。スポンサー名を含み、ナレーションはいっさい無し。「ただ精一杯生きる」「あなたに会えて、ほんとうによかった」「ありがとう」。言葉にしてしまえば、一見単純そうなメッセージだが、様々な思いが込められていて、見る人それぞれに、いろいろなことを考えさせる。

こういうCMもないと、TVのCMは、商品名連呼でただうるさいだけ、購買欲を煽るだけという、陳腐なものがますます横行するようになってしまうだろう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

映画『八甲田山』の音楽を流すCMに違和感

芥川也寸志作曲『八甲田山』を愛聴している。車の中、自室でも。

映画『八甲田山』は4回観た。原作である新田次郎『八甲田山死の彷徨』も、もちろん読んでいる。日露戦争の始まる二年前、八甲田山における雪中行軍で、200名近い死者を出した悲劇を描いたものだ。

サッカーの試合、ドキュメンタリーを除くと、TVはほとんど見なくなっている。たまたま見ていたニュース番組内の某携帯電話のCMで、突然八甲田山の音楽が流れてきた。CMの情景との齟齬に耳を疑った。制作者の意図が全くわからなかった。ネットで調べ、事情がわかり、さらに呆れた。CMに登場する犬の声は、映画で神田大尉役を演じた、北大路欣也の声だということ。で、『八甲田山』?
新田次郎、作曲した芥川也寸志が生きていたら何と言うだろう。
大手広告代理店がからんだ、たかが企業のCM。目くじら立てることのほどではないという声があろうと、この違和感は拭えない。

映画『八甲田山』には、忘れられない場面がある。高倉健演ずる徳島大尉が、雪の山中を案内してくれた村の娘さわ(秋吉久美子)に対し、「案内人殿」とよびかけ、三十一聯隊の兵士とともに最敬礼する場面。もうひとつ、今は亡き緒方拳演ずる白髪の老人が、生き残った兵士として、映画の最後に花の咲き乱れる八甲田山を訪れる場面。雪の八甲田とはあまりにもかけ離れた、美しい情景。いずれも、原作にはない設定ではあるが。
芥川也寸志の音楽も、単なる映画音楽と呼べないほどの完成度をもった、名曲だと思う。

八甲田山における悲劇という史実を考慮しない音楽の採用。良識を疑う。

※その後、同CMを何度か見て抱いた感想を改めて書いてみた。興味のある方はそちらもどうぞ。 CMの音楽とメッセージ 映画『八甲田山』の音楽を流すCMに違和感(2)

| | コメント (0) | トラックバック (0)