カテゴリー「雑記」の投稿

難民を生み出す国

去年の今頃は精神面での不調から失語症のようになってしまった。
今年もまた同じ時期に長い間ブログを書けなかったが、事情は全く違う。
一連の古本市を終え、原発関連の本、雑誌を読み出したら止まらなくなった。役立ちそうな情報はネットで毎日欠かさずチェック。
不明を恥じ、恥は上塗りされていった。
原発問題が視野から抜け落ちていたのは、己の怠慢以外のなにものでもなかったことを嫌というほど思い知らされた。

一方で、今日までの原発推進の過程と福島第一原発事故対策におけるあまりにむごい状況に吐き気すら覚えた。
次々と言葉が湧いてきた。だが、そのほとんどは呪詛と大差ないもので、とうてい書き留められない。中途半端に言葉を吐けば己に返ってくるだけに思えた。
実際、感情的に言葉をまき散らしているとしか思えぬ言説には違和感を覚えた。
かといって本のこと、日常のことを淡々と書いていく強靱な精神は自分にはなかった。
知れば知るほど、軽々にものを云えなくなってしまい、変わらずにいることの難しさが身に沁みた。

加えて、7月半ば頃から毎日のように頭痛に悩まされ、血圧が上がり、8月の頭には脳の血管が切れたか詰まったかと思われるような激痛に襲われる。MRIの結果脳に異常は認められなかったものの、日々何とか暮らしていくことで精一杯だった。

渦巻く思いを落ち着かせるまでに随分と時間を要してしまった。
「安易に語れない」という気持ちは今も変わらない。
しかし、何も無かったかのようにブログを再開できないので、少しだけ原発のことに触れておこうと思う。

核の「平和利用」というスローガンが、原発を進めたい日本の中枢とアメリカによる隠れ蓑に過ぎなかったことは既に様々な報道によって白日のもとに晒されている。
「軍事利用」、「平和利用」いずれにせよウラン、プルトニウムの核分裂によって膨大なエネルギーを発生させる点で違いはなく、有事の際その気になれば、いつでも核兵器を製造できる体勢にあると知らしめおくことは、「技術抑止力」として働いてもいる。
それぞれの思惑の中で癒着した政・官・財の構造は想像以上に堅固で、彼らはチェルノブイリの大事故も、国内の度重なる重大な事故をものともせず原発を推進してきた。そこに御用学者と呼ばれるヒルがべったりと張りついている。

綻びだらけの危機管理体勢だけではない。まともな見通しすら立てられずに(半ば放棄し)完璧な制御など不可能な原発を推進していく側の歪な体質は異常過ぎる。しかも彼らには「命」(人間のみならず、ペット、家畜ほかを含めた生命)を重んじる思想がまったく欠如している。このことは、情報の隠蔽、お粗末なデータ訂正及びその無神経な開示の仕方。或いは安全基準の、無根拠かつなし崩し的引き上げ等枚挙にいとまない。
恐ろしいのは、政府、東電含めた推進側の無責任さがこれだけの甚大な事故をもってしても変わっていくとは思えないことだ。

マスメディアになぞもとより期待はしていないが、「レベル7」の事故であることの重大さを早くも忘れているかのような現在の報道にはうんざりする。

自然の中に潜んでいる破壊的なエネルギーを人間が想定できるとは思えない。
原発が抱える恐ろしいリスクを愚かな人間がコントロールできるとは思えない。
最低限度の安全すら保障されずに、何が「平和利用」か。

避難民だけではない。まさしく「難民」を生みだし、一部の国民に多大な犠牲を強いている。
土地を奪われ、人生そのものを破壊された多くの人々の悲痛な叫びが聞こえないのか。
原発以外にも大きな問題を抱えたこの国でこれから生きていかねばならぬ、或いは生まれ来る者たちに、目に見えぬ不安を押しつけ、健康上のリスクを負わせていいわけがない。
今の日本は国家の体を成していない。

可能な限りネットワークを拡げつつ、わたしたち一人一人が自分の身を守っていくしかないようだ。

これまでに読んできた東日本大震災、原発に関する本や雑誌を以下に挙げておきます。

■辺見庸『水の透視画法』(共同通信社)

震災に触れているのは最後の一編のみ。原発には直接言及していない。2011年3月までの原稿で編まれているからだ。
しかし、日本社会が内包するカタストロフ的状況をつぶさに観察し鋭く抉っている。
著者本人が<まえがきに代えて>で述べているように、大震災は結末ではなく新たな始まりの景色であり、この本は未来への予感で満ちている。

震災直後に書かれた<非情無比にして荘厳なもの 日常の崩壊と新たな未来>から引用する。

混乱の極みであるがゆえに、それに乗じるのではなく、他に対しいつもよりやさしく誠実であること。悪魔以外のだれも見てはいけない修羅場だからこそ、あえて人に誠実であれという、あきれるばかりに単純な命題は、いかなる修飾もそがれているぶん、かえってどこまでも深玄である。
(略)非常事態の名の下で看過される不条理に、素裸の個として異議をとなえるのも、倫理の根源からみちびかれるひとの誠実のあかしである。

そろそろ発刊されるであろう『神話的破壊とことば(仮)』(角川書店)を早く読んでみたい。

■小出裕章『原発のウソ』(扶桑社新書)
■小出裕章『原発はいらない』(幻冬舎ルネッサンス新書)
■小出裕章『隠される原子力・核の真実』(創史社)
■広瀬隆『原子炉時限爆弾』(ダイヤモンド社)
■広瀬隆『FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン』( 朝日新書)
■広瀬隆・明石昇二郎『原発の闇を暴く』( 集英社新書)
■武田徹『私たちはこうして「原発大国」を選んだ 増補版「核」論』(中公新書ラクレ)
■武田徹『原発報道とメディア』(講談社現代新書)
■高木仁三郎『原発事故はなぜくりかえすのか』(岩波新書)
■山本義隆『福島の原発事故をめぐって』(みすず書房)
元東大全共闘議長という経歴は関係ない。人としての真摯な訴えが感じられる。
100頁ほどのコンパクトさ、1050円(税込み)という価格に加え、様々な情報をまとめての発言ゆえとても読みやすく、的も射ている良質な本。
■神保哲生・宮台真司『地震と原発 今からの危機』(扶桑社)
ビデオニュース・ドットコムでの放映内容と重なるが、この視点とアプローチの仕方は棄て難く。教えられることも多かった。いつもは敬遠しがちな宮台も、わかりやすく、まともに発言している。
■宮台真司・飯田哲也『原発社会からの離脱』(講談社現代新書)
■『思想としての3・11』(河出書房新社)
期待したほどの内容ではなかった。
■広河隆一『暴走する原発』(小学館)
■広河隆一『福島 原発と人びと』(岩波新書)
しっかりとしたルポ。
■菊地洋一『原発をつくった私が、原発に反対する理由』(角川書店)
■佐野眞一『津波と原発』(講談社)
■古賀茂明『日本中枢の崩壊』(講談社)
■石橋克彦編『原発を終わらせる』(岩波新書)
■田中三彦『原発は何故危険か 元設計技師の証言』(岩波新書)
■佐藤栄作久『福島原発の真実』(平凡社新書)
■鈴木真奈美『核大国化する日本 平和利用と核武装論』(平凡社新書)
■武田邦彦『原発事故 残留汚染の危険性』(朝日新聞出版)
■武田邦彦『原発大崩壊! 第2のフクシマは日本中にある』(ベスト新書)
■内田樹・中沢新一・平川克美『大津波と原発』(朝日新聞出版)
■上杉隆『この国の「問題点」』(大和書房)
■堀江邦夫『原発労働記』(講談社文庫)
■『朽ちていった命-被爆治療83日間の記録』(新潮文庫) 再読
■『決定版 原発大論争! 電力会社VS反原発派』(宝島文庫)
ブックオフの105円棚から購入。文庫化前の原本は1988年9月。小出裕章、高木仁三郎らの記事も載っている。24年も前に今語られている原発の危険性の多くはこの書の中で語られている。
読むのが遅すぎた…。最近、再版されたみたいです。
■吉岡斉『原発と日本の未来』(岩波ブックレット)

■文藝春秋2011年5月号・6月号・7月号
■朝日グラフ『東北関東大震災全記録』(朝日新聞出版)
■AERA緊急増刊『東日本大震災100人の証言』(朝日新聞出版)
■エコノミスト臨増『福島原発事故の記録』(毎日新聞社)

■FRYDAY臨増『福島第一原発「放射能の恐怖」全記録』(講談社)
■別冊宝島『日本を脅かす!原発の深い闇』(宝島社)
FRYDAY、宝島社の名で敬遠するのはもったいない。上記2誌はとてもよい出来映えで参考になることが多かった。

■Newsweek日本版別冊『原発はいらない』(阪急コミュニケーションズ)
■WEDGE7月号『それでも原発 動かすしかない』(ウェッジ)
原発推進側の意見はいかなるものかと手にしてみたが、予想通り内容空虚。
■新潮45(6月号)『震災後をどう生きるか』(新潮社)
■ダヴィンチ8月号『東日本大震災 無力感を祈りに変えて』(メディアファクトリー)

震災、原発関連のものを読んでばかりでは気が滅入ってしまうので、次のような本や雑誌も合間に読んだ。

■佐野洋子『対談集 人生のきほん』
■『佐野洋子 追悼総特集 100万回だってよみがえる』(河出書房新社)
■山川方夫『目的を持たない意志』(清流出版)
■高野和明『ジェノサイド』(角川書店)
■勢古浩爾『最後の吉本隆明』(筑摩選書)
■合田正人『吉本隆明と柄谷行人』(PHP新書)
■合田正人『レヴィナスを読む』(ちくま学芸文庫)
■円堂都司昭『ゼロ年代の論点』(ソフトバンク新書)
■星野仁彦『発達障害に気づかない大人たち』(祥伝社新書)
■豊崎由美『ニッポンの書評』(光文社新書)
■吉田健一『書架記』(中公文庫) 
手元に残っていた文庫は焼けがひどく、ボロボロだったので再版されたものを再読。
■斎藤貴男・鈴木邦彦・森達也『言論的自滅列島』(河出文庫)
■H・ジェイムズ『ねじの回転』(新潮文庫)
原文を読み合わせする機会があり、自分の解釈が大きく間違っていないか
確認する意味もあって再読。
■サン=テグジュペリ『夜間飛行』(光文社古典新訳文庫)
■フィリンガム『フーコー』(ちくま学芸文庫)
■岡崎武志『女子の古本屋』(ちくま文庫)
増補部分と解説のみ読む。
■山村修『増補 遅読のすすめ』(ちくま文庫)
単行本で読んだ回数を含めると5回目だろうか。130頁強増補されたことは、嬉しい限り。
著者の読書及び書評スタイルには共感を覚える。
■朝日ジャーナル『知の逆襲第2弾 日本破壊計画』(朝日新聞出版)
何といっても巻頭を飾った辺見庸の記事が圧巻。
■『本の雑誌7月号』(本の雑誌社)
岡崎武志さん、荻原魚雷さん対談の「私小説を読みたい!」を目当てで購入。それぞれの特徴が出ていて面白かった。二人が選んだベスト20の中では古山高麗雄『身世打鈴』のみ未読。いつか手に入れて読んでみたい。
本の雑誌社の方々の「おじさん三人組 一箱古本市に挑戦!」には驚いた。<とみきち屋>のことが取りあげられている。
■『Witchenkare ウィッチンケアvol.2』
震災発生直前、多田洋一さんから送っていただいた。多田さんの作品、浅生ハルミンさんの初小説、高校同期稲葉なおとの小説が載っている。どれも味わい深いものでした。寄稿者のなかには福島出身で親戚を亡くした方もいらしたと聞いている。困難な道のりになるかとは思いますが第3号の発行も期待しています。

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自分の『生きる』を侵そうとするものと戦う

新潮社『考える人』編集長・河野通和さんから届いたメルマガ(4月14日分)の一部を紹介したい。今の日本の状況下で「生きる」ということを考える上で、とても心に響くものだった。

→ http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/mailmag_html/438.html

まず、谷川俊太郎の人口に膾炙している詩『生きる』を引いている。

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽びがまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと

そして、次のように語る。

誰しも気がつく冒頭2行のリフレインの鮮やかさ。折り返されてドキリとする2行目の「いま」の2文字が、いつにもまして胸に迫るのは、私たちが3・11を経験してしまったからに他なりません。続く5行では、人間の五感(味覚、視覚、聴覚、嗅覚、触覚)を通して感得される「生きる」イメージが挙げられていきますが、渇きをいやすことも、太陽の光を感じることも、記憶をふたたび蘇らせることも、くしゃみも、ましてや人のぬくもりに触れることも、亡くなった人たちにはすべて叶わぬことばかりです。つまり、このひと月というもの、私たちは「生きる」という詩のネガの現実を生きてきたようなものです。だから2行目の「いま」の2文字によけいにドキリとさせられるのだと思います。言い換えれば、「死」の合わせ鏡によって「生きる」ということをより深く考えるようになった、とも言えます。

その通りだと思う。東日本大震災の地震と津波は、被災しなかった者の心にもはかりしれない衝撃とともに大きな傷を与えた。そして一向に収まりそうにない原発への限りない不安。
このため、日常と非日常の堺が崩れ、相互に浸透し、世界全体が皮膜に覆われているかの如く見えてしまう。
これまでと同じ事をするにも力を要し、同じように振る舞えたと思っても何かが違うという違和感を少なからず抱いてしまう。そんな気持ちになりはしないだろうか。

それでも、多くの人がこの日本で生きていくため、或いは生き残ろうとしたら何が必要か、何をなすべきかを、今までにないくらい真剣に考え始めている。
生きることの切実さを痛感していると思う。

装幀家・菊地信義の著書『みんなの「生きる」をデザインしよう』(白水社)が河野氏に谷川の詩を想起させた。
こどもたちに自分自身の「生きる」を見つけさせることをテーマにした授業が下敷きになっているらしい。

菊地氏はこどもたちに「詩や小説を読むというのは、実は本に書かれてあることを読んでいるのではなくて、自分自身を読んでいるのだ」と話し、思い思いに自分の「生きる」を表現させる。

・「シュートを打つこと。サッカー」・「澄み切った空気をすうこと」
・「本を読むということ」・「夢をもつこと」
・「未来に向かって歩むこと」・「ものごとを達成しようとしてドキドキしているとき」
・「涙を流すこと」・「星がきれいだと思うこと」
・「友だちと遊ぶこと」・「夜寝て、朝起きられること」等がこどもたちの答え。

それを受け、菊地氏の語る言葉が真摯で誠実で、重い。
(以下はメルマガからの孫引きです)

ぼくはこう思う。
ひとりひとりの五感と言ったけど、五感をまとめた感覚。
ひとりひとりの感覚と、
その人が生きてきた、嬉しかったこと悲しかったことなど過去の記憶と、
これからどうやって生きていこうか、憧れや希望、という未来を、
愛しいもの、大切なものとして
慈しみ、愛し、
これだけはだれにもゆずれないとしっかり思うこと。
それを侵そうとするものと戦うことだ。
ぼくはそう思う。
「生きるってことは、自分の『生きる』を侵そうとするものと戦うこと」
これがぼくの「生きる」だ――〉

自分の『生きる』を侵そうとするものと戦う・・・

この思いを共有する日本人はいま確実に増えているに違いない。
いや、増えているはずだと、私は信じている。

新潮社『考える人』編集長・河野通和さんのメルマガは無料配信。
→ http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/

お勧めします。

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本物の言葉

「被災地 医療活動」でグーグルを検索していたら、<被災地の陸前高田に医療活動に入った看護師の10日間 PT-OT-ST.NET>が目に留まり、読んでみた。
尽きせぬ思いがあふれてきた。
ありきたりの政府、東電批判にいい加減うんざりしていたので、多くのことをあらためて考えさせてくれた。

「JKTS」 ・・・被災地へ医療スタッフとして行ってきました。 短い間でしたが貴重な体験となりました。 http://blog.goo.ne.jp/flower-wing

※1~14までの長い記事の総コメント数が2000を超えている。多くの方が感銘をもって読まれたようだ。私はやらないので知らなかったが、ツイッターで広まったらしい。

3月25日の朝日新聞夕刊に、作家・あさのあつこがコメントを寄せていた。
新聞、普段はめったに読まない週刊誌、見ることないテレビなどを通じ多くのことが語られるのを読み、聞いてきた。
自らの不安を解消するためとしか思えない、開き直りとしかとれない、或いは無神経な言説が渦巻くなかで、あさのあつこの言葉はまっすぐ届いてきた。一部を引用する。

試されているのだと思う。言葉の力が試されている。
おまえはどんなことばを今、発するのだとこれほど厳しく鋭く問われている時はないのではないか。被災地に必要なのは、今は言葉ではない。物質であり人材であり情報だ。けれど、まもなく本物の言葉が必要となってくる。半年後、1年後、10年後、どういう言葉で3月11日以降語っているのか、語り続けられるのか。ただの悲劇や感動話や健気な物語に貶めてはならない。ましてや過去のものとして忘れ去ってはならない。剥き出しになったものと対峙し、言葉を綴り続ける。それができるのかどうか。問われているのは、わたし自身だ。

体育館が避難所となっている階上中学校の卒業式答辞で、人間の無力さに打ちひしがれ、悔しくて辛くてたまらないと涙声で訴える中学生がいた。
その彼が最後にこう云った。
「それでも、私たちは天を恨まず、助け合って生きていこうと思います。それが私たちの使命だからです。」
彼が「ヨブ記」のことを知っているかはわからない。
しかしそれとは関わりなく、この言葉に、今なお想像も及ばぬ困難な状況下で苦しんでいる被災地の方々の強い意思が映し出されているように思われ、力をもらった。

今回の地震、津波、原発事故で多くのものが壊れ、壊れつつある。
もう手持ちの札では、埋め合わせることはできないのかもしれない。
ならば、個の自覚のもと、不安に押し潰されず、しっかりと立つしかない。
新たな道を切り拓いていくために。

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試される

暗澹たる思いは深まるばかりだ。
16年前に大阪の天満橋にいた時に発生した阪神・淡路大震災の記憶が甦って来て苦しくなる。
今回の津波はあの時とは違う。だが、瞬時にして多くの人の生命を奪い、残された人々を生き地獄へと引きずり込んだ点では変わりはない。
自然の猛威は、人間の予想を遙かに超えて襲いかかってくる。
「なぜ?」と問うても、答えなど見つからない。
被災した方々に直接手を差し伸べられなくても、わたしたち一人一人が考えなくてはならないことは、ある。できることはあるはずだ。

・阪神大震災から14年(1)
http://ramble-in-books.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-3bff.html
・阪神大震災から14年(2)
http://ramble-in-books.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-1b34.html

かつてブログで書いたように、このような時にこそ、人の「こころ」の在り方が問われるのではないだろうか。

直接大きな被害を受けなかった者にも、その時が来た。

今日から輪番停電が始まる。
電気が使えないとどうなるのか。
しかも地域によって時間帯がバラバラで、4月末まで続くかもしれないという。
思いも寄らなかった事態が続出するに違いない。生活、仕事両面で。

国や都などの行政、東京電力を頼るわけにはいかない。対応がひどいと文句を言ったところでどうにもならないことが多々起こり得ると思う。
対岸の火事ではないのだということを身に沁みて感じることになるだろう。
こんな時にも被災地の方々の苦しみを思い、或いは今自分の生活圏で接する高齢者を含めた弱い人たちのことを思えるか。パニックを起こさず、事に処せるか。
一人一人が試されるのだ。

携帯やパソコンを駆使し情報を入手することのできない人が、首都圏にも数多く存在することを忘れずにいたいと思う。

我が家にも車いすでしか移動できない母がいるので、いつ起きるとも知れぬ地震(大きな余震)のことは正直不安だ。しかし、そんなことは私事でしかない状況が訪れようとしている。

亡くなられた多くの方々を悼み、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

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介護、始まる。

12月19日、115日振りに母が帰ってきた。
父の待つ住み慣れた家にではなく、私たちの家に。
義母が同じ病院の同室に1ヶ月入院し、癌の手術を受けるということもあって、長く感じられた。

退院前の検査で黄色ブドウ球菌が見つかったため、膝の洗浄、抗生剤の投与などの処置が施され、予定より2週間遅れ。
張りつめた糸が一旦緩み、どっと疲れが出る。若干の猶予を与えられたので自室の片付けも仕切り直し。5日、12日と馴染みの古書店へさらに本を処分。トランクルームには10箱ほど追加。棚を処分したため置き場所の無くなったLPレコードも持っていった。

仕事帰りに地元ブックオフに寄ることも控え、ひたすら整理。合間には市役所におむつ代申請の手続きほか細々とした事も処理。何とか寝る場所は確保できた。
ブログを更新する余力は残っていなかった。読書も通常に比べ3分の1ほど。

19日日曜から介護生活が始まった。初めてのことなので何をするにも時間がかかる。ベッドからトイレまで、歩行器を使ってどう動くのが安全で、負担にならないかいろいろ試みる。ポータブルトイレやベッドサイドテーブルの配置をどうするか。介助バーをどの段階でどれくらいの角度にするか。一人では立っていられないので、つかむ場所の順番なども母の動きを見ながら決めていった。
退院翌朝には、訪問リハビリ担当病院と訪問看護の契約。ケアマネージャーとは介護(居宅サービス)計画に関しての打ち合わせ。病院へは入院費の支払い。水曜は入浴サービス体験への付き添い。金曜は午前中に訪問看護(リハビリ)、福祉用具の業者にはトイレに手すりを設置してもらった。

朝昼晩、寝る前の4回服薬が必要なので、食事の時間、寝かせる時間をどうするかを、余り変動がないよう毎日様子をみながら決めてゆく。
検温、血圧の測定も欠かせない。
私たち二人が同時に家を空けねばならない時に、どう過ごさせるかも状況に応じて考えねばならない。一人でしてはいけないことを決め、守ってもらうことも必要だ。

私たちの生活のリズムも一変した。それをいい方向にもっていくことが大事なのだと、妻とは話している。
母には焦らせず、自身が大きな負担になっているとは思わせない。私たちも余裕を失ったり、倒れたりしないよう、互いにスケジュールを調整しながら、時に息抜きも入れていかなくては。
難しいかもしれないが、出来る限り自然体でいることが、これからの介護生活の要であるように思えてならない。

感染症で危篤にまで陥っているので、担当医からは「いつまた何かの菌が繁殖しないとも限らない」とは云われている。しかし、こればかりはどうなるかわからない。

母は昨夜、足の痛みで午前0時、1時と二度目を覚ましてしまった。痛み止めを飲ませたら落ち着いたが、安定にはほど遠い。快復の見込みはほとんど立っていないとも云える。
自力歩行はやはり無理だろう。寝たきりにならないようにする。それが最大の目標。

しかし、母を何としても病院から出してやりたいという願いは叶った。毎日「美味しい」と口にしながら普通に食事もとっていて、1キロ近く体重も増えた。
退院後映画を5本も観ている。(我が家にはDVDレコーダーがないので録画して置いたVHSビデオ)
フェルメールの絵をモチーフにした『真珠の耳飾りの少女』、成瀬巳喜男監督『放浪記』、ジュリエット・ピノシュ主演『嵐が丘』、ジョン・ヒューストン監督『火山のもとで』、エルンスト・ルヴィッチ監督『生きるべきか死ぬべきか』。
私たちより文化的な生活を送っている(笑)
楽に観られるだろうと思って録りっぱなしの2時間ドラマなどを勧めても「映画がいい」と云う。
87歳の母だが、この分ならトリュフォー、フェリーニ、カサヴェテス、アルトマンなどもいけるかもしれない。

映像ばかりでは疲れるので音楽も聴いている。オーディオはベッドでほぼ塞がってしまったし、アンプの操作が難しいので無理。iPodも持っていないため、やむなくカセットテープ。入院中もそうしていた。
今母が聴いているのは、マラン・マレ『ヴィオール曲集』、今井信子(ヴィオラ)演奏による『鳥が道に降りてきた』など。

介護生活まだ1週間、よちよち歩きが始まったばかりだ。

次回、11月の「みちくさ市」を回顧します。

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今、できること

冬眠を終え、ブログを再開するつもりでいたら、夏は忙しさで余裕が無くほとんど更新できず。
そして8月の終わりには大量の下血で母が入院。血も止まり、精密検査の結果では1週間もすれば退院できるだろうと皆が思っていたのに、思わぬ大きな落とし穴が…。感染症、しかも重度だという。
火曜、医者に呼ばれ「強くした抗生剤が効かないようなら、一両日以内に死亡もあり得えます」と言い渡される。
その数日前から突然右足付け根の痛みを訴え、腫れ上がり、歩けなくなり、高熱。食事もとれなくなり、一気に弱ってしまった様子を見ていたので、もうダメなのだろうかという思いが僅かに過ぎっていた。
実際に異常なデータを見せられ、症状を詳しく説明され、言葉を失った。

同日夜、弟家族がこどもたちを連れて行くと、意識レベルの低かった母は目を覚まし、孫たちを慈しむように「がんばってね」と声を絞り出していた。
長女はショックを隠しきれず、長男は神妙な面もち。次男はずっと手を握ったまま離さない。
無理もない。姪っ子、甥っ子たちはこんなに衰弱し切ったおばあちゃんの姿を初めて目にするのだから。

しかし人間というのは不思議なものだ。孫たちとの束の間の時間を持ってから、意識レベルは回復しているように感じられる。強い抗生剤が効き始めているのかもしれぬが、それだけとは思えない。計り知れぬ力を、一時的にせよ、授けてくれたに違いない。
水曜、叔母と(その娘の)従姉が見舞いに駆けつけてきた時も、誰であるかはっきり分かり、笑顔を見せていた。
木曜は妻が孫たちのこと、昔飼っていた犬や猫の話をすると、うなずき、言葉を返していたという。弟にはぬか漬けの釘や塩のことを問いかけ、冗談まじりに弟が答えると、しょうもない子だというような反応をしたらしい。
私が傍にいた時には、お金のこと、保険のこと、(無料でバスに乗れる)高齢者定期券の更新などのことが気になるようで、うまく喋れないながら訴えかけてきた。
何ひとつ心配要らないと言い聞かせると、ほっとしたように目を閉じる。
腫れ上がった足が痛み出した時には、そっと撫でさすってやると、落ち着きを取り戻す。

ここ数年、からだのあちこちが悲鳴をあげ、限界を超えていたことは否めない。父を残しては死ねないという気力で生きていたところもある。
何度も小さな声で「おとうさんは?」と問うてくるし、「どうして動けなくなったんだろう」「迷惑かけるね」と口にする。
ショック状態に陥っていた父も今日は面会時間ギリギリに花を持って行ったようだが、詳しいことはわからない。

突き刺さったのは、「明日は楽になるから」という言葉。
辛く、苦しいのだろう。本当は楽になりたいのだろうなと思うと何も云えなくなる。
こちらの思いを察したのか、しばらくしてから、「でもお父さんが心配…」。

わが母ながら、ものすごい生命力だ。
こんなふうに気持ちを交わすことができるなどとは思ってもいなかった。

しかし、自分の意志では全く動けず、鼻から酸素吸入し、抗生剤投与、点滴を続けなければならない状態が改善されたわけではない。
「その時」がいつ訪れるのか、誰にも分からない。
先の見えない状況が変わったわけでもない。
今できるのは、なるべく足を運び、傍にいて、意識が遠のかないように話しかけることくらいだ。
親を看取り、送るのは子の務め。避けられぬ道と思う一方で、
0. 1%以下の可能性しかないのかもしれないが、一度だけでいいから家に連れ帰ってやりたい……。
そう思う自分がいる。

このような状況のため、参加が決まっていた「みちくさ市」は辞退させていただきました。
4回連続で参加して来た「一箱古本市」も、この秋は断念。
既にそれぞれの古本市のために用意していた本は、当分眠らせて置きます。

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〔宣伝〕 「野外劇団 楽市楽座」東京公演のご案内

以前このブログでもご案内したことのある高校同期・長山現が、「野外劇団 楽市楽座」 (→こちら)を率い、9月3日(金)~6日(月)まで、井の頭恩賜公園にて「鏡池物語」(→こちら)を公演しています。毎夜19:00開演(雨天決行)。

この4月から年内11月にかけ全国を親子3人で演じながら巡回しているのです。
彼のブログを読んでいると、その「創造」にかける想いに圧倒されます。
母の入院ほか諸般の事情で、私は観に行けそうになく残念でなりません。

興味を持たれた方はぜひお出かけ下さい。

(以下Webからの転載)

北は北海道から、南は沖縄まで、野外劇の魅力を伝えます!
こどももおとなもお年寄りも 笑って泣ける、不思議な現代神楽劇!
座組みは家族! 一家三人で、全国32ケ所に野外円形劇場を設営! 
入場無料の投げ銭公演! 観て面白かったら投げ銭してください!

能や神楽、マダン劇やギリシャ劇も、全て野外で演じられてきました。
野外では、世界は劇に取り込まれてその一部になります。同時に、劇も世界の一部になります。
この世界と、劇と、観客が交わって一つとなる瞬間があります。
「野外劇団 楽市楽座」は、野外劇を生活とし、全国各地の自然や歴史、風土、人々と出会い、
芸能としての野外劇の原点に迫ります。

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夏の終わり

ほぼ毎日帰宅は11時を過ぎ、夕食を食べ終わると0時を回っているというような日々が続いていた。再開したつもりのブログを更新できなかったのは、時間的な余裕が無かったからだ。

21日(金)は高校同期が集まっている会に、仕事を終えてから合流。1時間ちょっとであったが、息抜きができた。
紆余曲折を経て、50歳にして教員になったバレー部同期の祝いも兼ねていた。
たいへんな学校みたいだが、眩しいくらい輝いていた。頑張ってほしいな。

翌土曜は母を整形外科に連れて行き、買い物を手伝い、帰って来たら夕方。そこから日曜の晩までひたすら、(昨年11月から始めた)仕事の準備に追われる。

今週は木曜の夜仕事を終え、メールをチェックすると、小学校は同級で、中学ではバレー部同期だった友人から、母上が亡くなられたとの知らせが届いていた。連絡を任されたので、小学校、中学校の仲間にメールを送っているその最中、妻から(私の)母が下血したとのTEL。

帰宅し実家に連絡。下血は収まっていたが、余談は許さない。
その間も、友人の母上の葬儀に関する連絡が入ってくる。
何かあったら真夜中であろうと車で救急病院に連れて行く覚悟はしていたが、何とか持ちこたえ翌朝一番で掛かり付けの病院へ。
私は仕事で動きがとれず、妻に付き添ってもらった。大きな病院で精密検査を受けることとなる。妻も夕方から仕事が入っていたため、88歳の父が同行。入院となったら、後は父に任せることにして、妻は仕事へ。
結局母はそのまま入院。

私は夜まで仕事のため、病院へは行けず。
通夜にも参列できなかったが、斎場が地元だったので、通夜に出た友人と10時半頃待ち合わせ、1時間半ほど飲む。

土曜の朝10時からの告別式に参列。

喪主を務めた友の、言葉を詰まらせながらの挨拶に、5ヶ月間の闘病と介護の日々が想像され、胸を打たれる。

大阪から小学校の同級生、甲府からは中学バレー部同期らが駆けつける。二人とも単身赴任中。
バレー部同期の友人は、奥さんが入院していたらしく、告別式の後退院の手続きに行かねばならないという。
すれ違いの連続で、連絡のとれなかった別の中学バレー部同期の友人は、なんと母上が意識不明の重態で金曜は病院に詰めていたことが夕方になってわかった。意識は回復されたようだが、まだICUからは出られないらしい。
いろいろなことが重なった。

午前中は弟が父を連れ母のところへ行ってくれたので、午後母の様子を見に病院へ。容態は安定していたのでひと安心。しかし、食事をとれるのは日曜の夜以降になりそうだ。点滴のチューブを差されたままの母の腕が痛々しい。

今日(日曜)の夜は、仕事関連のパーティーに出席せねばならない。
月曜、火曜と、ようやく夏休みがとれそうだ。仕事のない日に母が退院できればいいのだが…。

あっという間に夏が終わろうとしている。

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季節はずれの冬眠

二ヶ月間冬眠していました。
突然言葉が出なくなってしまったのです。

3月から5月にかけての二ヶ月間で古本市3回参加。助っ人も体験。
燃え尽き症候群?
確かに疲れ、反動はありましたが、それが要因ではありません。

PCに向かって思いを巡らせ、10分、20分、30分…。
キーボードに置いた指が全く動いてくれない。
2日、3日、4日…。
やはりダメだ。好転してくれる兆しすらない。
せめて、コメントをいただいたお二人への返事だけでも―と思えば思うほど焦りが募り、
固まってしまう。

すと~んと、深い穴に落ちてしまいました。
加えて失語症。

返事も、一箱の最終回も、みちくさ市のレポートも書き終えてはいないけれど、
「もうお手上げ」と観念。
年に何回かは穴に落ち込むが、今度のは数年振りの重症。
他人事のように
どうぞお好きにと黙りを決め込む。
その後は、自律神経めためたにされ、睡眠障害、不定愁訴のオンパレード。
普段の生活と仕事をこなすだけで汲々といった、なんとも情けない状況にどっぷり浸かってしまいました。ある種、気質的な病のようなものと云えばいいのでしょうか。

もがけばもがくだけ更に深みにはまる蟻地獄なら、じっとしているしかない。
意識して外の情報をシャットアウトしたわけではないのだが、
気がつけば妻のブログさえ1週間、10日と見ていなかった。

では何をしていたか。
始めの一ヶ月間、激しい腰痛に襲われるまでは、ひたすら整理した本を売っていました。その数500冊ほど。
古本買いは地元馴染みの古書店と、習慣化した仕事帰り、閉店時間前の地元ブックオフへ。
ただし、古本市のことはできる限り頭から追い出して、自分が欲しい、読みたい本を中心に。
今回の冬眠中、不思議と本だけはかなり読めました。

先般の、黒岩比佐子さんの『古書の森 逍遥-明治・大正・昭和の愛しき雑書たち』(工作舎)発刊記念スペシャルトークショーを聞きに行くまで、身内、仕事関連以外で会った相手は友人一人のみ。そういえば、メールも交わしていない。

黒岩さんとお話した際、これをきっかけにまたブログ再開しようと思いますと云いながら、その後一ヶ月近く経ってしまった…。

土曜日に思い切って「みちくさ市」に足を運び、古本を取り巻く世界に触れ、ようやく言葉が戻って来ました。
ブログ、再開します。

最後になりましたが、朝霞書林さん、jindongさん。
コメントを頂戴しながらご返事できず今日に至ったこと、心からお詫び申し上げます。

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深夜遅くから、雪がしんしんと降り始めた。
あたり一面は雪化粧。
静まりかえっている。

きのう、ある方のブログを読んだ。
そこには違う雪が積もっていた。

凍えそうな魂が叫びをあげていた。
胸がつまった。

その方の心の奧に潜んでいるものを、
どんなに想像してみたところで
わたしにわかるとは、とうてい思えない。

だから、
今はただ願うばかりだ。
多くの声なき声や祈りが、
その方のもとに届きますように、と。

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