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お薦めの復刊文庫 2009.2 吉田秀和 『名曲三〇〇選』(ちくま文庫)

絶版久しかった新潮文庫『LP300選』が、『名曲三〇〇選』(ちくま文庫)として復刊された。著者は《音楽の歴史》を描いたのではなく、名曲を300曲選んだと述べているが、グレゴリオ聖歌から現代音楽まで、その視野は極めて広い。しかも、その時代ごと、主だった作曲家、作品への言及もしており、驚異的な本と言える。28年前、新潮文庫発行時以来手元に置き、愛読している。クラシック音楽に興味を持ち、その全貌を見通したい思う者には、最適の本としてお薦め。

文学、美術の造詣も深く、鋭利な感覚を土台にしながら、その文章には滋味がある。決して声高には語らない。だが、二流、亜流と思える曲には明言を避けたりしない。それでいて、逡巡してしまうところは、正直に伝える。そこがまた、吉田秀和の魅力でもある。

本書の中からいくつか紹介したい。

「ハイドンは、即興と情熱の一時的な戯れを拒否し、すべて着実で、論理的に一貫し、作品の統一と安定、音楽の純粋と真実が達成されている。しかも、すばらしいことには、それが、みせかけの悲愴や厳粛やをともなわず、むしろ明るくて活発な機知とユーモアとを失わない、本当の思索となっていることである。」

ハイドンの本質はつかみにくいと思っていた私の目を開かせてくれた。かくも短い文で言い得た例を他に知らない。

「『ピアノ・ソナタ ハ短調』(作品111)』はベートーヴェンのピアノ・ソナタの真の要約。劇的で、悲愴で孤高な第一楽章。本当にエッセンスだけにきりつめられた意義深い祈りの主題につづくすばらしい変奏の第二楽章。私は、もし、ベートーヴェンのすべてのピアノ曲中、ただ一曲をえらぶとなれば、この曲をとるだろう。」

ベートーヴェン『弦楽四重奏曲第14番 嬰ハ短調』(作品131)に触れて、

「ことに第一楽章のフーガと、中間のアンダンテの主題の変奏曲が深い感銘をあたえる。光と影の交替の絶妙さと、全体をおおう一種の超絶的な気配の独自さは、音楽史を通じても、ほかに比較するものが考えつかない。」

この文章と、五味康祐がこの2作品に言及した文章を読んでいなかったら、『ピアノ・ソナタ第32番』、『弦楽四重奏曲第14番』に出逢うのはもっともっと遅くなっていただろう。おかげで、20代前半で知ることができた。本当にその素晴らしさがわかるようになったのは30代後半になってからではあるが。今やこの2曲は私の宝となっている。

ワーグナーの音楽との対比でブラームス。

「音楽をもう一度、感情のほしいままの奔流とせず、音に造詣された構成の芸術に戻そうとする。といって、彼は、二十世紀の意味での《純粋音楽家》では、まったくない。彼もまた、骨の髄から時代の子、つまりロマン的芸術家なのだ。ただ、彼は無形体に耐えられなかった。ブラームスの偉大と悲劇―退屈という人もあるかもしれない―は、ここに胚胎する。」

ブラームス好きにはこの一節、至極納得できると思う。「退屈」と感じてしまう危うさを孕んでいるブラームスの音楽。映画音楽などで使われ、有名になった哀愁漂うメロディーもあるが、作品の多くは抒情があふれ出るのではなく、沈潜している。そこにロマンを見い出せるか否かで、ブラームス感は変わる。

「リストは、ロマン派のなかでも、ピアノの技法の発達、管弦楽法の新工夫、和声上の探求、リズムの非常な自由さといった点で、大変興味ある存在にはちがいないのだが、私は、彼の曲はよくわからない。」

「チャイコフスキーとなると、私は好きでなくとも、敬意を払う。彼には、表現すべき内容があったし、それを過不足なく表すすぐれた技術的手腕とのバランスも、きっちりとれていた。彼の曲は、入門にもよかろうが、そのあとだって優にきくにたえる。」

ベルクの『ヴォツェック』 に触れ、

「現代の人間の極限状況をとらえて、一個の不幸な人間のあり方を、鋭くえがいた傑作である。どんなに十二音階になれない人、あるいは嫌いな人でも、一度、これを舞台でみれば深くゆすぶられずにはいられないだろう。そのことはまた、この作品では、表現の形式と内容が、まったくほかのどんなふうなやり方でもなくて、まさに、こういう書かれ方をしていなければならないと、人を十分に納得させ、確信さすということでもある。」

どうですか?本書が単行本で世に出たのが1961年だから、48年が経過している。今なお、古びておらず、首肯できるとは思えませんか? 新潮文庫版では巻末に推薦盤(LP)が挙げられていて、これがまた圧巻だった。このリストを参考に、いったい何枚のLPを買い漁ったことか。

今回、ちくま文庫から復刊されるにあたり、さすがに年月が経ち過ぎていて、ここを見直すとなると、本文も必然的に手直ししなければならないので削ったと、吉田秀和自身述べている。解説は片山杜秀。

個人的に言えば、ヴィヴァルディの評価がもう一つであったり、ブルックナーの交響曲を第7番一曲で代表させてしまっているところが残念ではあるが、トータルで見ればたいした問題ではない。

他の者だったら無謀とも言える試み。本書は、吉田秀和だからなし得た、偉業とも言える。つい先日、新刊『永遠の故郷-薄明』(集英社)も出た。現在95歳の高齢ではあるが、音楽や芸術全般について、まだまだ「生の声」を聞かせてもらいたい。

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気になる復刊文庫 2009.2 中上健次『紀州 木の国・根の国物語』(角川文庫)

中上健次『紀州 木の国・根の国物語』は角川文庫、朝日文芸文庫、小学館文庫と版元をかえながら発行されてきたが、ここのところ店頭から消えてしまっていた。今この時期に復刊する角川の姿勢を称えたい。初めて中上の本を手にする者が読み通せるか、気になるところではあるが。

中上は日本的自然が生みだす差別は、その構造において小説や文化の構造とも通底していると捉える。しかし、論理的に解き明かそうとしても跳ね返され、「構造」という視点に拘り過ぎると、「差別」そのものの本質が隠れてしまう。
中上の出自が本書に多大な影響を及ぼしていることは否めない。そうであるがゆえに、著者はルポを続けながら自問を繰り返し、揺れている。
中上なら、もっと踏み込めるところでも微妙な距離を置いている。
「神武以来敗れ続けてきた闇に沈んだ国。敗れた地霊どもが眠る隠国(こもりく)」=紀州。この特異な地を客観的に見ることも、小説家の目を通してのみ視ることも許されず、時に夢と現のあわいを彷徨い 神話的世界に足を踏み入れてゆく。

デビュー以来、異形の者と感じられた中上健次が、「人が大声で語らないこと、人が他所者(よそもの)には口を閉ざすこと」を聞き出し、「埋もれ、眠り込んだ悪霊の声、マモノの声」に耳を傾け、「差別」の根源に光をあてた貴重な作品だ。

扱われているテーマの重さ、中上の文体を考えると正直読み辛い。一気に読み通せるしろものではない。しかし、一読の価値を有している。

巻末解説は著書『社会的ひきこもり』(PHP新書)で一躍知られるところとなった精神科医・斎藤環。漫画、アニメ、ゲーム、映画、小説などを精神分析の観点から鮮やかに腑分けし、文化現象、社会問題にも言及を続けている。

小学館文庫には、本編以外に「私の中の日本人 大石誠之助」「生(き)のままの子ら」が掲載されていた。前者は大逆事件で処刑された紀州出身大石に触れつつ紀州という国の理念を説き、後者は自らの出自に触れ、「差別」と「暴力」について深い考察をめぐらせている。この2篇が復刊された角川文庫に載っていないのは、やむを得ないとはいえ、残念でならない。

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旧制高校生の〈三種の神器〉本復活か?!

岩波文庫がウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』、シモーヌ・ヴェーユ『自由と社会的抑圧』、レヴィナス『全体性と無限』、ホルクハイマー/アドルノ『啓蒙の弁証法』などを出版した時も少なからぬ驚きはあった。しかし、近年、ユクスキュル/クリサート『生物から見た世界』、シュレーディンガー『生命とは何か』など、科学系のものを出していることにも目がいく。『生命とは何か』は同社が新書で発行していたこと、ベストセラーとなった福岡伸一『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)の中でシュレーディンガーが取り上げられている影響も少なからずあるのだろう。

しかし、ここに来て、坂口安吾『堕落論、日本文化私観 他二十二篇』を皮切りに安吾の文庫を続々と出版する岩波のねらいはどこにあるのだろうか。新潮、角川、集英社、ちくま、講談社文芸文庫など、「堕落論」は、掲載作品の組み合わせこそ違え、多くの出版社から既に文庫が出ている。しかも、ちくま文庫は全集だ。岩波という知的(?)ブランドを看板にしたところで、売上げ上の限界はあるはず。

そして、なんとなんと岩波は、倉田百三『愛と認識との出発』までも復刊した! 角川文庫版が絶版になって以来、文庫で読むことが叶わなかったわけだから、個人的には喜ばしい。が、底流に何があるのかはわからない。「まさか、教養主義の復興?? ならば、阿部次郎『三太郎の日記』なんかも、そう遠くないうちに出版されたりして。そこまではあるまい・・」とぶつぶつ独りごと。

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