カテゴリー「音楽」の投稿

歌の力、声の魔力 スーザン・ボイル -YouTube視聴4,300万回超え-

よほど興味のある話題を除き、普段YouTubeを利用することはほとんどないのだが、たまたま記事で見かけ,スーザン・ボイルの歌を視聴し驚愕した。もう既に日本中、いや世界中の話題を独占していることも知らなかった。

スコットランドに猫と暮らす47歳、無職の独身女性が、イギリスのオーディション番組で歌を披露する。12歳から歌ってきた彼女は、多くの人の前で歌い、歌手になりたいという夢を抱いている。町というより村の集まった田舎から出てきたという彼女の見かけはぱっとしないが、歌う前からおどけて見せたり、審査員や会場の失笑など何するものぞと、自信に漲っている。
47歳という年齢も私のひとつの側面でしかないと審査員にきっぱりと言う彼女。そう、年齢など関係ないのだ。
第一声を聴いた瞬間の人々の反応、その後の興奮は実際に視聴してご自身で確かめて見てください。(→こちらhttp://www.youtube.com/watch?v=wnmbJzH93NU&NR=1  )

何が素晴らしいか。彼女の歌には魂がこもっている。彼女の人生そのものがみごとに歌に昇華されている。そのさまが人を感動させる。人の歌声の力をあらためて深く感じさせてくれた。

曲はミュージカル『レ・ミゼラブル』から「夢やぶれて(I dreamed a dream)」。永遠に続くと思っていた夢が儚いものと知り、人生が夢を破ってしまった嘆くせつない歌なのに、彼女が歌うと不思議なことに「希望の光」が見えてくる。
低音部がややつまって伸びないようにも聞こえるが、そんな瑕疵は全く気にならない。(本格的なレッスンを受ければきっと克服されるはず)。
エンターテインメイント番組の演出も感じられはするが、最後の彼女の涙は嘘が無く、美しい。
抜群の歌唱力であることは誰もが認めるところであろう。しかし、大事なのは、歌のこころ。彼女は人の魂を揺さぶる何かを持っているように思える。これからデビューし、世界中で注目されていくなかで、彼女の原石としてのきらめきが損なわれないことを願う。

それにしても、人の歌声というものはなぜかくも魅力にあふれているのだろう。人はどうして歌に心を揺さぶられるのだろう。
人のからだを通して発せられる声は、物である楽器では決して出せない音。そして素晴らしい歌には普遍的な「物語(ストーリー)」があるからだろう。

嫌なニュースの多い昨今、清々しいものを見せてもらった。

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CMの音楽とメッセージ 映画『八甲田山』の音楽を流すCMに違和感(2)

過日、映画『八甲田山』の音楽を流すCMに違和感という記事を書いてから、芥川也寸志『八甲田山』を少なくとも30回は聴いている。

1曲目はこの音楽のテーマがやや控えめに、かつ短めに奏でられる。2曲目の雪中行軍の音楽には、生と死の対比が鮮やかに盛り込まれている。3曲目の美しい調べには、胸をしめつけられる。厳寒の中にあってやわらかな春を思い、「死」を意識せずともすむ、穏やかな世界への希いに充ちている。そして終曲。チェロとハープの寂しげな音色が、聴く者を雪の八甲田へと引き戻す。映画を観た人ならば、さまざまな場面が浮かんでくることであろう。曲は八甲田のテーマを伴いながら徐々に盛り上がり、ティンパニー、シンバルの強奏とともに終わる。

勇壮というイメージは、私には微塵も感じられない。踏破は不可能と思われていた雪中行軍ゆえ、生きて帰れぬやもしれぬという覚悟を抱いていた者も多くいたはず。しかし、誰一人「死して礎となる」つもりなどあったとは思えない。「この悲劇を忘れてはならない」。そんな芥川のメッセージと鎮魂の想いが、この曲に込められているように思えてならない。

その後2度ほど、CMを見た。ますます腹立たしくなった。1000歩譲ってこのCMに功があるとするならば(功とも言いたくはないが)、映画『八甲田山』、新田次郎『八甲田山死の彷徨』、芥川也寸志『八甲田山』などに触れる人が、新たに出てくることぐらいだろうか。

こんなもやもやとした気分を引きずる中、いいCMに出会った。サントリーオールドのCM。画面に目を向けていなかったのだが、耳慣れた「夜がくる」(小林亜星作曲)が聞こえてきた途端、懐かしさに誘われ、思わず見入ってしまった。父親役の俳優、國村隼はドラマで見かけたことはあるが、名前は知らなかった。目で演技できるいい俳優だなと思った。若い男性のせりふは入れず、字幕の方がもっといいのにと、個人的には思えたが、ひどいCMの影にとりつかれていただけに、いいもの見たなとほっとした。

30秒、60秒の短い時間であっても、CMとて、ひとつの作品だ。「残念だな・・・。嫌な奴なら一発殴れたのにな」。娘のいない私にも、ぐっとくる言葉だった。

パロディが悪いとは思っていない。楽しいCM(広告)、お腹をよじれさせてくれる面白いものも歓迎だ。不快感がなく、メッセージを伴っていれば。そのメッセージが必ずしも、何かを深く考えさせるものでなければならないとは思っていない。ソフトバンクのCMも、最初の頃のものは数バージョン見たが、奇抜で面白かった。

ネガティブアプローチの手法を取り入れ、1990年頃「史上最低の遊園地。TOSHIMAEN」で話題を呼んだ、豊島園の広告などは今もって名作だと思う。「だまされたと思って、いちど来てみてください。きっとだまされた自分に気づくはず。楽しくない遊園地の鏡として有名な豊島園は、ことしも絶好調。つまらない乗り物をたくさん用意して、二度と来ない貴方を心からお待ちしています」。

最後に、高校の後輩が制作に関わっていたと後で知り、さらに驚いた明治安田生命のCM。もう、今さらここで持ち出すまでもないのだが、You Tubeで久しぶりに見て、やはり沁みた。
私にとって小田和正といえば、なんといってもオフコース。しかも、鈴木康博が抜ける前の。『言葉にできない』は忘れられない曲のひとつ。この曲をバックに、写真と字幕のみ。スポンサー名を含み、ナレーションはいっさい無し。「ただ精一杯生きる」「あなたに会えて、ほんとうによかった」「ありがとう」。言葉にしてしまえば、一見単純そうなメッセージだが、様々な思いが込められていて、見る人それぞれに、いろいろなことを考えさせる。

こういうCMもないと、TVのCMは、商品名連呼でただうるさいだけ、購買欲を煽るだけという、陳腐なものがますます横行するようになってしまうだろう。

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クリスマスの音楽 キャスリーン・バトルとサラ・ブライトマン

キャスリーン・バトルは22年前、ニッカウヰスキーのCMの中で、「オンブラ・マイ・フ」を歌って一躍有名になったソプラノ歌手。この曲はヘンデルのオペラ『セルセ(クセルクセス)』の中のアリアなのですが、ほとんど単独で取りあげられます。「ラルゴ」とも呼ばれ、様々にアレンジされていますが、ジョージ・セルという指揮者が(歌なしの)オーケストラで美しい演奏をしています。同じCDに入っている『水上の音楽』『王宮の花火の音楽』も名演ですので、お薦めの一枚です。

話を戻します。クリスマスの季節になると、必ずバトルのCD、『きよしこの夜/バトルークリスマスを歌う』を聴きたくなってしまいます。2年ほど前までは、他のクリスマス音楽のCDと並べられているのを見かけましたが、今年は全く見かけません。どうやら品切れに近い模様。どうして?と首をかしげてしまいます。このアルバムの中の「聖夜」(アダン)、「マリアの子守歌」(レーガー)は、言葉では表現し尽くせぬ美しさに満ちています。そしてやさしい「祈り」の気持ちが伝わってきます。もちろん、シューベルト、バッハ/グノーの「アヴェ・マリア」、「きよしこの夜」、「神の御子は今宵しも」、「久しく待ちにし」なども悪くないのですが、上記2曲が突出していて、霞んでしまいます。「聖夜」と「マリアの子守歌」2曲を聴くためだけでも手元に置いておく価値がある。そんな気持ちにさせてくれる、お薦めのアルバムです。新譜が手に入らなければ、ディスクユニオンなどの中古CDショップなら見つけられるかもしれません。今年は無理でも、来年のクリスマスにいかがでしょうか。

さて、説明する必要もないほど有名なサラ・ブライトマンの『冬のシンフォニー』(デラックス・エディション)。ちょっと残念というか、80点の出来だったというのが、あくまで私の、正直な感想です。期待、求めるものが大きいからだと思います。

バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」は、彼女の歌となり、バッハではなくなっています。もし、この曲を、カンタータ147番「心と口と行いと生きざまは」のコラール(第6曲、第10曲)で聴いたことのある方なら、わかっていただけるのではないでしょうか。「アメイジング・グレイス」は、歌唱力の点では及ばなくても、ドラマ「白い巨塔」で使われた、ヘイリーの歌の方が好みという方がいても、おかしくはないと思います。表現の仕方が全く違うので。「アヴェ・マリア」は、バッハ/グノー作曲のものが収められています。彼女以外に、こうは歌えないだろうという文句のない出来です。が、「アヴェ・マリア」なら、 『アヴェ・マリア~サラ・ブライトマン・クラシックス~』に収められているシューベルトの「アヴェ・マリア」の方が断然素晴らしい。他に感じたのは、彼女にデュエット曲は向いていないのではないかということです。男性の声と溶け合わないのです。男性歌手の技量云々ではなく、彼女に合う男性の歌声というものがあるのだろうかと思えてしまうのです。

唯一不満だったのは、付録のDVD。オーケストラと美しい星空をバックに、彼女の歌だけを聴いていたいと思うのに、舞台の前にアイススケートリンクが設けられていて、歌の最中にスケーターが滑り、邪魔になるのです。特に「ランニング」の中に出てくる、彼女ならではの「ジュピター」くらい、こんな演出せずに、じっくり聴かせてほしい!と思うのは、私くらいのものでしょうか。

再びCDの曲に戻って。「イン・ザ・ブリーク・ミッドウィンター」「アイヴ・ビーン・ディス・ウェイ・ビフォア」「ハッピー・クリスマス」「若葉のころ」「ヒー・ムーヴド・スルー・ザ・フェア」。サラ・ブライトマンの良さがフルに発揮されていて素晴らしい、のひと言。そして、昔シングルレコード(ドーナツ盤)でよく聴いた「Soleado(哀しみのソレアード)」。アルバムでの曲名は「ホェン・ア・チァイルド・イズ・ボーン」。彼女の美声が静かに、、やわらかく、暖かく、こころの中に染み込んできます。

何だかんだ言ってしまったのは、どうしてもアルバム『アヴェ・マリア~サラ・ブライトマン・クラシックス~』が頭の中にあるからです。このことはまた別の機会にお話ししたいと思います。

穏やかで、心安らかな、素敵なクリスマスを!

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映画『八甲田山』の音楽を流すCMに違和感

芥川也寸志作曲『八甲田山』を愛聴している。車の中、自室でも。

映画『八甲田山』は4回観た。原作である新田次郎『八甲田山死の彷徨』も、もちろん読んでいる。日露戦争の始まる二年前、八甲田山における雪中行軍で、200名近い死者を出した悲劇を描いたものだ。

サッカーの試合、ドキュメンタリーを除くと、TVはほとんど見なくなっている。たまたま見ていたニュース番組内の某携帯電話のCMで、突然八甲田山の音楽が流れてきた。CMの情景との齟齬に耳を疑った。制作者の意図が全くわからなかった。ネットで調べ、事情がわかり、さらに呆れた。CMに登場する犬の声は、映画で神田大尉役を演じた、北大路欣也の声だということ。で、『八甲田山』?
新田次郎、作曲した芥川也寸志が生きていたら何と言うだろう。
大手広告代理店がからんだ、たかが企業のCM。目くじら立てることのほどではないという声があろうと、この違和感は拭えない。

映画『八甲田山』には、忘れられない場面がある。高倉健演ずる徳島大尉が、雪の山中を案内してくれた村の娘さわ(秋吉久美子)に対し、「案内人殿」とよびかけ、三十一聯隊の兵士とともに最敬礼する場面。もうひとつ、今は亡き緒方拳演ずる白髪の老人が、生き残った兵士として、映画の最後に花の咲き乱れる八甲田山を訪れる場面。雪の八甲田とはあまりにもかけ離れた、美しい情景。いずれも、原作にはない設定ではあるが。
芥川也寸志の音楽も、単なる映画音楽と呼べないほどの完成度をもった、名曲だと思う。

八甲田山における悲劇という史実を考慮しない音楽の採用。良識を疑う。

※その後、同CMを何度か見て抱いた感想を改めて書いてみた。興味のある方はそちらもどうぞ。 CMの音楽とメッセージ 映画『八甲田山』の音楽を流すCMに違和感(2)

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〔雑記〕 ベット・ミドラー『ローズ』から始まった脈絡のない連鎖

なかなか寝付けずにいると、昨日、車の中で聴いたベット・ミドラーの『ローズ』が甦ってきた。真夜中なので、ミニコンポで、音を絞り、20回ほど連続で聴く。ジャニス・ジョッブリンの短い生涯を描いた映画の最後に流れる、このあまりにも有名な曲の説明は不要だろう。

Just remember in the winter
Far beneath the bitter snows
Lies the seed that with the sun's love
In the spring becomes the rose

この曲から、「希望」という言葉が浮かんでくる。

ある青年にナイフを突きつけられ、「希望を語れますか」と問われた時に、
「語るべき希望などない」と答えると、「あなたが今希望を語ったなら、あなたを刺していた」
蜷川幸雄『千のナイフ、千の目』の中に、そんなくだりがあったことを思い出す。

同じ「希望」でも、質が違いすぎる。

「希望」・・・突然、岸洋子の歌『希望』が耳に。流行ったのは小学生の頃だ。深い意味などわかるはずもなかったが、訴えかけてくるものがあった。続いて、弘田美枝子『人形の家』、奥村チヨ『終着駅』。もの悲しい歌ばかり甦ってくる。これも小学生の時に聴いていたはずだ。

突然、エディット・ピアフ『愛の賛歌』が聴きたくなる。10回ほど繰り返し聴く。
初めて耳にした時、その声に、震えた。歌詞の意味などわからない。
なのに、自らの命を削っているように感じられた。
その後、飛行機事故で亡くなった恋人へ捧げた歌だと知る。

希望と諦念? 希望と絶望? そんな単純なものではないはず。

説明しようのない、音楽と言葉の脈絡のない連鎖。

窓の外が明るくなってきた。

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