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自分の『生きる』を侵そうとするものと戦う

新潮社『考える人』編集長・河野通和さんから届いたメルマガ(4月14日分)の一部を紹介したい。今の日本の状況下で「生きる」ということを考える上で、とても心に響くものだった。

→ http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/mailmag_html/438.html

まず、谷川俊太郎の人口に膾炙している詩『生きる』を引いている。

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽びがまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと

そして、次のように語る。

誰しも気がつく冒頭2行のリフレインの鮮やかさ。折り返されてドキリとする2行目の「いま」の2文字が、いつにもまして胸に迫るのは、私たちが3・11を経験してしまったからに他なりません。続く5行では、人間の五感(味覚、視覚、聴覚、嗅覚、触覚)を通して感得される「生きる」イメージが挙げられていきますが、渇きをいやすことも、太陽の光を感じることも、記憶をふたたび蘇らせることも、くしゃみも、ましてや人のぬくもりに触れることも、亡くなった人たちにはすべて叶わぬことばかりです。つまり、このひと月というもの、私たちは「生きる」という詩のネガの現実を生きてきたようなものです。だから2行目の「いま」の2文字によけいにドキリとさせられるのだと思います。言い換えれば、「死」の合わせ鏡によって「生きる」ということをより深く考えるようになった、とも言えます。

その通りだと思う。東日本大震災の地震と津波は、被災しなかった者の心にもはかりしれない衝撃とともに大きな傷を与えた。そして一向に収まりそうにない原発への限りない不安。
このため、日常と非日常の堺が崩れ、相互に浸透し、世界全体が皮膜に覆われているかの如く見えてしまう。
これまでと同じ事をするにも力を要し、同じように振る舞えたと思っても何かが違うという違和感を少なからず抱いてしまう。そんな気持ちになりはしないだろうか。

それでも、多くの人がこの日本で生きていくため、或いは生き残ろうとしたら何が必要か、何をなすべきかを、今までにないくらい真剣に考え始めている。
生きることの切実さを痛感していると思う。

装幀家・菊地信義の著書『みんなの「生きる」をデザインしよう』(白水社)が河野氏に谷川の詩を想起させた。
こどもたちに自分自身の「生きる」を見つけさせることをテーマにした授業が下敷きになっているらしい。

菊地氏はこどもたちに「詩や小説を読むというのは、実は本に書かれてあることを読んでいるのではなくて、自分自身を読んでいるのだ」と話し、思い思いに自分の「生きる」を表現させる。

・「シュートを打つこと。サッカー」・「澄み切った空気をすうこと」
・「本を読むということ」・「夢をもつこと」
・「未来に向かって歩むこと」・「ものごとを達成しようとしてドキドキしているとき」
・「涙を流すこと」・「星がきれいだと思うこと」
・「友だちと遊ぶこと」・「夜寝て、朝起きられること」等がこどもたちの答え。

それを受け、菊地氏の語る言葉が真摯で誠実で、重い。
(以下はメルマガからの孫引きです)

ぼくはこう思う。
ひとりひとりの五感と言ったけど、五感をまとめた感覚。
ひとりひとりの感覚と、
その人が生きてきた、嬉しかったこと悲しかったことなど過去の記憶と、
これからどうやって生きていこうか、憧れや希望、という未来を、
愛しいもの、大切なものとして
慈しみ、愛し、
これだけはだれにもゆずれないとしっかり思うこと。
それを侵そうとするものと戦うことだ。
ぼくはそう思う。
「生きるってことは、自分の『生きる』を侵そうとするものと戦うこと」
これがぼくの「生きる」だ――〉

自分の『生きる』を侵そうとするものと戦う・・・

この思いを共有する日本人はいま確実に増えているに違いない。
いや、増えているはずだと、私は信じている。

新潮社『考える人』編集長・河野通和さんのメルマガは無料配信。
→ http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/

お勧めします。

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コメント

『詩や小説を読むというのは、実は本に書かれてあることを読んでいるのではなくて、自分自身を読んでいる』

気の置けない友人と、昔話をする事も、同じように思っていました。

震災は、父達にとっての戦争を理解し難く、
遠目で見ていた事柄を、また、僕らの世代にも、
与えました。

先日は、あまり話も出来なかったけれど、
いつもの様に、出来ないのも解るから、
集まりたい大切な友人でした。

震災は大袈裟でなく、人生を変える
出来事です。

ゆっくり話も出来なかったけれど、
また、遠からず会いましょう。

投稿: えんたか | 2011年4月27日 (水曜日) 00:50

先日は皆に声をかけてくれてありがとう。
母の事もあって一足先に失礼したけれど、久しぶりに心が緩やかにほぐれ、貴重なひと時でした。

同時に、敢えて言葉では多くを語らなかったけれど、今回の震災が集まった皆に大きな影響を及ぼし、今置かれている立場で各人が考え、ある種の覚悟を決めていることも感じられました。

違った道を歩みながら、30年以上の月日が流れても共感し合える友たちの存在を心強く思いました。

連むことなく、個として向き合ってきたからではないかと思えます。

また折りを見て会いましょう。当日あまり話せなかったからね。


投稿: 風太郎 | 2011年4月27日 (水曜日) 04:47

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