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本物の言葉

「被災地 医療活動」でグーグルを検索していたら、<被災地の陸前高田に医療活動に入った看護師の10日間 PT-OT-ST.NET>が目に留まり、読んでみた。
尽きせぬ思いがあふれてきた。
ありきたりの政府、東電批判にいい加減うんざりしていたので、多くのことをあらためて考えさせてくれた。

「JKTS」 ・・・被災地へ医療スタッフとして行ってきました。 短い間でしたが貴重な体験となりました。 http://blog.goo.ne.jp/flower-wing

※1~14までの長い記事の総コメント数が2000を超えている。多くの方が感銘をもって読まれたようだ。私はやらないので知らなかったが、ツイッターで広まったらしい。

3月25日の朝日新聞夕刊に、作家・あさのあつこがコメントを寄せていた。
新聞、普段はめったに読まない週刊誌、見ることないテレビなどを通じ多くのことが語られるのを読み、聞いてきた。
自らの不安を解消するためとしか思えない、開き直りとしかとれない、或いは無神経な言説が渦巻くなかで、あさのあつこの言葉はまっすぐ届いてきた。一部を引用する。

試されているのだと思う。言葉の力が試されている。
おまえはどんなことばを今、発するのだとこれほど厳しく鋭く問われている時はないのではないか。被災地に必要なのは、今は言葉ではない。物質であり人材であり情報だ。けれど、まもなく本物の言葉が必要となってくる。半年後、1年後、10年後、どういう言葉で3月11日以降語っているのか、語り続けられるのか。ただの悲劇や感動話や健気な物語に貶めてはならない。ましてや過去のものとして忘れ去ってはならない。剥き出しになったものと対峙し、言葉を綴り続ける。それができるのかどうか。問われているのは、わたし自身だ。

体育館が避難所となっている階上中学校の卒業式答辞で、人間の無力さに打ちひしがれ、悔しくて辛くてたまらないと涙声で訴える中学生がいた。
その彼が最後にこう云った。
「それでも、私たちは天を恨まず、助け合って生きていこうと思います。それが私たちの使命だからです。」
彼が「ヨブ記」のことを知っているかはわからない。
しかしそれとは関わりなく、この言葉に、今なお想像も及ばぬ困難な状況下で苦しんでいる被災地の方々の強い意思が映し出されているように思われ、力をもらった。

今回の地震、津波、原発事故で多くのものが壊れ、壊れつつある。
もう手持ちの札では、埋め合わせることはできないのかもしれない。
ならば、個の自覚のもと、不安に押し潰されず、しっかりと立つしかない。
新たな道を切り拓いていくために。

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コメント

ご無沙汰しています。もす文庫です。
看護師さんのブログ読みました。いろいろ考えさせられました。
危機的な状況に何ができるか?と考えた時に、自分が今の仕事を選んだ理由とか、意味とか、見えてくるのかもしれません。
恥ずかしながら、自分のこと、家のことしか考えられていませんが…。
またお会いできることを楽しみにしています。
では。

投稿: masubon | 2011年4月15日 (金曜日) 10:12

masubonさん

避難生活は不自由だけでなく、心身の疲労が蓄積される一方でさぞたいへんではないかと、案じています。福島は原発の問題があるので、いっそう辛いものがあるのではないでしょうか。
被災地ではない東京にいてさえ、不安を拭い去ることはできないのですから。

自分の立ち位置と、日本の行く末をこれほどまで切実に考えねばならないことになるとは思いもしませんでした。
しかし、生きている限り、目を逸らすことなく立ち向かっていくしかありませんよね。

私も要介護の母がいるため、余裕はほとんどなく、身の回りのことを優先せざるを得ません。
それでも、何が起きているのかを見定め、自分がどの道を選ぶべきかは、絶えず考えていくつもりでいます。

また会える日が必ずあると、念じています。
どうかお気をつけて。

投稿: 風太郎 | 2011年4月16日 (土曜日) 01:08

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