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試される

暗澹たる思いは深まるばかりだ。
16年前に大阪の天満橋にいた時に発生した阪神・淡路大震災の記憶が甦って来て苦しくなる。
今回の津波はあの時とは違う。だが、瞬時にして多くの人の生命を奪い、残された人々を生き地獄へと引きずり込んだ点では変わりはない。
自然の猛威は、人間の予想を遙かに超えて襲いかかってくる。
「なぜ?」と問うても、答えなど見つからない。
被災した方々に直接手を差し伸べられなくても、わたしたち一人一人が考えなくてはならないことは、ある。できることはあるはずだ。

・阪神大震災から14年(1)
http://ramble-in-books.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-3bff.html
・阪神大震災から14年(2)
http://ramble-in-books.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-1b34.html

かつてブログで書いたように、このような時にこそ、人の「こころ」の在り方が問われるのではないだろうか。

直接大きな被害を受けなかった者にも、その時が来た。

今日から輪番停電が始まる。
電気が使えないとどうなるのか。
しかも地域によって時間帯がバラバラで、4月末まで続くかもしれないという。
思いも寄らなかった事態が続出するに違いない。生活、仕事両面で。

国や都などの行政、東京電力を頼るわけにはいかない。対応がひどいと文句を言ったところでどうにもならないことが多々起こり得ると思う。
対岸の火事ではないのだということを身に沁みて感じることになるだろう。
こんな時にも被災地の方々の苦しみを思い、或いは今自分の生活圏で接する高齢者を含めた弱い人たちのことを思えるか。パニックを起こさず、事に処せるか。
一人一人が試されるのだ。

携帯やパソコンを駆使し情報を入手することのできない人が、首都圏にも数多く存在することを忘れずにいたいと思う。

我が家にも車いすでしか移動できない母がいるので、いつ起きるとも知れぬ地震(大きな余震)のことは正直不安だ。しかし、そんなことは私事でしかない状況が訪れようとしている。

亡くなられた多くの方々を悼み、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

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コメント

はじめまして
haruと申します。
私は関東に住んでおり、
今回の大災害の直接的被害は殆どないのですが、
辺見庸さんの言葉を思い出し、キーワード検索をしたところ、
こちらに詳細にご紹介されていたので、勝手に申し訳ありませんが、アドレスをご紹介させて頂きました。
問題がありましたらすぐ取消致します。
http://haruocarina.at.webry.info/

阪神淡路大震災の時は現地に入りましたが、今回は自分の命との天秤にかけられるような思いです。

投稿: haru | 2011年3月16日 (水曜日) 23:59

haruさま

ご返事がたいへん遅くなっていまい、すみませんでした。

自分の思いを表現する言葉をずっと見つけられずにいました。
というより、語ろうとすると、「それが何なのだ」というもう一人の自分の声が響いてきて、躊躇してしまう。
そんな日々が続いていました。

様々な理由で、ぷっつり言葉を断ってしまうことがこれまで何度もありました。ご容赦ください。

haruさんも阪神淡路大震災の時には被災地に足を踏み入れたとのこと。あの光景を目の当たりにすると、決して忘れられませんね。いや、忘れてはならないと思います。

今回の東日本大震災はあの時以上の猛威だったことや、原発の問題も絡んでいることを考えると、私たち日本人すべてが試されるのではないかと思えます。

辺見庸が3月15日に発売された「朝日ジャーナル」に寄稿した文章は、今回の震災を考える上でとても意義のあるものだと思いました。未読でしたら、是非読んでみてください。

投稿: 風太郎 | 2011年3月30日 (水曜日) 03:43

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