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2011年3月

本物の言葉

「被災地 医療活動」でグーグルを検索していたら、<被災地の陸前高田に医療活動に入った看護師の10日間 PT-OT-ST.NET>が目に留まり、読んでみた。
尽きせぬ思いがあふれてきた。
ありきたりの政府、東電批判にいい加減うんざりしていたので、多くのことをあらためて考えさせてくれた。

「JKTS」 ・・・被災地へ医療スタッフとして行ってきました。 短い間でしたが貴重な体験となりました。 http://blog.goo.ne.jp/flower-wing

※1~14までの長い記事の総コメント数が2000を超えている。多くの方が感銘をもって読まれたようだ。私はやらないので知らなかったが、ツイッターで広まったらしい。

3月25日の朝日新聞夕刊に、作家・あさのあつこがコメントを寄せていた。
新聞、普段はめったに読まない週刊誌、見ることないテレビなどを通じ多くのことが語られるのを読み、聞いてきた。
自らの不安を解消するためとしか思えない、開き直りとしかとれない、或いは無神経な言説が渦巻くなかで、あさのあつこの言葉はまっすぐ届いてきた。一部を引用する。

試されているのだと思う。言葉の力が試されている。
おまえはどんなことばを今、発するのだとこれほど厳しく鋭く問われている時はないのではないか。被災地に必要なのは、今は言葉ではない。物質であり人材であり情報だ。けれど、まもなく本物の言葉が必要となってくる。半年後、1年後、10年後、どういう言葉で3月11日以降語っているのか、語り続けられるのか。ただの悲劇や感動話や健気な物語に貶めてはならない。ましてや過去のものとして忘れ去ってはならない。剥き出しになったものと対峙し、言葉を綴り続ける。それができるのかどうか。問われているのは、わたし自身だ。

体育館が避難所となっている階上中学校の卒業式答辞で、人間の無力さに打ちひしがれ、悔しくて辛くてたまらないと涙声で訴える中学生がいた。
その彼が最後にこう云った。
「それでも、私たちは天を恨まず、助け合って生きていこうと思います。それが私たちの使命だからです。」
彼が「ヨブ記」のことを知っているかはわからない。
しかしそれとは関わりなく、この言葉に、今なお想像も及ばぬ困難な状況下で苦しんでいる被災地の方々の強い意思が映し出されているように思われ、力をもらった。

今回の地震、津波、原発事故で多くのものが壊れ、壊れつつある。
もう手持ちの札では、埋め合わせることはできないのかもしれない。
ならば、個の自覚のもと、不安に押し潰されず、しっかりと立つしかない。
新たな道を切り拓いていくために。

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試される

暗澹たる思いは深まるばかりだ。
16年前に大阪の天満橋にいた時に発生した阪神・淡路大震災の記憶が甦って来て苦しくなる。
今回の津波はあの時とは違う。だが、瞬時にして多くの人の生命を奪い、残された人々を生き地獄へと引きずり込んだ点では変わりはない。
自然の猛威は、人間の予想を遙かに超えて襲いかかってくる。
「なぜ?」と問うても、答えなど見つからない。
被災した方々に直接手を差し伸べられなくても、わたしたち一人一人が考えなくてはならないことは、ある。できることはあるはずだ。

・阪神大震災から14年(1)
http://ramble-in-books.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-3bff.html
・阪神大震災から14年(2)
http://ramble-in-books.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-1b34.html

かつてブログで書いたように、このような時にこそ、人の「こころ」の在り方が問われるのではないだろうか。

直接大きな被害を受けなかった者にも、その時が来た。

今日から輪番停電が始まる。
電気が使えないとどうなるのか。
しかも地域によって時間帯がバラバラで、4月末まで続くかもしれないという。
思いも寄らなかった事態が続出するに違いない。生活、仕事両面で。

国や都などの行政、東京電力を頼るわけにはいかない。対応がひどいと文句を言ったところでどうにもならないことが多々起こり得ると思う。
対岸の火事ではないのだということを身に沁みて感じることになるだろう。
こんな時にも被災地の方々の苦しみを思い、或いは今自分の生活圏で接する高齢者を含めた弱い人たちのことを思えるか。パニックを起こさず、事に処せるか。
一人一人が試されるのだ。

携帯やパソコンを駆使し情報を入手することのできない人が、首都圏にも数多く存在することを忘れずにいたいと思う。

我が家にも車いすでしか移動できない母がいるので、いつ起きるとも知れぬ地震(大きな余震)のことは正直不安だ。しかし、そんなことは私事でしかない状況が訪れようとしている。

亡くなられた多くの方々を悼み、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

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小林研一郎のチャイコフスキーを堪能

もう何年も結婚記念日らしいことはせずにいたが、母が再入院中で二人とも予定がない週末だったので、6日(日)午後、コンサートに出かけた。突然の思いつきだったために、土曜に行こうと思ったコンサート(NHK交響楽団)は全席完売。この不景気ゆえ、前日でも席を確保できるだろうと思ったのが甘かった。意外ではあったが、どこか嬉しくもある。
諦めかけていたら妻がよさそうなのを見つけた。残席わずかのところすべり込み。
小林研一郎指揮日本フィルハーモニー交響楽団「どりーむコンサート」(於 府中の森芸術劇場)。
小林研一郎を初めて聴いたのはLPレコードによるチャイコフスキー『交響曲第5番』。(今倉庫に預けてあるためオケと録音年はわからず)。この曲を含め4・5・6番といえばムラヴィンスキーと思っていたので、日本人指揮者の演奏としては熱く、鮮烈な印象だった。
その後はチェコ・フィルハーモニー管弦楽団による5番はCDで聴いた。もっと激しい演奏かと思っていた分、やや食い足りなかったものの、テンポの動かし方が素晴らしく、チェコ・フィルの艶のある美音も加わった見事な演奏。十八番中の十八番というのも肯ける。

そして初めての生演奏。これまで聴いて来なかったことを悔いるほどの素晴らしいものだった。
1曲目は入江一雄ピアノによるチャイコフスキー『ピアノ協奏曲第1番』。現在東京藝術大学大学院在籍中の若き俊英(25歳)。安定したテクニックで余裕を持って弾きこなし、音も美しく好感を持てた。欲を云えば、もう少し表現にこくがあればと思ったが、満足。

さて、2曲目はメインの『交響曲第6番 悲愴』。暗譜で指揮。一音一音意味を込めて表現する姿勢にただただ感服。日本のオケにもこんな演奏ができるのかと不明を恥じる。
何というリズム感。まさしく緩急自在。徒に音を粘らせ、表面的な美しさに頼らない。オケに無理矢理音を出させるのではなく、奥深くから引き出している。全曲通じて弛緩するところの無い演奏など、そうあるものではない。

第3楽章などの終わりなど、一糸乱れず、弦と管が見事なバランスを保ち、恰もここがこの楽章の最終目的地と云わんばかりの見通しのよさで酔わせてくれた。
思わず拍手しそうになってしまうほどに。

実際、抑えきれない聴衆の一部が歓喜のあまり声をあげ、拍手してしまった。3楽章の終わりを曲の終わりと勘違いしたものには、私には思えなかった。

数年に一回聴くかどうか、ある意味聴き飽きているとも云えるこの曲を、今そこで生まれている音楽のように聴かせてくれた。
決して奇を衒った演奏ではなかっただけに、これは特筆すべきことである。
生の演奏は一回性のもので、鳴った後から消えてゆく、儚いものでもある。

それだけに、惰性で流したり、音をないがしろにすることなく、ありったけの思いを込めて音楽を築き上げてゆく小林研一郎という指揮者の、音楽への尽きせぬ愛情、凄味を感じることができた。

もちろん、指揮者に応え、指揮者自らが(聴衆に向かって)魂の演奏と讃えたように、日本フィルハーモニー交響楽団の質の高さも光っていた。

チャイコフスキーの生演奏はムラヴィンスキーに2度振られ(来日中止のため)、地元のホールで聴いたシノーポリの演奏が、音響の悪さに加え、オケの流すような演奏ゆえ、記憶にさえ残らぬものだっただけに、これまでまともな演奏を聴いた記憶がほとんどない。(コンサートを聴く回数が少ないともいえるが) 唯一印象に残っているのは、ムラヴィンスキーの代理でマリス・ヤンソンスが振った5番。これは初めて聴くレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団の音に度肝を抜かれたことが大きい。

ようやく、満足のいくチャイコフスキーの実演に接することができた。初めて生を聴いたにも拘わらず、小林研一郎は「CDよりも実演で聴く方が、その真価を味わえるのではないか」という印象を抱いた。
小林研一郎のチャイコフスキー『交響曲第5番』、何としても生で聴きたいと思う。

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「第9回 鬼子母神通り みちくさ市」 回顧 (2)

3ヶ月経ってしまいましたが、昨年11月にと<みきち屋>として出店した「第9回 鬼子母神通り みちくさ市」の回顧その(2)になります。

■庄野潤三『文学交友録』(新潮文庫)
■岩田靖夫『よく生きる』(ちくま新書) ほか3冊

年輩の男性に購入いただく。岩田靖夫『よく生きる』が引き取ってもらえるか否かは気に掛かっていた。同著者による『ヨーロッパ思想入門』は、岩波ジュニア新書として出ているからといって決して軽んじることはできない名著だと思う。『よく生きる』(ちくま新書)は、タイトルこそ人生論かと思わせかねない難を抱えているが、中身はしっかりとしたものだ。
ここでもギリシア哲学、キリスト教思想をベースにした思考がめぐらされており、就中レヴィナスの「他者」論には目を開かされた。
ジョン・ロールズ、ロバート・ノージック、チャールズ・テイラーらに触れ、国家論を展開しているところは20頁ほどだったので、もっと書いて欲しかったという印象は拭えない。しかし、今流行の正義と善、リベラリズムとコミュニタリアニズムという対立枠に絞らず平易に語っている文章は光っている。

■イエイツ『幻想録』(ちくま学芸文庫)
■北川透『荒地論 戦後詩の生成と変容』(思潮社)
いつも笑顔で、必ず2回足を運んでくださるYさん。春の一箱で笠井潔『テロルの現象学』を買っていただき、そこから購入される本の予測がつかなくなってしまいました。
笠井潔は昔ほど面白くないというYさん。そういうところも確かにあるなあ。実際、矢吹駆の登場しない『青銅の悲劇 瀕死の王』(講談社)は期待外れだった。『例外社会』(朝日新聞出版)は購入したもののまだ手つかず。
矢吹駆シリーズは2作分発表を終えているみたいだが、推敲、書き直しにすごく時間をかける作家だから、出版はいつになるのか。これは期待したい。
Yさん、他を見て回ってからいつも通り戻って来られ、2冊追加購入してくれました。

■木山捷平『耳学問・尋三の春』(旺文社文庫)
■パステルナーク『ドクトル・ジバゴ 上・下』(新潮文庫)

当店で一番若い常連のお客様。なんといっても高校生ですから。これで<とみきち屋>が参加した7回すべて購入いただいたことになる。ありがたいことです。
「木山捷平とは渋い」などという感想は、もうこの方には似合わない。それくらいの読書家(だと思えるのです)。
しかし『ドクトル・ジバゴ』には驚きました。映画でさえ観る若者はほとんどいないのではないか。
パステルナークといえば、荒川洋治が昨年刊行された『リュヴェルスの少女時代』(未知谷)を推奨しているので読んでみたいと思いながら未読。
『考える人 紀行文学を読もう』(2011年冬号・新潮社)の中の<私の好きな旅の本ベスト3>でも同書を入れていますね。荒川さんは「散文と散文詩を行き来する作者の旅」と評している。

高校同級のIが息子さんを連れて来てくれた。わりあい近くに住んでいることは、30年振りの同窓会で知った。I本人はうちが出している類の本は読まないようで、中学生の息子さんに「何かお薦めはないか?」と訊かれる。
これには困った。中学生向けの本あったかなあ…。それで息子さんに「どんな本読んでるの?」と尋ねてみた。
「打海文三が好きです」
「?!」
「『裸者と裸者』『愚者と愚者』も好きで、シリーズは全部読んでます」
「おじさんは『ハルビンカフェ』までしか読んでないなあ。3年前に亡くなられたね」
「そう、残念です。もう読めないから」

中学生の口から打海文三の名前が出てくるなんて予想だにしなかった。
タイトルに引かれ『時には懺悔を』(角川書店)を読んだのは15年も前。
二分脊椎症、水頭症を患い、医者からは「生きているのが奇跡」と言われるほどの障害を持った子どもをめぐり、事件に関わる者たちが思いをめぐらせるという重いテーマの作品だった。障害児は、それぞれの人間の鏡となり、問いを投げかけてくる。
みちくさ市後に角川文庫で読み返した(3回目かな・・・)が、やはりぐっと来る。
贅肉を削ぎ落とされたような文章に物足りなさを感じるかも知れないが、深く美しい。
「みんなが○○を励ましているかのようですね」という一人の言葉に、もう一人の男がこう答える。
「逆だよ」「みんなが○○に励まされているんだ。声をかけている本人もそれをわかっているさ」
(○○は障害をもった子の名前)
障害を持った子の父親であった著者の表現だけに、いっそうの重みを感じる。

Iの息子さんにまた会える機会があった時に、どんな本を紹介すればいいかと悩むのも、楽しいものだ。

開店前に声をかけてくださった年輩のご婦人が、約束通りいらして、佐野洋子『問題があります』を購入してくださいました。嬉しいことです。後から知ったのですが、既にお持ちだったとのこと。
私は今も2冊持っていますが、どうされたかなあと思ったりしています。

母の入院もあって、(2010年)4月29日以来、久しぶりの古本市参加でしたが、多くの方にお越しいただき、おかげさまで132冊の本が旅立っていきました。ありがとうございます。
持ち込んだのは約180冊、平均単価は316円となりました。

佐野洋子さんの追悼特集は27冊中25冊引き取っていただき嬉しい限りです。改めて佐野さんの人気を、そしてその死を惜しむ方が多いのを肌で感じました。
これからも、佐野さんの作品は出品していきたいと思います。

エピソードで触れた以外で、お買い上げいただいた本の一部を最後に紹介します。

■海野弘『本を旅する』(ポプラ社)
■『稲垣足穂の世界 タルホスコープ』(平凡社)
■小田実・安岡章太郎『大逃走論』(毎日新聞社)
■『KAWADE夢ムック 三島由起夫』(河出書房新社)
■富岡多恵子『中勘助の恋』(平凡社ライブラリー)
■正宗白鳥『自然主義文学盛衰史』(講談社文芸文庫)
■大西巨人『五里霧』(講談社文芸文庫)
■浅見淵『燈火頬杖』(ウェッジ文庫)
■日下三蔵編『水谷準集 おそれ・みお』(ちくま文庫)
■内田百閒『芥川龍之介雑記帖』(河出文庫)
カートをひいた70代と思われる女性に購入いただく。
■ルドルフ・ヘス『アウシュヴィッツ収容所』(講談社学術文庫)
■トロツキー『ニーチェからスターリンへ』(光文社古典新訳文庫)
■アラン・ロブ・グリエ『快楽の館』(河出文庫)
■堀口大學訳『月下の一群』(新潮文庫)
■山口昌男『学問の春』(平凡社新書)
■ブルトン『ナジャ』(白水Uブックス)
3歳くらいのお嬢さんを連れた女性に購入いただく。
■ジュリアン・グラック『アルゴールの城にて』(白水Uブックス)

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