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こんな本を(2)

久しぶりの休日休み。地元馴染みの古書店に出かけ、至福の時間を享受。昼間だったので、客の出入りも多く、店主との会話は短め。

■キルケゴール『誘惑者の日記』(ちくま学芸文庫)■リラダン『未来のイヴ 上・下』(岩波文庫)■庄野潤三『野菜讃歌』(講談社文芸文庫)購入。

庄野潤三の随筆はまだ出たばかりではなかったか。この一年、いい本を早めに、或いはきれいな状態で処分してくれる新しい客が何人かついたようで、その恩恵に与ることがふえてきた。

『野菜讃歌』は佐伯一麦による解説がいい。<チャールズ・ラムに親しみ、「平明で、悠々としていて、しかも胸に迫ってくる」表現を目指した庄野潤三によって差し出された、手のひらで自分から触れさすった人生の断片断片が、目に見えぬ波紋となって、こちらに伝わってくる>
たとえ庄野潤三ファンでなくとも、思わず手にしてみたくなる。

暮れから正月の休みを除いた12月から1月は、仕事帰りに、土日も含めほぼ毎日のように閉店(23時)間際の20分ほど、地元のブックオフに寄る機会があったので、定点観測できた。単行本500円均一、雑誌半額セールも多かった。カウンター横のストッカーに翌日出し予定の本が補充されたばかりという時も多く、おっというものも結構目にし、いただいた。
かなり前から購入しなくなったレコード芸術のバックナンバーが30冊ほど大量に出ていて、半額53円に惹かれ、10冊も買ってしまった。ワルター、トスカニーニ、クレンペラー、プッチーニ、黄金の50年代、名録音列伝ほか読みたい特集が掲載されている号をメインに。図書館でコピーすることを考えてもはるかに安上がりだ。必要なところだけ切り取って、残りは即資源ゴミに出した。

ブックオフ500円(単行本均一セール)購入本

■栗原裕一郎『<盗作>の文学史』(新曜社)

500頁に及ぼうかという大部の労作を、この値段で入手するのは著者に申し訳ないなと思いつつ購入。「この本は読んでおかねば」と思いながら、一年半近い月日が流れてしまった。
「盗作」「盗用」「剽窃」「無断引用」「借用」「無断借用」などのマスコミが使うジャーゴンと、司法判断の絡む「著作権侵害」は一線を画するものとして、これまでの盗作問題に触れると著者は「まえがき」に書いている。かような視点は自分にも明確には無かったので、とても興味深い。

■柳田邦男『新・がん50人の勇気』(文藝春秋)

『ガン50人の勇気』の出版が1981年だから、四半世紀以上経ての第二弾になる。1986年には『「死の医学」への序章』が出版され2作とも深く心に刻まれている。以来、同著者によるこの分野の本は欠かさず読むようになった。
「自身が同じ境遇になったら、どう受けとめていけるか」。そんな思いで読むわけではない。ほんとうの苦悩は本人にしかわからないと思えるから。だらしない自分の生き方を突きつけられるばかりだ。
近しい人が病に罹ったとき、どう気持ちを寄せていけばいいのか、その縁となればという、考えようによっては情けない動機で繙いていると言えなくもない。

■加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)

この本、昨年の夏に出版されて以来かなり売れているようだ。
『戦争の日本近現代史』(講談社現代新書)における、「なぜ戦争になったのか」「深いところで人々を突き動かした力は何だったのか」を問うために、戦争を相互性という観点で捉える著者のスタンスは新鮮でもあったが、一般民衆(国民)の認識の変化を描くという点ではもの足りず、為政者側や各国の思惑、国家間のパワーバランスの説明に傾いているのでは、という印象を拭えなかった。文章もこなれておらず、やや読みにくかった。
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』は、高校生相手の講義をまとめたもので、新書では扱われなかった太平洋戦争に触れているだけではなく、序章において9・11テロ、南北戦争、ベトナム戦争、E・Hカーの歴史観にも言及しているようなので、期待したい。

■古井由吉『人生の色気』(新潮社)
■青海健『三島由紀夫の帰還』(小沢書店)
■仲正昌樹『<学問>の取扱説明書』(作品社)

ブックオフ105円購入本

■『植草甚一スタイル』(平凡社・コロナブックス)

昨年ナンダロウ(南陀楼綾繁)さんと津野海太郎さんのトークを聞き、津野さんの『したくないことはしない 植草甚一の青春』(新潮社)を読んでから、俄然興味が湧いてきた。(正直それまでは、自分の読書対象から外れていた)
その途端、こういう本が飛び込んで来るのだから何とも不思議なものだ。スクラック・ブック、コラージュ、イラスト、手紙など何度も何度も食い入るように見てしまう。

■青澤唯夫『名指揮者との対話』(春秋社)
ケーゲル、クレンペラー、チェリビダッケとの対話が魅力。
■車谷長吉『文士の生魑魅』(新潮社)
■森川哲郎『暗殺百年史』(図書出版社)
■『アメリカの中の原爆論争-戦後五〇年スミソニアン展示の波紋-』(ダイヤモンド社)

■加藤清・鎌田東二『霊性の時代 これからの精神のかたち』(春秋社)

鎌田東二の本は、中上健次との対談『言霊の天地―宇宙・神話・魂を語る』(主婦の友社)を読んで以来になるかな。帯に「新たなスピリチュアリティへ」と謳ってあったので迷ったが、パラパラ読んでみたら(対談相手の精神科医・加藤清も相当な変わり者だが)、シモーヌ・ヴェイユのことを「創造の病」と捉え、親鸞との類似性を語っているところが面白く、読んでみようと思った。

■五味川純平『人間の條件』上・中・下(岩波現代文庫)

昔読んだのは、三一新書(学生の頃だったので売ってしまった)。棚を眺めていたら厚い3冊の文庫本が目に飛び込んできた。岩波現代文庫に入っていたとは。読み返してみたくなる。

■木村敏『偶然性の精神病理』(岩波現代文庫)
■廣松渉『唯物史観と国家論』(講談社学術文庫)
上記2冊は以前単行本で読んだものを買い戻したかたち。

■西谷修『不死のワンダーランド 戦争の世紀を超えて』(講談社学術文庫)

ハイデガーが説く「死」と「存在」の問題に、レヴィナス、バタイユ、ブランショの思想を対比させ、彼らのテキストから次のような教えを読み解いている。

ひとが死とほんとうに関わるのは主体としではなく、「私」の固有性を形成する力を失いつつ、つまりは死を「私の死」として保持する力を失いつつ、固有性の解体の中なかで、誰にも属さない無縁な死に包まれながらその死の圏域に呑み込まれてゆくのであり、ひとはついに死を手に入れることなく、主体として完結することなく消滅してゆく。

アウシュヴィッツ、戦争、テクノロジーの進化、核、あるいはまた尊厳死、脳死まで多くの問題のなかに、ひとを固有の「死」から遠ざけさせるものが潜んでいることを示唆する本書は、読むに値すると思えた。

■久松真一『東洋的無』(講談社学術文庫)
■デューイ『哲学の改造』(岩波文庫)
■フィヒテ『ドイツ国民に告ぐ』(岩波文庫)
■ワーグナア『芸術と革命』(岩波文庫)
■三島由紀夫『荒野より』(中公文庫)
■稲垣正美『可能性の騎手 織田作之助』(現代教養文庫)
■パルマー『サルトル』(ちくま学芸文庫)

■鶴見俊輔『ひとが生まれる』(ちくま文庫)

金子文子と林尹夫について書かれている。
朴烈事件(1923年)で死刑判決を受ける(1926年)も、特赦により無期懲役に減刑。しかし、獄中数え年23歳で縊死した金子文子。彼女の『何が私をこうさせたか 獄中手記』(春秋社)のことを鶴見俊輔はいろいろなところで触れている。
終戦わずか19日前に四国沖で散華した林尹夫の『わがいのち月明に燃ゆ』(ちくま文庫)を読んだのは15年ほど前だった。
戦時下の手記を読むつど、理不尽とも言える死を覚悟せねばならぬこの時代の青年たちの多くは、なんと濃密な時間を生きていたのだろうと思わされる。複雑な思いに囚われる。

国家、それは強力な支配権力の実体である。それを無視し、この点から遊離して論じてはならない。ぼくは、もはや日本を讃美すること、それすらできないのだ。むしろ無用にして有害な感傷として排除したい。
戦争は国体擁護のためではない。そうではなくして、日本の基本的性格と、そのあり方が、日本という国家に、戦争を不可欠な要素たらしめているのだ。現実に、日本が戦争を要求している事実こそ、戦争への道なのだ。
ぼくらはこの戦争に耐えねばならぬ。そして根本的に日本の国家をよくしよう。それは、日本の人間そのものをよくし、発展させるためには、もっとも効果的な方法なのだ。
だが、ぼくは、この戦争で死ぬことが、我ら世代の宿命として受けとめねばならぬような気がする。根本的な問題について、ぼくらは発言し、批判し、是非を論じ、そして決然たる態度で行動する、そういう自主性と実践性を剥奪されたままの状況で戦場に出ねばならぬためである。だから宿命というのだ。
戦争で死ぬことを、国家の、かかる要求で死ぬことを、讃えたいとは露ほども思わぬ。その、あまりにもひどい悲劇ゆえに。
ああ、すべては宿命だ。その宿命を世代としてにないながら、しかもこれに抵抗せねばならぬ矛盾のなかに、われら、人の子の悲しい定めがあるのだ。
感情は恐ろしい。だが、理性に従わねばならぬのだ。精神が歪んではならない。 (昭和16年10月12日 第三高等学校二年)

太平洋戦争勃発二ヶ月前に書かれたものだ。そして2年後の昭和18年12月、京都帝国大学在籍時、学徒出陣で海軍へ。
林尹夫のことは、神坂次郎も『特攻―若者たちへの鎮魂歌(レクイエム)『』(PHP文庫)の中で、不羈の俊才として触れている。

『何が私をこうさせたか 獄中手記』、『わがいのち月明に燃ゆ』とも是非読んでもらいたい手記。(後者は古書でしか入手できないが)

■烏賀陽弘道『「朝日」ともあろうものが』(河出文庫)

記者クラブの存在がジャーナリズムの病巣の要因になっていることは、岩瀬達哉『新聞が面白くない理由』(講談社文庫)に詳しい。そこでも朝日とリクルートの結びつき、朝日による『Views』広告掲載拒否事件ほか、他社への厳しい批判の根底にある理念を自社問題となるとないがしろにする悪しき体質を撃つことに紙幅の多くを割いている。
朝日新聞社に17年間記者として務めた著者烏賀陽が自身の経験を土台に、マスメディアの問題点をどう抉っているのか興味深い。

■吉田秀和『モーツァルトを求めて』(白水Uブックス)
■小川洋子『心と響き合う読書案内』(PHP新書)
■務台理作『現代のヒューマニズム』(岩波新書)
■栄沢幸二『日本のファシズム』(歴史新書・教育社) など多数

さして期待もせずに買って読んだ『BRUTUS 吉本隆明特集』(2月15日号)、思っていた以上の出来で驚いている。私にとって新しいと言える情報は少ないが、若者向けの情報発信としては十分及第点ではないか。こういう切り口の吉本特集雑誌、見たことなかった。

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