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2010年2月

プラマイゼロ? 古本購入と怪我

金曜夜、仕事帰り。コートに左手を突っ込み、右手に鞄を持ってぼうっと歩いていたら、段差に気付かず足をとられ、2、3歩つんのめり、立て直そうとしたものの敢えなく撃沈。胸のあたりをコンクリートの路面に激しく打ち付けてしまった。痛みでしばらくまともに呼吸できず。
とっさに首を上げたので、顔だけは強打を免れた。しかし、いきなり上体を反らしたので首も痛い。
転ぶまいとこらえようとしたため、腹筋と腿の裏もつっぱっている。何とも情けない。
帰宅しても痛みはひかず「もしや、この痛みは…」。

この10年ほどで2回肋骨をやっている。1回は疲労骨折。もう1回は畑道を自転車に乗っている最中、よそ見をした瞬間に石に乗りあげ転倒。頭をかばおうとしてからだを投げ出したら、胸を激しく打って、ひびが入った。
軽傷だが、今回もまちがいなくひびが入っている。咳、くしゃみはもちろん、笑った時にも痛みが走る。まいったな。

と、言いながら翌土曜は段ボール3箱、約150冊の本を地元馴染みの古書店へ処分。もうこれ以上箱詰めの本を放置しておけぬ我が家の状況。加えて、春からの古本市に参加するために、妻との約束もあり、もう待ったなし(笑)。
何故なら、本というのは不思議なことに自然増殖してしまうものだからだ。

いつものように査定してもらっている間、店内を隅々まで探索。めぼしいものをいつも置かせてもらう場所に積み上げていく。
私が本を持ち込む前、店主はジャック・アタリ『21世紀の歴史―未来の人類から見た世界』(作品社)を読書中だった。それでアタリの、とりわけ超民主主義について少し話した後に、最近の本の動きなどを聞く。
以下の本を購入。

■絲谷寿雄『増補改訂 大逆事件』(三一選書)
■人類の知的遺産『バクーニン』(講談社)

最近自宅では幸徳秋水、大杉栄、アナーキズム関連の本を手に取ることが多くなってきた。黒岩比佐子さんが、ここらあたりの事を何度か書かれているのを読んだ影響だと思う。

■リルケ『フィレンツェだより』(筑摩書房)
■ジュリアン・グラック『アルゴールの城にて』(白水社)
■深沢七郎『東北の神武たち』(新潮文庫)

いずれも、今後の古本市で考えているテーマを前提に2冊目を購入。リルケはちくま文庫版を。グラックはUブックス版を。深沢七郎は同じ新潮でも、旧版ではなく復刊文庫の方を、それぞれ出品しようかと思っている。

■シュレーディンガー『生命とは何か-物理的にみた生細胞-』 ほか

処分本を持ち込んだ後、車は妻に運転して帰ってもらう。で、一人ぶらぶらと地元ブックオフ経由で帰る。雑誌半額セール実施中。

■文藝別冊『総特集 武田百合子』(河出書房新社)275円
■新潮社100年記念『新潮名作選 百年の文学』53円

2冊ともありがたい。うちは二人とも武田百合子ファンなので、特に前者は嬉しい。

■兵頭正俊『ゴルゴダのことば狩り』(大和書房)105円
昔どこかで見たことのあるタイトルだなと思いながら、パラパラめくっていたら、何と吉本隆明が解説を書いている。そういえば、兵頭は昔、『試行』に寄稿していたような。
■松下竜一『怒りていう、逃亡には非ず 日本赤軍コマンド泉水博の流転』(河出文庫)105円

本日日曜は朝から夕方まで仕事。ひどくはないが、肋骨が痛む。当分湿布のお世話になるな。
仕事を終え、久しぶりに沿線の、おじいちゃんがやっている小さな古本屋さんへ。目立たない店だが、けっこういい本置いている。

驚きました。ついについに念願の2冊目購入。
篠山紀信・中平卓馬『決闘写真論』(朝日文庫)。絶版になって以来ずっと足を使って探し続けてきたが、古書買いエリアの狭い私にはお目にかかる機会が全くなかった。ネットでの相場よりは安かった(ネットで買うつもりは全くなかったが)。でも、値段ではない。見つけられたことが嬉しくてならないのだ。これを古本市に出すかは迷うな。
しばし喜びに浸る。その後、ふっと目を移すと、洲之内徹『気まぐれ美術館』(新潮文庫)。新古書店ではないので半額というわけではないが、これも頂戴する。これで何冊買ったことになるのか。
期待はさらに膨らむ。棚をじっくりゆっくり見ていく。
「どうしてここに…」と思わず絶句。
五味康祐『いい音、いい音楽』(読売新聞社)! 昨秋の一箱古本市で手持ちの中から出品し、喜んで持ち帰っていただいた本だ。1000円でも安い。しかし…。あまりにも汚れが酷い。現在2冊持っているので、この状態ではさすがに追加購入は無理と諦める。
しかし大満足。

帰り、懲りもせず、地元のブックオフを覗く。単行本500円均一セール。こんな時間では何も残っていないだろうと、冷やかし半分で棚を眺める。けっこう隙間ができている。朝から大量買いの跡がくっきり。ところが。
いやあ、残っているものですね。運がよかったというのか。

■田中美代子『三島由紀夫 神の影法師』(新潮社) 525円

これは『決定版 三島由紀夫全集』(新潮社)月報連載がもとになっている。女性による本格的な三島論はこれまで読んだことはなく、著者は全集の編集委員でもあった。期待大。

ついでに、■木下和寛『メディアは戦争とどうかかわってきたか 日露戦争から対テロ戦争まで』(朝日新聞社) ■臼井吉見『肖像八つ』(筑摩書房)を各105円で購入。

夜、妻に、「肋骨にひび入ったけれど、その分いい本買えて、元とったよ」と得意げに話すと、唖然とされた。変なこと言ったかな?(笑)

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深夜遅くから、雪がしんしんと降り始めた。
あたり一面は雪化粧。
静まりかえっている。

きのう、ある方のブログを読んだ。
そこには違う雪が積もっていた。

凍えそうな魂が叫びをあげていた。
胸がつまった。

その方の心の奧に潜んでいるものを、
どんなに想像してみたところで
わたしにわかるとは、とうてい思えない。

だから、
今はただ願うばかりだ。
多くの声なき声や祈りが、
その方のもとに届きますように、と。

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「羽鳥書店まつり」へ

このイベントの企画を「古書ほうろう」さんのブログで知ってから、ずっと気になり注目していた。しかし、初日の11日は祝日なのに仕事で行けない(泣)。この時点で足を運べるとしたら、最終の日曜くらいか…と消沈。
10,000冊近い出品本の中からごく一部をブログで紹介していたが、そのラインナップを見るだけで、100円、500円、1,000円での均一販売がいかに凄いことになるかは、私のような素人でも想像がついた。
故に、開催後は「羽鳥書店まつり」に関するブログはできるだけ見ないようにした。
だってそうでしょ。「こんな本を100円、500円で買いましたよ」なんて報告を見てしまったら、地団駄踏み、臍を噛み、倒れてしまいかねない(笑)。

<どすこいフェスティバル>のKさんから、行かねばきっと後悔するーと思わせてくれる、温かいご案内をいただき、最終日に駒込大観音光源寺へ駆けつける。
終了1時間半前到着。既に9割以上売れてしまっていたような。
それでも、けっこう人がいる。女性も多い。
じっくり手にとり、ところどころ目を通しながら買いたい性分なので、押し合いへし合いは苦手。輪の外から指をくわえて順番を待つこともなく、落ち着いて見られたのでその点はよかった。(半ば悔し紛れ)

「古書好きどもが夢の跡」、不図こんな言葉が口をつく。空しさを感じたという謂いではない。
むしろ、「新たな胎動」を、残っていた本からインスピレートされた。
多くの本好きの方が、目を光らせ、驚きと歓喜とともに数々の本を手にする様子が、ありありと目に浮かぶ。
そんな夢のような時の名残が、なんとも言えぬ心地よさとともに伝わってきた。

羽鳥和芳氏個人の圧倒的な蔵書が多くの人動かした。
既に補充分も尽き、残されたわずかな本を見ただけで、そう実感できたことを嬉しく思う。

まだまだ本は多くの人に求められている。
書痴に限らない。本好きは多種多様だ。

一箱古本市、みちくさ市、古書往来座外市などにも、ふらっと立ち寄った人が、「ああ、こんな本があるんだ」「昔読んだ、懐かしいな…」「何だか面白そう」と、創出された空間に触発され、持ち帰る光景を何度も見てきた。

個人蔵書による古本市への興味だけで、これだけの盛況を極めることはなかったのではないかと思える。出品された本の量、ジャンルの幅広さ、質。他の古本市では無理と思われる値段(安価)での、3段階均一販売も大きな要因になっていたはず。
そして、この企画を考案した宮地さんはじめ「古書ほうろう」の皆さんの情熱、不忍ブックストリートの中心的な役割を担っている方々や地元の支え、そして<わめぞ>の方々の頼もしく、暖かいバックアップがあったことを忘れてはならないだろう。
羽鳥書店および羽鳥社長が東大出版会時代に手がけた出版物も新刊本として、地域雑誌「谷根千」とともに、往来堂書店の協力により販売されていた。

残り香を堪能したに過ぎないが、かつてない画期的な試みであったと言える。

会場では過日定年を迎えられたモンガ堂さんにご挨拶。さすがモンガ堂さん、4日連続の皆勤。
ご家族で来られていたjunglebooksさんにお会いする。かわいい息子さんに「こんにちは」と声をかけて貰った。残りわずかな時間を、お互い本探しに専念。短い立ち話のみでお別れする。Yさんも皆勤とか。そのエネルギーに脱帽。

<わめぞ>立石書店・岡島さん、やまがら文庫のYさんたちが、どんどんなくなってゆく本の整理をひっきりなしにされていた。箱に空きができると、客が見やすいよう、思わず手に取りたくなるよう、絶妙にレイアウトを変えていた。こういう心配りが、本の売れ行きをさらに加速させているのだなと実感。
岡島さんからは「次は3月ですよ!」と言われる。そう、「古書往来座外市」(3月6・7日開催)「第5回鬼子母神通り みちくさ市」(3月22日開催)と続く。
今のところ仕事の予定はない。問題は、私が店主とみきち(妻)との約束を果たせるかどうかだ(笑)

宮地さん、ミカコさんともお話しさせていただく。
「みなさんの喜ぶ様子を見ていられるのが嬉しくてならない」という宮地さん。
疲れはピークに達しているはずなのに、淡々と、穏やかな笑顔でおっしゃる。
ああ、こういうところに惹かれるんだなあと、思いを新たにする。
ミカコさんからは、羽鳥社長には断腸の思いもあったのではないかというようなことをうかがう。
20年かけて購入された本たちへの愛情はいかばかりか。本好きなら想像つくはず。
売ることを前提にして買った本ではないのだから。

宮地さんたちは、愛蔵書が旅立つにふさわしい場をつくり上げた。
素晴らしいことだと、心から思う。

<購入本>

■三浦雅士『夢の明るい鏡』(冬樹社)
■西谷修・鵜飼哲・宇野邦一『アメリカ・宗教・戦争』(せりか書房)
■西谷修・鵜飼哲・港千尋『原理主義とは何か』(河出書房新社)
■鶴見俊輔『戦時期日本の精神史』(同時代ライブラリー・岩波書店)
■丸山圭三郎『カオスモスの運動』(講談社学術文庫)
■井上健『作家の訳した世界文学』(丸善ライブラリー)
■現代思想『いまなぜ国家か』(青土社)
■現代思想・臨増『思想としてのパレスチナ』(青土社)
■大航海『カリスマ 天皇制からイスラム原理主義まで、現代社会を解く鍵!』(新書館)
■大航海『1990年代 新世紀への飛躍のためのこの10年!』(新書館)

三浦雅士は、先日触れた堀江敏幸『書かれる手』(平凡社ライブラリー)に刺激されたかな。昔読んで売ってしまったが、パラパラめくっているうちに当時が思い起こされ、手元に置きたくなった。
『ユリイカ』1970-1975、 『現代思想』1975-1981における編集後記集。巻末には各誌の総目次も載っている。(『ユリイカ』1970.7-1975.1・『現代思想』1975.4-1981.12)
西谷修は、『不死のワンダーランド』(講談社学術文庫)を読み終えたばかりなので、もう少し拡げてみようかと。鶴見、丸山は持っているが100円に惹かれ2冊目。

会場を後にし、「古書ほうろう」へ。私の好きな人文系の魅力ある本がたくさん揃っている。古書組合に属さず店買いだけで、どうしてこれだけの本が集められるのか、いつも不思議に思う。千駄木という地域性を差し引いても。

選んだ本をカウンターへ持っていこうとしたら、聞き覚えのある声が。古書市で知らない人はいないというHさん。店内で購入され、そのまま店を出て行かれそうになったので、慌ててご挨拶。
「いやあ、Hまつりかと思いましたよ」と満足気なご様子。いったいどれくらい買われたのだろう。想像もつかない。
店にいらっしゃった山崎さんとも少しお話しさせていただく。今までにない大きな試みで、さぞかしたいへんだったことが言葉の端々からうかがわれた。
私が店内にいる間にも、「羽鳥書店まつり」の後、店に寄られる方が何人もいらっしゃって、皆さん「よかったですよ」「すごい催しでしたね」と感想を伝えていた。それを聞く山崎さんの嬉しそうな横顔がとても印象的だった。

第10回不忍ブックストリート「一箱古本市」は4月29日・5月2日開催。こちらも楽しみだ。

<購入本>

■エリ・ヴィーゼル『夜・夜明け・昼』(みすず書房)
■プリーモ・レーヴィ『アウシュヴィッツは終わらない』(朝日選書)

ヴィーゼルは『死者の歌』と『夜』は読んでいた。(『夜』は最近新版が出たみたいだ)
『夜』に始まる3部作の残りをようやく読める。少し傷みはあったが、1000円でいいのですか?と思わず口に出そうになる。
フランクル『夜と霧』(みすず書房)は幾度となく読み返しているのに、レーヴィは、恥ずかしいことに『いまでなければ いつ』(朝日新聞)しか読んでいなかった。つまり肝心要の本を未読。さっそく読まなければ。

■ビュトール『心変わり』(清水徹訳・岩波文庫)

かれこれ30年前に読んだ河出書房新社版はまだ手元に残っているのだが、全面的に改訳したと書かれている上に、文字も大きくなっているので思わず買ってしまう。

■リテレール別冊4『1993年 単行本・文庫本ベスト3』(メタローグ) 100円

これは買いそびれていた。帰りの電車の中でパラパラ拾い読み。久世光彦がこんなことを書いている。
「つい先ごろ、たまたま『パルムの僧院』を読まねばならぬことがあって読み出したら、面白くて夜が明けてしまった。私が毎日、習慣だけで通っている書店の本棚に並んでいる膨大な新刊本の中に、これより面白い本が一冊でもあったら、お目にかかりたい。となると、新しい本は、好きで、信用している作者のものしか読まないということになるのだ」
生きているうちにあと何冊本が読めるかを考えた上とはいえ、こう言い切れるところがすごい。いまだに乱読三昧の私には耳が痛い。

■北上次郎『感情の法則』(早川書房) 100円

新刊で読み、幻冬舎で文庫化された際、文庫を買い単行本は売ってしまった。しかし、先日夜中に何とはなしに手にとって読み始めたら、しみじみ。単行本もとっておけばよかったなと後悔。それから1週間も経っていない。何というタイミング。

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こんな本を(2)

久しぶりの休日休み。地元馴染みの古書店に出かけ、至福の時間を享受。昼間だったので、客の出入りも多く、店主との会話は短め。

■キルケゴール『誘惑者の日記』(ちくま学芸文庫)■リラダン『未来のイヴ 上・下』(岩波文庫)■庄野潤三『野菜讃歌』(講談社文芸文庫)購入。

庄野潤三の随筆はまだ出たばかりではなかったか。この一年、いい本を早めに、或いはきれいな状態で処分してくれる新しい客が何人かついたようで、その恩恵に与ることがふえてきた。

『野菜讃歌』は佐伯一麦による解説がいい。<チャールズ・ラムに親しみ、「平明で、悠々としていて、しかも胸に迫ってくる」表現を目指した庄野潤三によって差し出された、手のひらで自分から触れさすった人生の断片断片が、目に見えぬ波紋となって、こちらに伝わってくる>
たとえ庄野潤三ファンでなくとも、思わず手にしてみたくなる。

暮れから正月の休みを除いた12月から1月は、仕事帰りに、土日も含めほぼ毎日のように閉店(23時)間際の20分ほど、地元のブックオフに寄る機会があったので、定点観測できた。単行本500円均一、雑誌半額セールも多かった。カウンター横のストッカーに翌日出し予定の本が補充されたばかりという時も多く、おっというものも結構目にし、いただいた。
かなり前から購入しなくなったレコード芸術のバックナンバーが30冊ほど大量に出ていて、半額53円に惹かれ、10冊も買ってしまった。ワルター、トスカニーニ、クレンペラー、プッチーニ、黄金の50年代、名録音列伝ほか読みたい特集が掲載されている号をメインに。図書館でコピーすることを考えてもはるかに安上がりだ。必要なところだけ切り取って、残りは即資源ゴミに出した。

ブックオフ500円(単行本均一セール)購入本

■栗原裕一郎『<盗作>の文学史』(新曜社)

500頁に及ぼうかという大部の労作を、この値段で入手するのは著者に申し訳ないなと思いつつ購入。「この本は読んでおかねば」と思いながら、一年半近い月日が流れてしまった。
「盗作」「盗用」「剽窃」「無断引用」「借用」「無断借用」などのマスコミが使うジャーゴンと、司法判断の絡む「著作権侵害」は一線を画するものとして、これまでの盗作問題に触れると著者は「まえがき」に書いている。かような視点は自分にも明確には無かったので、とても興味深い。

■柳田邦男『新・がん50人の勇気』(文藝春秋)

『ガン50人の勇気』の出版が1981年だから、四半世紀以上経ての第二弾になる。1986年には『「死の医学」への序章』が出版され2作とも深く心に刻まれている。以来、同著者によるこの分野の本は欠かさず読むようになった。
「自身が同じ境遇になったら、どう受けとめていけるか」。そんな思いで読むわけではない。ほんとうの苦悩は本人にしかわからないと思えるから。だらしない自分の生き方を突きつけられるばかりだ。
近しい人が病に罹ったとき、どう気持ちを寄せていけばいいのか、その縁となればという、考えようによっては情けない動機で繙いていると言えなくもない。

■加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)

この本、昨年の夏に出版されて以来かなり売れているようだ。
『戦争の日本近現代史』(講談社現代新書)における、「なぜ戦争になったのか」「深いところで人々を突き動かした力は何だったのか」を問うために、戦争を相互性という観点で捉える著者のスタンスは新鮮でもあったが、一般民衆(国民)の認識の変化を描くという点ではもの足りず、為政者側や各国の思惑、国家間のパワーバランスの説明に傾いているのでは、という印象を拭えなかった。文章もこなれておらず、やや読みにくかった。
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』は、高校生相手の講義をまとめたもので、新書では扱われなかった太平洋戦争に触れているだけではなく、序章において9・11テロ、南北戦争、ベトナム戦争、E・Hカーの歴史観にも言及しているようなので、期待したい。

■古井由吉『人生の色気』(新潮社)
■青海健『三島由紀夫の帰還』(小沢書店)
■仲正昌樹『<学問>の取扱説明書』(作品社)

ブックオフ105円購入本

■『植草甚一スタイル』(平凡社・コロナブックス)

昨年ナンダロウ(南陀楼綾繁)さんと津野海太郎さんのトークを聞き、津野さんの『したくないことはしない 植草甚一の青春』(新潮社)を読んでから、俄然興味が湧いてきた。(正直それまでは、自分の読書対象から外れていた)
その途端、こういう本が飛び込んで来るのだから何とも不思議なものだ。スクラック・ブック、コラージュ、イラスト、手紙など何度も何度も食い入るように見てしまう。

■青澤唯夫『名指揮者との対話』(春秋社)
ケーゲル、クレンペラー、チェリビダッケとの対話が魅力。
■車谷長吉『文士の生魑魅』(新潮社)
■森川哲郎『暗殺百年史』(図書出版社)
■『アメリカの中の原爆論争-戦後五〇年スミソニアン展示の波紋-』(ダイヤモンド社)

■加藤清・鎌田東二『霊性の時代 これからの精神のかたち』(春秋社)

鎌田東二の本は、中上健次との対談『言霊の天地―宇宙・神話・魂を語る』(主婦の友社)を読んで以来になるかな。帯に「新たなスピリチュアリティへ」と謳ってあったので迷ったが、パラパラ読んでみたら(対談相手の精神科医・加藤清も相当な変わり者だが)、シモーヌ・ヴェイユのことを「創造の病」と捉え、親鸞との類似性を語っているところが面白く、読んでみようと思った。

■五味川純平『人間の條件』上・中・下(岩波現代文庫)

昔読んだのは、三一新書(学生の頃だったので売ってしまった)。棚を眺めていたら厚い3冊の文庫本が目に飛び込んできた。岩波現代文庫に入っていたとは。読み返してみたくなる。

■木村敏『偶然性の精神病理』(岩波現代文庫)
■廣松渉『唯物史観と国家論』(講談社学術文庫)
上記2冊は以前単行本で読んだものを買い戻したかたち。

■西谷修『不死のワンダーランド 戦争の世紀を超えて』(講談社学術文庫)

ハイデガーが説く「死」と「存在」の問題に、レヴィナス、バタイユ、ブランショの思想を対比させ、彼らのテキストから次のような教えを読み解いている。

ひとが死とほんとうに関わるのは主体としではなく、「私」の固有性を形成する力を失いつつ、つまりは死を「私の死」として保持する力を失いつつ、固有性の解体の中なかで、誰にも属さない無縁な死に包まれながらその死の圏域に呑み込まれてゆくのであり、ひとはついに死を手に入れることなく、主体として完結することなく消滅してゆく。

アウシュヴィッツ、戦争、テクノロジーの進化、核、あるいはまた尊厳死、脳死まで多くの問題のなかに、ひとを固有の「死」から遠ざけさせるものが潜んでいることを示唆する本書は、読むに値すると思えた。

■久松真一『東洋的無』(講談社学術文庫)
■デューイ『哲学の改造』(岩波文庫)
■フィヒテ『ドイツ国民に告ぐ』(岩波文庫)
■ワーグナア『芸術と革命』(岩波文庫)
■三島由紀夫『荒野より』(中公文庫)
■稲垣正美『可能性の騎手 織田作之助』(現代教養文庫)
■パルマー『サルトル』(ちくま学芸文庫)

■鶴見俊輔『ひとが生まれる』(ちくま文庫)

金子文子と林尹夫について書かれている。
朴烈事件(1923年)で死刑判決を受ける(1926年)も、特赦により無期懲役に減刑。しかし、獄中数え年23歳で縊死した金子文子。彼女の『何が私をこうさせたか 獄中手記』(春秋社)のことを鶴見俊輔はいろいろなところで触れている。
終戦わずか19日前に四国沖で散華した林尹夫の『わがいのち月明に燃ゆ』(ちくま文庫)を読んだのは15年ほど前だった。
戦時下の手記を読むつど、理不尽とも言える死を覚悟せねばならぬこの時代の青年たちの多くは、なんと濃密な時間を生きていたのだろうと思わされる。複雑な思いに囚われる。

国家、それは強力な支配権力の実体である。それを無視し、この点から遊離して論じてはならない。ぼくは、もはや日本を讃美すること、それすらできないのだ。むしろ無用にして有害な感傷として排除したい。
戦争は国体擁護のためではない。そうではなくして、日本の基本的性格と、そのあり方が、日本という国家に、戦争を不可欠な要素たらしめているのだ。現実に、日本が戦争を要求している事実こそ、戦争への道なのだ。
ぼくらはこの戦争に耐えねばならぬ。そして根本的に日本の国家をよくしよう。それは、日本の人間そのものをよくし、発展させるためには、もっとも効果的な方法なのだ。
だが、ぼくは、この戦争で死ぬことが、我ら世代の宿命として受けとめねばならぬような気がする。根本的な問題について、ぼくらは発言し、批判し、是非を論じ、そして決然たる態度で行動する、そういう自主性と実践性を剥奪されたままの状況で戦場に出ねばならぬためである。だから宿命というのだ。
戦争で死ぬことを、国家の、かかる要求で死ぬことを、讃えたいとは露ほども思わぬ。その、あまりにもひどい悲劇ゆえに。
ああ、すべては宿命だ。その宿命を世代としてにないながら、しかもこれに抵抗せねばならぬ矛盾のなかに、われら、人の子の悲しい定めがあるのだ。
感情は恐ろしい。だが、理性に従わねばならぬのだ。精神が歪んではならない。 (昭和16年10月12日 第三高等学校二年)

太平洋戦争勃発二ヶ月前に書かれたものだ。そして2年後の昭和18年12月、京都帝国大学在籍時、学徒出陣で海軍へ。
林尹夫のことは、神坂次郎も『特攻―若者たちへの鎮魂歌(レクイエム)『』(PHP文庫)の中で、不羈の俊才として触れている。

『何が私をこうさせたか 獄中手記』、『わがいのち月明に燃ゆ』とも是非読んでもらいたい手記。(後者は古書でしか入手できないが)

■烏賀陽弘道『「朝日」ともあろうものが』(河出文庫)

記者クラブの存在がジャーナリズムの病巣の要因になっていることは、岩瀬達哉『新聞が面白くない理由』(講談社文庫)に詳しい。そこでも朝日とリクルートの結びつき、朝日による『Views』広告掲載拒否事件ほか、他社への厳しい批判の根底にある理念を自社問題となるとないがしろにする悪しき体質を撃つことに紙幅の多くを割いている。
朝日新聞社に17年間記者として務めた著者烏賀陽が自身の経験を土台に、マスメディアの問題点をどう抉っているのか興味深い。

■吉田秀和『モーツァルトを求めて』(白水Uブックス)
■小川洋子『心と響き合う読書案内』(PHP新書)
■務台理作『現代のヒューマニズム』(岩波新書)
■栄沢幸二『日本のファシズム』(歴史新書・教育社) など多数

さして期待もせずに買って読んだ『BRUTUS 吉本隆明特集』(2月15日号)、思っていた以上の出来で驚いている。私にとって新しいと言える情報は少ないが、若者向けの情報発信としては十分及第点ではないか。こういう切り口の吉本特集雑誌、見たことなかった。

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こんな本を(1)

今の住処は、周りに田んぼが多く、大きな道路も通っていないので夜は静まりかえる。今夜はいつにもまして静かに感じられ、雪のしんしんと降る音が聞こえてきそうだ。

この2ヶ月強、ブログの更新はほとんどできなかったが、新刊はめっきり減ったものの、古書だけは少しずつではあるが購入し続けてきた。古書店もブックオフも、廻ったのはこの間地元ほか数店舗に過ぎないが、思っていたよりはいい本が買えたような。その一部を紹介します。

<新刊>

■荒川洋治『文学の門』(みすず書房)

既に一読。現在ブログで取り上げるべく再読に入ったところ。この一年間に読んだ本の中では文句なしのベスト1。

■シモーヌ・ヴェーユ『根をもつこと』(春秋社)

近々岩波から文庫が出るようだ。5年ほど前『自由と社会的抑圧』が岩波文庫で出たときには驚きを禁じ得なかったが、こうなると『神を待ち望む』『工場日記』などの文庫化も期待したい。

■重松清・鶴見俊輔『ぼくはこう生きている 君はどうか』(潮出版社)

昨年末に出版された『言い残しておくこと』(作品社)も欲しいのだが、予算の都合もあってまずはこちらから。対談相手が重松清とあって、子ども、教育、家庭、友情など身近な題材が多いが、語っている内容はいかにも鶴見俊輔らしい。今半分ほど読んだところ。

■堀江敏幸『書かれる手』(平凡社ライブラリー)

本文は未読だが、新たに書き下ろされた平凡社ライブラリー版あとがき「表面が深さになるとき」には驚いた。レコード芸術に掲載されていた今井裕康のコラムを愛読していた著者が大学入学後、三浦雅士の『私という現象』から『メランコリーの水脈』まで数冊を一息に読み、「表面と深さの一致を過激と紙一重の真摯さで求める独特の身のかがめ方」に既読感を覚える。そしてその後、『自分が死ぬということ 読書ノート1978~1984』の目次とあとがきを読み、今井裕康は三浦雅士の筆名と知るや、深いため息とともに、「そうか、そうだったか、いや、そうでなくてはならない」ともらしているところだ。

私も学生時代、『私という現象』が冬樹社から出た時には一読して、それまでにはない新鮮な批評スタイルに惹かれ、その後も三浦雅士の著書は読みまくったからだ。(『幻のもうひとり―現代芸術ノート』はもうひとつだった。『自分が死ぬということ 読書ノート1978~1984』を最後に、遠のいてしまったものの、初期の作品はたまにだが読み返すこともある)

あとがきの後には三浦雅士による「不幸を慈しむこと─個人的体験としての堀江敏幸」が続く。ここにも、三浦雅士と堀江敏幸の不思議なつながりが描かれている。

■黒岩比佐子『音のない記憶 ろうあの写真家 井上孝治』(角川ソフィア文庫)

黒岩比佐子さんのことをほとんど知らない(といえる)頃に単行本で読んだ。ろうあ者(聴覚障害者)をとりまく世界を真摯に受けとめ、深く考えながら、井上孝治という写真家の生涯を丹念に追っていく情熱に胸をつかれた。

孝治が撮った三十数年前のネガフィルムは「腐っていなかった」。言葉を喋れない孝治は心で撮った。だからこそ、彼にとって写真は単なる「記録」ではなく、純粋に彼の生き方と結びついた「記憶」となり得た。そして、三十年以上の時を超えて甦った孝治の生きた証としての「記憶」は、多くの人々の「記憶」と交差し、その心を揺さぶったのである。

著者のこの言葉が、この本の本質を語っていると思う。

また、文庫版あとがきには次のように書かれている。

PR業界で十年余り仕事をしていたときに、出版できるあてもなく取材を始めたのがこの『音のない記憶』だった。アメリカ取材も九州・沖縄取材もすべて自費で行ったが、書き上げた原稿は数社から出版を断られ、そのまま一年間日の目を見なかった。
それでも、いつかこの原稿を本にしたい、という夢は持ち続けていた。それがかなった一九九九年の秋、長く入院していた父の病室に駆けつけて、完成したばかりの本を両手に握らせた。すでに父は意識がほとんどない状態だったが、わかってくれたと信じている。この二ヶ月後に父は世を去った。私は棺の中に花と一緒に本を入れた。
この本を書いたことで、私はいろいろな人と知り合い、多くのことを学ぶことができた。壁にぶつかっても、あきらめずに取材と調査を続ければ、必ず道は開けるということも教えられた。逆に、手を抜けばそれだけのものしか書けないことも痛感した。どこまでも謙虚に、丁寧に─。十年後のいま、改めて自分にそう言い聞かせている。

ここに滲み出ているノンフィクションライターとしての揺るぎない姿勢、矜持を貫いているからこそ、サントリー学芸賞、角川財団学芸賞受賞作品ほか、多くの人を魅了する作品の数々が生まれたのだと思えてならない。
今春には工作舎から『古書の森逍遥』が出版される予定と聞いているし、現在執筆中という堺利彦に関する本の刊行も待ち遠しい。

<古書店で購入>

■三浦つとむ『弁証法・いかに学ぶべきか』(季節社)

講談社現代新書『弁証法はどういう科学か』は今なお読み継がれている。特異な書ではあるが、古び、時代遅れになったとは思えない。『弁証法・いかに学ぶべきか』はそれよりも5年前の1950年に書かれたもの。ディーツゲンや、エンゲルスの『反デューリング論』『フォイエルバッハ論』について詳述されているほか、西田哲学に触れているので是非とも読みたくなった。

■小熊英二・姜尚中編『在日一世の記憶』(光文社新書)

ようやく古書店で見つけることができた。一気に読み通せる代物ではないが、貴重な資料として手元に置いておきたかった。

■和田稔『わだつみのこえ消えることなく-回天特攻員の手記-』(角川文庫)
この手の手記は条件反射的に購入してしまう。

■渡辺哲夫『二十世紀精神病理学史』(ちくま学芸文庫)

同じ著者の『知覚の呪縛』は、それまでの分裂病へのアプローチとは全く違う、衝撃的なものだった。『二十世紀精神病理学史』、『死と狂気』も含め3冊とも新刊(ちくま学芸文庫)で入手できなくなっているのは、残念でならない。

■『現代思想 ブックガイド60』2004年9月臨時増刊(青土社)
■ユリイカ『特集 ベートーヴェン ロマン主義の復興』1974年1月号(青土社)
■ユリイカ『特集 小林秀雄』2001年6月号(青土社)

以下は、古本市出品を考えて購入

■ブランショ『マラルメ論』(筑摩叢書)
■坪内祐三『『別れる理由』が気になって』(講談社)
■武藤康史『文学鶴亀』(国書刊行会)
■佐野洋子『問題があります』(筑摩書房)
■荒川洋治『詩とことば』(岩波書店)
■宇野功芳『フルトヴェングラーの全名演名盤』(講談社+α文庫)
■中上健次『破壊せよ、とアイラーは言った』(集英社文庫)
■中上健次『鳩どもの家』(集英社文庫)
■『考える人 クラシック音楽と本さえあれば』2005年春号(新潮社)
■『考える人 書かれなかった須賀敦子の本』2009年冬号(新潮社)

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