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冬眠

最後に更新してから一ヶ月以上経ってしまった。
一足早い冬眠。
年に何回か外界を遮断してしまうことがある。
何を表現したいのかがわからなくなる。
何かを書いたとしても、きっとおざなりで、自分の言葉ではないなと思えてしまうのだ。
一種の病気だと思う。
若い頃から変わらぬ、変えられぬ自分がいて、手を焼いてしまう。
ブロブを書くには不向きな性格だとつくづく思う。

この間、人のブログもほとんど読むことはなかった。
妻のブログでさえ4日に一度読むか読まないか。
黒岩比佐子さんのブログだけは妻に知らされて、すぐに読んだ。
なんで……と頭が真っ白になってしまった。
情けないが、黒岩さんへの言葉が未だに見つけられない。
26日付けのブログの最後に、こう書かれている。
「がんになってから、周囲の景色がまるで違って見えるようになりました。生きているもの、命あるものがすべて愛おしい……。」
黒岩さんの一語一語を噛みしめていきたい。
今はただただ祈るしかほかに術がない。

言霊のさきわう国ならぬ、世界への憧憬は枯れない。
しかし、いざ自分が何かを表現するとなると、時に大きな戸惑いが生じてしまう。
そして内攻する。
沈黙…。この沈黙も言葉を支える豊かなものとはまるで違う。

能でいう「離見の見」を持ち合わせぬ凡夫には、一度足を踏み入れてしまうと抜け出すのが甚だ難儀なトンネル。
だが、このまま何も書かないでいると、ほんとうに何も書けなくなくなってしまいそうな気がしてPCに向かった。
26日に忘年会を兼ねた高校同窓会に参加したのだが、それがブログ再開のきっかけになったのも事実。同窓会のことは改めて書きたいと思っている。(何度も書いたが、黒岩さんと同じ高校。黒岩さんは一年先輩)

内にこもっていたとはいえ、いつも以上に本は読んだ。
繙く書物の世界だけに没頭していればよいのだから、安易な読書ともいえる。
もっとじっくり、いいものを読まなければという思いも湧いた。

こんな本を読んでいた。

■仲正昌樹『日本とドイツ 二つの戦後思想』『日本とドイツ 二つの戦前思想』(光文社新書)
■三島憲一『戦後ドイツ』(岩波新書)

すべて再読。ベルリンの壁崩壊から20年ということもあり、ドイツの文化・思想・政治面での歴史をさらってみたくなった。仲正は「二項対立」「主体性」などを論じる際の毒舌口調はなりを潜め、社会思想史、比較文学研究者としてのいい面が反映されていて、読みやすい。概ね納得のいく記述だ。三島の『戦後ドイツ』は5年振り3度目。仲正の本にもいえることだが、ナチズム、ユダヤ人虐殺にドイツが国としてどう向き合ってきたかを考える上で役立つ。ドイツの戦争責任の取り方にも暗部があることを知るには、木佐芳男『<戦争責任>とは何か』(中公新書)も好著。

■森達也『放送禁止歌』(光文社・知恵の森文庫)

本の整理をしている際に目にとまり、再読し始めたら止まらない。一気に読んでしまう。赤い鳥の「竹田の子守唄」を初めて聴いたとき、いい歌だなと心から思った。その時何故か、遠い昔、祖母が耳元で歌ってくれた「赤とんぼ」の歌が甦ってきた。こども心に「かなしい」響きだったことを思い出す。「竹田の子守唄」は歌詞に「在所」が含まれていたために、その後放送禁止歌となってしまった。その経緯を辿る著者の姿勢には共感を覚える。
屠畜(殺)の本を紹介した際にも触れたが、差別の問題は未だに根強く残っている。見えないように、向き合わないですむように隠すことがかえって問題を助長していると思えてならない。
「短絡的な規制が刹那的な解除に裏返っただけだ。本質は何も変わっていない。」という著者の言葉を胸に刻んでおきたい。

■シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』『工場日記』(講談社文庫)
※『重力と恩寵』は現在ちくま学芸文庫。『工場日記』は文庫での入手不可。

手の届くところに置いてある二冊。何度読んだか覚えていない。特に『重力と恩寵』は。じっくり全編通して読んだわけではない。今、読み通す気力は自分には無い。しかしヴェイユ生誕百年ということもあって、拾い読みした。圧倒された。息が詰まりそうになった。何度読んでも苦しくなる。

未読だった『根をもつこと』が春秋社から復刊されたので、貯まっていたbk1ポイントを使い先日取り寄せた。吉本隆明『甦るヴェイユ』※※(JICC出版局)とともに、この冬ゆっくり読んでいくつもり。(※※は現在洋泉社MC新書で読める)

■坪内祐三『人声天語』(文春新書)
■坪内祐三・福田和也『暴論』(扶桑社)

前者はみちくさ市で購入。迷った末買ったものの失敗。タイトルとは異なり「我声我語」。それが悪いとは言わないが、心に響いてくるものがほとんどない。興味のない話題は飛ばし読み。この著者の文庫本紹介はけっこう面白く、欠かさず読んでいるのだが(雑誌連載中ではなく本になってから)。
後者は105円で売っていたので興味本位で購入。二人の選挙投票に関する姿勢にはげんなり。
46歳になった坪内は、「へえ、年下か…未完成だな」と思っちゃうんだよねと、45歳で割腹自殺した三島(由起夫)の未熟さがわかったと言っているが、これには首を傾げてしまった。何の根拠も示さずに軽々に言ってしまう姿勢に疑問を感じる。素人ではないのだから。しかも三島相手に。
「『噂の真相』は左翼だけど、でも「教条的左翼」ではない最後のメディアなんだ」という発言には、編集長だった岡留安則に、「坪内さん、根本的に間違っている。俺は「左翼」じゃないものを作ってきたつもり。」と斬り返されている。
その言説を肯定するにせよ否定するにせよ、『噂の真相』の時評覧「撃」を中心にまとめられた『「非国民」手帖』(情報センター出版局)の方が、この『暴論』より手応えがあった。私は『噂の真相』の読者ではなかったし、興味もなかったが、『「非国民」手帖』を読んで岡安のスタンスは伝わってきた。

自身50歳になり、この先どれだけの本を読めるかわからないのに、通読したわけではないにせよ、この手の本に時間を割いている余裕などないだろうという自戒の念がこみ上げてきた。荒川洋治、佐野洋子、堀江敏幸など再読を含め読みたい本はたくさんある。彼らの本とともに過ごす時間のほうがはるかに豊かなのはわかっているはずなのに…。

■関川夏央『新潮文庫20世紀の100冊』(新潮新書)

出版された際、定価で買う本ではないなと思った。
本書について著者自らが「100冊の選択におおむね異論はなかった。しかし素直にはうなずきにくいものもないではなかったし、読むにあたって苦労した作品もあった。そのあたりの事情は「水先案内人」の意図するところではないにしろ原稿上にあらわれているだろう」と書いていたからだ。新潮文庫編集部の求めに応じて書いた解説がもとになって編まれたとはいえ、読む側はひっかかる。105円で見つけたので読んでみた。

真っ先に辻仁成『海峡の光』の頁を読む。この作品、芥川賞受賞当時何故か読んでしまったのだが、ひどいものだった。著者の受賞スピーチにも唖然としたが、芥川賞も落ちるところまで落ちたなと思わざるを得なかった。以来、この本を評価する書き手は信用できない。で、関川夏央はどうか。
まず尾崎紅葉『金色夜叉』を、経済そのものを主人公にすえた近代小説と評し、『海峡の光』そのものには何ら触れることなく、「1997年、『海峡の光』が書かれたこの年、北海道拓殖銀行と山一證券がつぶれて会社員の世紀は終わった。(略)経済はあいかわらず圧倒的力量をもって私たちを翻弄し続けている。」と結んでいる。
『海峡の光』を全く評価していないことがあからさまに出ている。正直なものだとある意味感心。よくまあ編集部が了承したものだ。ここで中途半端に持ち上げていたら、即読むのをやめていただろう。

青春と芸術の危機を語り、様々な自然の事象を官能的な筆致で描いた本書は、著者の代表作であり、同時に浪漫派文学の不朽の名作である。(佐藤春夫『田園の憂鬱』)

川端康成は合計4度「異界」におもむいて、そこに棲む発光体にも似た女たちを紙上に定着した。川端康成自身は、光芒を曳いて去る彼女たちを映し出す、ひたすら深閑とひろがるばかりの夜空そのものであった。(川端康成『雪国』)

「生きよ墜ちよ」のフレーズで名高い『堕落論』だが、それは居直りの空元気ではなかった。時流に棹さす戦争否定でもなかった。悲痛な挽歌であり、悲痛な希望の提示あった。だからこそ、「再三再読」した当時の人々の胸を、明るく、また悲痛に刺したのである。(坂口安吾『堕落論』)

彼がその過剰なまでに独特の文体で小説にえがき定着したものは、鏡面は意図して歪められてはいるものの、たしかに鏡の中の日本人の自画像だった。外国体験なしにそれを書かしめた力技のみなもと、それは戦中の悲惨と戦後の苦闘が鍛え彩色した才能、汚れていて、あやしげで、なおどこかに美しさをとどめる複雑な才能だった。(野坂昭如『火垂るの墓』)

辻仁成の作品に触れた(実質何も書いていないに等しい)文章との違いは歴然。好意を抱いている作者、作品に対しては関川夏央らしい表現が随所に見られる。期待はしていなかったが、もうけものだった。

■シュライエルマッハ-『独白』(岩波文庫)
『宗教論』で有名な著者の本。深い。

■酒井邦嘉『言語の脳科学』(中公新書)
どれだけ理解しているかは心許ないがソシュールの言語学はかなりの時間をかけて独学だが学んだ。しかし、チョムスキーの生成文法は敬遠しがちであった。この本を読んで、チョムスキーの言語理論がサイエンスにおいていかに有効であるかを初めて教えられた。脳科学とタイトルにあるが、言語に関して基礎的なことを学んでいれば、決して難解なことはない。全編刺激に富んでいる。言葉、言語に興味を持っている方にはおすすめ。ブックオフで105円コーナーに置かれていたので、ちょっと読んでみるかと軽い気持ちで購入したのだが、中公新書の質の高さを再認識。

■長田弘『人生の特別な一瞬』(晶文社)
愛読書のひとつ。穏やかであたたかな世界へと誘ってくれる。現実逃避のために読むわけではないのだが。

ほかにもいろいろ読んだ。まさに乱読。決していい読み方とはいえない。小説の類にはいっさい手が伸びなかった。今の精神状態の反映か。

この一ヶ月、古本屋へは時間の許す限り足を運んでいる。けっこう買ってしまった。「秋も一箱古本市」終了後、段ボール8箱分は処分したが、家から本を減らす課題はまだまだ解決できていない。年越し前にあと4箱処分予定。購入した本に関してはまた改めて。

年の瀬でやらねばならぬこと山積、しかも久しく書いていなかったので、更新のペースは一気に縮まらないと思いますが、ぼちぼち書いていきます。

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