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『吉本隆明語る 思想を生きる』  聞き手・笠原芳光

京都精華大学40周年記念事業の一環として限定頌布(期間を定めない無償貸与の形・送料200円は負担)されたDVD『吉本隆明語る 思想を生きる』を視聴した。聞き手は京都精華大学名誉教授(宗教思想史)・笠原芳光。2008年12月2日、吉本隆明宅収録となっている。

●DVDの申し込みはこちら→http://www.kyoto-seika.ac.jp/1968+40/yoshimoto/

【 岡本清一との出会い 】

京都精華大学ゆかりの人物ということもあるのだろう、初代学長岡本清一の話で始まる。
60年安保闘争の参加者たちに対して何となく厚意を持ってくれているように感じた人物として吉本は、「西の岡本清一、東の平野謙」と二人の名を挙げる。このあたりのことは、『吉本隆明 思想とは何か 笠原芳光』(春秋社)の「あとがきに代えて」で語られているので引用したい。

孤立無援の感じで六十年安保闘争の全学連主流派に加担していたころから、京都の地から温厚な岡本先生の、無言の支援を感じていた。この感じは第一次戦後派の「近代文学」の同人で、感動的な島崎藤村の「新生」論を書いていた平野謙氏に私が感じた厚意とおなじものだった。面識もなく理由もわからない。そして真偽もわからないが、わたしの直感にひびいてくるものだった。神秘めかす気は毛頭ないが、たぶん岡本先生の書いた岩波新書の一冊(『自由の問題』)を読んだ印象で、この人はじぶんを理解してくれている人だと直感をもったせいだと思う。

岡本清一とは面識もないのに、その著書を読んだだけで支援を感じとるところなど、いかにも吉本隆明らしい。2001年95歳で他界した時に吉本が送った弔電が笠原によって紹介される。

<1960年この方、どんな孤立と孤独のときでも、先生の厚意あふれたぬくもりに支えられて私も友だちも励まされてきました。先生の隠されたまなざしのぬくもりは、生涯に初めての体験だったと思い、かなしみと感謝を新しくしております。>

昔から吉本の悼辞・追悼文には、吉本以外には見えなかった故人の特性を浮かび上がらせる見事なものが多い。単に褒めそやすわけでない。きっちり対峙する姿勢を崩さないのに、言葉の端々には愛情が満ちている。例えば鮎川信夫のように、生前対立した相手であってもそれは変わらない。(吉本の『追悼私記』が現在新刊で入手できないのは残念なことだ)

【 60年安保闘争 】

当時、匿名・署名の手紙が多く舞い込んできて、「おまえの言うとおりにしたため、思想的、精神的に安定せず、就職もなくフラフラしている」といった類の非難を浴びせられ、孤独を感じたらしい。でも内心では「よせやい!」と思っていたと微笑む表情に江戸っ子気質が表れている。

東大正門前の喫茶店2階におけるエピソードが印象に残った。
集まったメンバーは吉本のほか、竹内好、鶴見俊輔、そして共産主義者同盟(ブント)書記長・島成郎。そこで、島が口を開く。
「闘争は自分たち全学連にまかせてほしい。(それを)見守っていてください」と。
援助、応援という言葉が使われなかったゆえに、吉本の心に響くものがあったのだろうか、これがひとつのきっかけとなり、「総評などのデモには参加しない。自分は一兵卒でやろう」という気持ちが固まったと吉本は語っている。
私は島成郎の著書を『ブント私史』(批評社)しか読んでいないが、沖縄での地域精神医療活動に関することも含め、もっと読みたくなった。(新刊では入手不可のため時間がかかるにしても)

国電・品川駅の線路に座りこんだ際、鶴見俊輔、高畠通敏がやめてほしいと説得に来たものの座りこみをやめない。そのうち『赤とんぼ』の唄がどこからともなくわき起こってくる。下手すれば電車に轢かれるかもしれぬ・・こういう状況下では「もの悲しいほうが、筋が通る」と言う吉本。命を損傷されるかもしれない瀬戸際では、イデオロギーよりも人間としての情感。そう捉える吉本には、やはり詩人としての感性が宿っているのだと思える。
吉本の戦争時の言動、結婚にいたるまでの私的な経緯をとりあげ、おまえに共産党を批判する資格など無いと痛罵されるが、「腹をくくった」とも語る。

この後、猫を撫でながら掠れた声で猫に語りかける吉本のうしろ姿が映し出されるのだが、その様子はどこにでもいそうな老人そのもの。思想的発言内容とはあまりにも対照的。そこがこの人に惹かれるところでもあるのだが。

【 ファシズムと戦争 】

まず、日本における右翼には2種類あって、ひとつは農本主義的なナショナリズム。もうひとつは資本主義と結びついた民族主義だと切り出す。そして、ほんとうの意味でファシズムの要素を持っていたのは中野正剛率いる東方会しかなかったと述べる。
ここで花田清輝の名が出てくる。花田との論争を思い出したのであろうか、花田がかつて東方会の雑誌発行に携わっており、彼の論文は吉本や井上光晴も読んでいたがレベルの高いものだったと。ただ、東方会と関わっていたことを隠そうとするところが花田の弱点だったと語る。

続けて、自身の戦争との関わり方を正直に伝える。
アジア解放のための大東亜共栄圏の建設、国内の疲弊した農村の問題はとうてい放ってはおけず、幼稚だけれど自分なりの理念で参加した。日本人のどこがいけなかったかというと、「調子に乗ると威張る」ところだと、まるで小学生が使うような表現を用いるところがかえって生々しい。
私も常々考えていることなので、強く共感を覚えたのが以下の発言である。
「自分にも乱暴なところがあるので、国外で悪いことをしたかもしれない…。」

この後、石川啄木が金田一京助に語った「帝国主義的社会主義」に触れながら満州国の原点、本質へと話は展開していく。「帝国主義的社会主義」など、矛盾としか取れないだろうが、右翼、左翼の区別なくあの人たち(啄木たち)が苦しんだのはよくわかると強く言い放つ。
そして最後に、「戦争には正義も侵略もない。戦争そのものが悪なんだ」ときっぱりと言い切る。

【今を生きる若者たちへ】

人や社会に対して無関心であるようにも見受けられるし、実際自分の関わる文芸の分野では、今後国家はどうなればいいのかというはっきりとした形での声が聞こえてこない。しかし、自分も戦時下、詩を書いたり、あまり現実とは関係ない立原道造、堀辰雄などを読んで自分を解放しているところもあった。今の若者も内面を露わにしていないだけかもしれないと考える。青春というのは同じようなものかもしれないと。
加えて、谷川雁が理想を持って生き、人助けをやってきたのと違って、「自分は堕落する一方だったよ」と自嘲気味に語り、場が和む。

同席していた大学のスタッフが吉本に問いかける。
ずっと孤立感とか孤独感を抱きながら、大勢の人のいるところに寄りかからずに、鮎川(信夫)さんや埴谷(雄高)さんなどの先輩と対立しながらも、自分を保ってきた強さはどこから来たんでしょうか?と。

吉本はスタッフの方に目をやり、力強く語りかける。そこには老いたとはいえ、昔と変わらぬ吉本がいた。

「その人が固有に持っている、誰にもかえられない個性、好み、考え方、親から教わった生き方とか、ある意味宿命的なもの。自分には動かしようがない、でも自分固有の資質・個性。それを見つけて底の底まで誤魔化しもなしに心の中に入れて持っていて、その上で人は人の生き方、社会や国家のことを考えられる。これができたらもう言うこと無いんじゃないか。偽り無く自分の思ったとおりのことをやってまちがったら、それも自分固有のもの。(それで)ひでえ目にあったら、ある意味少し利口になる、いい体験になるということもあるので、まんざら捨てたものじゃないんじゃないか。」
笠原さんの言うように、自分の生き方を通せたらそれが強さといえるのかもしれないけれどと、言葉にはしたものの、吉本は自らを「強い」とはひと言も言わなかった。

DVDの最後は吉本自身の詩が画面に映し出され、静かに終わる。

『苦しくても己れの歌を唱へ』 吉本隆明作より
 
 己れのほかに悲しきものはない
 つれられて視てきた
 もろもろの風景よ
 わが友ら知り人らに
 すべてを返済し
 わが空しさを購はう

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コメント

情報をありがとう!
僕も今、申し込みました。
5000部ですか、
まだまだ大丈夫みたい。

投稿: 葉っぱ64 | 2009年9月13日 (日曜日) 13:14

葉っぱさんへ

まだ入手できそうだとのこと、よかった!
さまざまな情報をタイムリーに発信できる余裕も、力もないため、すみませーん(笑)

吉本さん、しゃべりはたどたどしいものの、顔色はよさそうでほっとしました。まだまだ頑張ってほしいなあ。

投稿: 風太郎 | 2009年9月13日 (日曜日) 17:46

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