« 2009年7月 | トップページ | 2009年9月 »

2009年8月

映画『劔岳 点の記』 -誰かが行かねば、道はできない。

映画『八甲田山』『駅 STATION』『鉄道員(ぽっぽや)』などのキャメラマン・木村大作初の監督作品『劔岳 点の記』。もちろん撮影も本人が手がけている。原作は新田次郎による同名小説。(→こちら)
今からおよそ100年前の明治40年、日本地図完成のため立山連峰山中27ヶ所に三角点を設置、わけても登頂路さえ見出せず、難攻不落と言われた劔岳登頂を果たした男達の物語である。

CGなし、ヘリを使っての撮影なし。当時の陸軍参謀本部陸地部測量隊が歩んだ道を忠実に辿りながら、険しい山々を登った末に完成。監督をして「これは撮影ではない。"行"である」と言わしめたのも納得がいく。スクリーンに拡がる映像の圧倒的な力は筆舌に尽くしがたい。神々しい山々の美しさには息を呑む。

『八甲田山』をご覧になった方なら想像がつくと思うが、雪山の恐ろしさ、厳しさを撮らせたら、この人の右に出る者はいない。一歩先には地獄が大きな口を開けて待ちかまえている恐怖が観る者の身体を凍らせる。

浅野忠信は寡黙な中に揺るがぬ意思を秘めた測量手・柴崎芳太郎の役を、香川照之は自然に対する畏敬の念を忘れることなく、劔岳登頂のため身を粉にして測量隊を引っ張っていく案内人・宇治長次郎の役を見事に演じていた。両者とも抑えた演技が光っていた。
残念なのは、宮﨑あおい演じる浅野忠信の妻役が明治の女性というより現代的なイメージだったこと。香川照之の息子役や中村トオル演じる日本山岳会の小島烏水役の科白が深みに欠け、細やかな心情の変化を描く点で物足りなさを感じたところか。松田龍平は亡き父・松田優作に比べ俳優としてはまだ足下にも及ばないという印象を受けた。脇を固めるモロ師岡、役所広司はらしさを発揮、安心して観ていられる。わずかしか登場しないものの夏八木勲、國村隼は存在感を示している。総じて見事な映画だった。この映画の主人公はある意味、立山連峰、悠久の自然そのものだからだ。

春の陽射しに包まれ穏やかな表情を見せていた山の天候が瞬く間に急変し吹雪、豪雨となって人間を襲う。人の力ではいかんともし難い自然に対し、謙虚で在らねばならぬ大切さも教えてくれる。そして、畏れ敬う姿勢を失わなければ奇跡的な光景を見せてくれるのが、自然の奧深さでもある。
自然と対峙する中で、浅野忠信、香川照之らが役者という枠を超え、一個の人間としての表情を見せる瞬間があり、それが素晴らしい。
俳優、スタッフを含め、幾度も険しい山に登り、厳しい山の自然に耐えた者たちの執念によって作り上げられた映画だ。
「誰かが行かねば、道はできない。」圧倒的な自然を前にして人間という存在のなんとちっぽけなことか。しかし、そのちっぽけな人間の中に秘められた強い意思の尊さに、心打れずにはいられない。

天狗平から臨む、夕陽に映える雲海はこの世のものとは思えぬ美しさ。極端すぎるとの誹りを免れないかもしれないが、この光景を目にできるだけでも一見の価値がある。

音楽は、アルビノーニ『アダージョ』、ヴィヴァルディ『四季』、マルチェッロ『オーボエ協奏曲』、バッハのG線上のアリアなど、全編にわたって有名なバロック音楽が使われていたが、不思議とマッチしていた。

立山は平安時代から、地獄信仰、観音信仰と結びつき、山岳信仰の霊場として知られた霊山。鎌倉時代には地獄と浄土が併存する他界信仰が形成され、江戸時代になると、地獄思想が立山曼陀羅に描かれた地獄の絵解きによって庶民の中に浸透していったと言われている。映画の中でも「立山曼陀羅」が登場し、劔岳は針の山、すなわち地獄としてとらえられており、信仰に篤い地元の人々が劔岳への登頂を好ましく思わない様子も描かれている。

●立山信仰と立山曼陀羅の解説
http://www2.ocn.ne.jp/~tomoya1/
●立山信仰の世界
http://www.pref.toyama.jp/branches/3043/tate/w-b.htm

今回、夫婦のいずれかが50歳以上なら二人で2,000円という割引を利用して観た。サービスはありがたいが、そんな年齢になったのかと体力の衰えとともに認識させられるのは複雑だ。
予告編で、『30デイズ・ナイト』が流れる。ゾンビのようなヴァンパイヤーが、30日間夜の明けないアラスカの街を襲うという設定。「これ観たい!」と言うと、「なんでこんなものをわざわざお金を払って観なくてはならないの。100万円もらっても観ない!」と妻。ばっさり斬られてしまう(笑)。
『劔岳 点の記』は上映時間の関係もあって、新宿歌舞伎町の映画館で観たのだが、掃除は行き届いていない、係員の対応はいいかげん。さらに、挙動不審の客が紛れていた。かつては名画の上映で知られた映画館の凋落ぶりに、「なんか場末って感じ。二度とここでは観ない」とご不満の妻であった。これで映画そのものが×だったらたいへんなことになっていたなと、冷や汗。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

下鴨納涼古本まつり」目録、ジュンク堂天満橋店10周年記念小冊子など

先日磯崎憲一郎『終の住処』(新潮社)などをいただいた葉っぱさんから、またいろいろと興味深いものを送っていただく。

「下鴨納涼古本まつり」目録は146頁にわたる写真入りの豪華目録。29の古書店が顔を揃え、(全集も1点と数え)総数5592点! 8割以上、いや9割近く知らない本。明治、幕末期から現代に至るまでの書籍から厳選されたものゆえ、研究者でもない素人からすれば知らないのも無理はないか。専門的過ぎて目を引く本が少ない。馴染みのある本は実際の会場に足を運ばなければお目にかかれないのだろう。下鴨神社は大阪から京阪で京都に出る際、出町柳で下車することが多いので何度か訪れたことがある。あそこの糺の森に80万冊の本が列べられるのだから、日本最大級の野外古本まつりというのも肯ける。

実際目録を見てみる。
竹岡書店。洲之内徹『絵のなかの散歩』(新潮社)1,500円。まあ、こんなものだろうかと私にもわかる。『中井久夫著作集 精神医学の経験1巻~3巻』(岩崎学術出版社)各3,000円。3,000円となるとちょっと手が出ないなあという感じ。しかし、『現代生物学大系 全20巻』(中山書店)270,000円、『日本におけるウランの産状 その2』(地質調査所)25,000円となると想像さえつかない。そうかと思うと、懐かしいエピステーメー(朝日新聞社)、季刊GS(冬樹社)なども載っている。

其中堂。ここは仏教書が多い。浄土真宗、親鸞には特に興味があるので目がいくものの、聞いたことのない本がほとんど。そんな中に利井興弘『才市念仏抄 正篇』(百華苑)4,200円などがひょっこり混じっていると、どんな本かは知らないが実際手にとって中身を確認でき、気に入ったならば(値段は高めだが)買いたいなと思う本があったりする。

目録は書店の顔。無類の古書好き、専門家、研究者などが目を通すとあれば、自ずと力が入るのも当然。素人に毛の生えた程度の私などは「へェ~~」と感嘆の声を漏らすのが関の山。それでも、見ているだけで楽しいことは楽しい。

ジュンク堂天満橋店10周年記念小冊子(2007年発行)。イラスト満載、手書きの小冊子(24頁)は店員たちの本への情熱が詰まっている。10年間の出版業界の動きに触れながら、各ジャンルのお薦め本が紹介されている。また天満橋店がどういう変遷を辿ってきたかも紹介されているので店のポリシーも読んで取れる。工夫を凝らした手作り感が何とも言えず、いい。
新書ブームに言及しながら「そんなもの出してどうするの?なんでこの出版社が新書出すの?といいたくなるような乱立ぶりで、内容も筆者の力量も不十分なものが多い。読者の皆様もご購入前にしっかり内容を確認され、本当に読むに値するものかどうか、吟味していただきたい。」とアドバイスしているところなど、売らんかなという姿勢とは違い好感が持てる。この店舗では、何年も前になるが、品切れで東京では入手できなかった、ナボコフ『青白い炎』(ちくま文庫)を購入した。
天満橋店が入っている京阪シティモールの屋上からの夜景は、大川を前にして京橋から梅田までが見渡せ、けっこうきれいですよ。

京都古書店絵図は折り畳むと文庫本カバーにもなるすぐれもの。各古書店の住所、電話番号、営業時間、定休日なども印刷されていて便利だ。洛中を中心に数多くの古書店があることも知らなかった。なにせ、京都に訪れる時は本のことなどまるっきり頭から離れてしまうため、まだ一度も古書店に足を運んだことがない。

葉っぱさんには、前回に続き吉本隆明が漱石、鴎外、太宰について語っている講演CD、妻への誕生日プレゼントとして徳川夢声『話術』(白揚社)も頂戴する。映画のチラシが何枚か同梱されていたが、葉っぱさんお勧めの映画なのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

静かなお盆休み

お盆休みのこの時期、休みをとることはあっても、我が家にはほとんどイベントがない。まず、帰省する故郷(田舎)がない。どこへ行こうにも渋滞は避けられず、仮に車を使わなくても人出の多いところに足を運ぶのはそれだけで疲れてしまう。30代に入った頃から肌が弱くなってしまったため、海やプールがダメ。火傷のように日焼けしてしまう。そんなわけで今年も静かな休みを送っている。

もう何年も芥川賞、直木賞作品を読んでいない。

しかし、葉っぱさん(http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/)がブログで前々から磯崎憲一郎を推していたので久しぶりに購入して読んでみようかと妻と話していたところ、思わぬプレゼントが舞い込んできた。葉っぱさんご本人から『終の住処』(新潮社)を送っていただいたのだ。ほかにも、妻がこのところ漱石作品及び漱石に関する書物を中心に読んでおり、私が吉本隆明を若い頃から愛読していることもあって、吉本隆明が漱石について語っている講演CDも!ありがとうございます!!
『夏目漱石を読む』(筑摩書房)、『漱石の巨きな旅』(NHK出版)。『吉本隆明文学思想講演集 白熱化した言葉』(思潮社)に収められている「漱石をめぐって」などは読んでいるが、講演は初めて。聞き通すには相当の時間を要しそうだが、楽しみでならない。

葉っぱさんからは京都で開催された「下鴨納涼古本まつり」に関し、ブログで書かれていること以外にも貴重な情報を頂戴した。どんな本がどのような事情でかぶっているか、どこらあたりの本の出品が少ないかなど、素人として古本市に参加している私たちにはとても参考になる情報。今後のとみきち屋のテーマを考える上でも役立ちそうだ。もう少し具体的に書名などを聞かせてもらえたらなあと、現在葉っぱさんにお願いしている最中。

古本愛好家の間ではそのつど話題に上る「下鴨納涼古本まつり」だが、私には古書を蒐集する趣味はないので、そのためにわざわざ京都に足を運び覗いてみたいという気持ちは湧いてこない。京都は私にとって特別な町ということもある。学生の頃訪れるようになり、社会人になってからは10年近い関西出張もあって(長い時は2週間、年8回)、うまく休みを利用し数え切れないくらい訪れて来た。京都には毎回でも行きたい、何度行っても飽きないが場所が多々ある。
春の桜、真夏の照りつける陽射しの中、紅葉の頃、雪の中というように季節ごとに同じ寺でも味わいが異なる。春秋の夜間拝観も趣があっていい。好きな寺では1時間以上庭を眺めながら坐っていられる。何度でもお顔を見たいと思える仏像も多い。加えて、まだすべての寺を廻ったわけでも、路地を歩いたわけでもない。だから古本まつりも、古書店めぐりも、京都に関しては今後も縁が無さそうだ。
ただ今回、葉っぱさん好みの本がズラリと並んでいるという古書店を教えてもらったので、そこだけはいつか訪れてみたいという気持ちになった。

今日は親戚筋の告別式に参列。91歳になられた方なので、大往生と言えなくもないが、身内にとっては違う。たとえ覚悟ができていたとしても。
息子にとって母親は生きていてくれるだけでいいという思いが強いとよく言われるが、そうかもしれないな…という気持ちになった。私の母は今年87歳になるが、ガリガリに痩せてしまい、身体じゅうボロボロ。気力だけで生きているような感じだ。何のための気力かを考えると、辛いものがある。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

「第2回みちくさ市」エピソード3

古本市に参加するようになり、多くの人と出会うようになった。積極的に外出はせず、自宅で本を読んだり音楽を聴いて過ごすことが多く、どちらかといえば人付き合いの苦手な私にとっては大きな変化だ。例え二言三言であっても、言葉を交わせることが大きな意味合いを持ち、刺激にもなる。ブログでのみ知っていた人を直に感じられることで、違ったものが見えてくる。会うのが楽しみと思える人が増えていく。

<わめぞ>のリーダー、古書現世・向井さん。午前中からテント張り、パラソル立て、自分たちの棚の準備、思わぬアクシデントへの対処などで会った時には「大丈夫だろうか…」と思えるほどの体調。既に熱中症一歩手前。それでも出店者を気遣い、飲み物の差し入れ、声がけと動き回る。喫茶店で水を補給しながら休んでいる後ろ姿を目にした時には胸が痛んだ。「無理しないでくださいね」と言葉をかけるしかなかったのだが。
「参加してくださる皆様あってのイベントなんです」といつも口にしている向井さんの姿勢、行動には打たれる。

豆子さんともご挨拶。その強い眼差しは変わらない。病み上がりなので「大丈夫ですか?」と訊くと、「みんなからはそうは見えないって言われるんですよ(笑)」と冗談交じりの答え。本部にはテントが張られていたが、照り返しも強いし、背中からは陽射しも差し込んでいたので気になったが、淡々と役割をこなされていた。勝手な推測だが、茨の道を歩んだことのある人の強さのようなものを感じる。

BIG BOXでの古書市では強烈な洗礼を受けた立石書店・岡島さん。笑顔を見ると何故かほっとする。

これまでは、一人で参加している出店者の代わりに店番をしている姿を多く見かけた退屈男さん。今回は商店街を頻繁に行き来していた。アイスクリームの差し入れもしていただく。当店に来た際文庫本セットを手にとられたので、巻末の出版案内の何ヶ所かに印がついていることを説明しかけると、「読めればいいので」と言って快く購入いただく。

自転車の似合う往来座・瀬戸さんは小麦色に焼けた肌が眩しい。瀬戸さん手作りの照る照る坊主ならぬ「ハーリー」、今回は威力を発揮し過ぎ(笑)。古楽房のうすださんのさり気ない気配りにはいつも感心。

「旅猫雑貨店」金子さんがみちくさ市の撮影で廻られて来たのに、折り悪く他の方と話している最中だったためにお待たせしてしまい、恐縮。みちくさ市の全容が伝わる素敵なスナップを毎回撮ってくれる金子さん。今回はあの暑さの中、いっそうたいへんだったと思う。いつものように当日のフォトアルバムをアップしてくれています。是非ご覧下さい。(→こちら)

終了間際、武藤(良子)さんにお会いできたものの、既にブルーシートにくるまり、お休みになられるところでお話しできず残念。このところ話す機会がなく、寂しい限り。

Pippoさんが初めてお客さんとして来てくれ嬉しい。私のブログの書き方が拙いばかりに、ビュトールの本を今回出品するような印象を与えてしまい恐縮。それでも、近藤富枝『田端文士村』を購入いただく。
ゲーテの話ほか、店主とみきちも交え大盛り上がり。時にお腹をかかえて笑ってしまう。<わめぞ>仲間の普段は聞けないエピソードを披露してもらう。Pippoさんの人の受けとめ方に妙に納得しながら、独特な感性を持っている繊細な人だなあと改めて思った。

外市の際初めてお話しさせていただいた「嫌記箱」の塩山さんのところへ伺うもご不在。残念。

仕事帰りの「ふぉっくす舎」NEGIさんがスーツ姿でご来店。NEGIさんがスタッフとして参加できないと<わめぞ>にとって痛手ではないかと思える。「一箱古本市」を含め4回連続で本を購入いただく。目の肥えた方だけに嬉しい。そのNEGIさんが、ブログで自身の紹介をされている。すごい経歴だ。

プレ開催の時同じ場所で出店した「晩鮭亭」さんと久しぶりにお会いできた。ブッツァーティ『神を見た犬』(光文社古典新訳文庫)を手にとられたので、「荒川(洋治)さんが推薦していますよね」と言うと、「堀江(敏幸)さんの『河岸忘日抄』にブッツァーティが出てきますよね」と、晩鮭亭さん。確かに、ブッツァーティの『K』(邦題は『コロンブレ』)という作品が重要な役割を担っている。Kとは世界中の船乗りが恐れる巨大な鮫のことで、そのKの存在が作品(『河岸忘日抄』)を通して影を投げかけ、主人公はその影を追うかのように思考を巡らせている。
ちなみに、荒川洋治はブッツァーティ『神を見た犬』を以下のように評している。

イタリア幻想文学の作家の短編集。表現は簡潔。余韻はふかい。たくさんのことばをつかって、自分を楽しむ作家は多いが、この人はそうではない。人生に期待してはならない。希望ももってはならない。内容的にはそんなことを書いているのだが、文学としてたしかなので、読んだ人は星空をあおぐ気分になり、人生の希望をもつ。 -『論座』2008年1月号所収記事より-

「北方人」さんと「寝床や」さんが同じ場所に出店していたので何回かお邪魔する。5月にお孫さんが誕生された北方人さんはお元気そうでなにより。柄谷行人『言葉と悲劇』(講談社学術文庫)、岡村秋彦『南ヴェトナム戦争従軍記〔全〕』(ちくま文庫)ほか4冊、持って帰るのも重いからと、すべて1冊100円で譲っていただき、当店からは残っていた谷内六郎新潮文庫6冊セットを購入していただく。逆にお持ち帰りの本が増えてしまったみたいで、すみません。
寝床やさんは今回強力な助っ人登場でお店の趣がいつもより華やかな感じ(笑)。超がつくほど腰が低く、丁寧な言葉遣いに温かい人柄が滲み出ている。ブログでは苦戦を強いられた様子を書かれているが、苦戦は当店も同じ。これからも励まし合って頑張っていきましょう(笑)。五味康祐『ベートーヴェンと蓄音機』を安価で譲っていただく。春の一箱で1冊出品してしまったのだが、これでまた手元に3冊となり、嬉しい。

古本市の顔と言っても過言ではない書肆紅屋さん。そのブログから発信される情報の多様さと奥の深さにはいつも圧倒されてしまう。本だけではなく出版、流通のことにも詳しいので何かと参考にさせていただいている。
当店にもお越しいただき、半藤一利『それからの海舟』を購入いただく。今回私どもは新書をまとめて40冊出品。売れ行きの話になり、半分もいきそうにない実情を伝えると、「あれだけのラインナップでも厳しいのだから、新書は難しいですね」と紅屋さん。結構考えて品揃えしたつもりだったので、そのことをきちんと見てもらえたのは救いであり、嬉しいことだった。紅屋さんからは、最後のタイムセールということで、山田風太郎『風眼抄』(中公文庫)ほか3冊を1冊100円で買わせてもらった。
今回は皆さんけっこう苦戦されていたように思える中、紅屋さんはきっちり100冊超売ってしまうのだからさすが!と言うほかない。

当店の向かいで出店されていた「ゆず書房」さんからは、閉店間際7冊も買わせていただく。こちらもタイムセールで、すべて1冊100円。巖谷大四『懐かしき文士たち 昭和篇』(文春文庫)、色川武大『狂人日記』(福武文庫)、石井宏『素顔のモーツァルト』(中公文庫)など。「ほんとうに100円でよろしいのですか?」と思わず尋ねてしまうくらい、申し訳ない気持ちになる。同時に、最後までこの手の本が、100円という信じられない値段なのに残っていることが寂しく感じられてならなかった。

いつも素敵な「たけうま書房」さんご夫妻がご来店。今回はご主人に織田作之助の単行本を購入いただく。

春の一箱の際同じ会場で参加されていた「どすこいフェスティバル」のKさんにお越しいただく。私どものブログを読んでいただいているみたいで、「いいですねえ」と言っていただき赤面。この方の読書量は半端ではない。それだけに、箱をご覧いただく時は緊張。お見えになったのが遅めだったので<もう少し早く来ていただけたら、何とか恰好のつく品揃えだったのになあ>などと思いながら。
山本善行『古本泣き笑い日記』、塚本邦雄『けさひらく言葉』、長田弘『私の二十世紀書店』と、3冊もご購入いただいた。お連れの方にも1冊。
店主とみきちはお茶でもご一緒できるのではないかと楽しみにしていたのだが、慌ただしくなる時間帯に突入していたために泣く泣く断念。
これからもとみきち屋をよろしくお願いします。

第1回みちくさ市で言葉を交わすようになった「古本、雰囲気。」さんとも楽しくお話させていただいた。「数年前に比べ、本を揃え、目の肥えた方に買っていただくのはは難しくなった気がする」とのこと。お客様の財布の紐も固くなっているだろうから、余計にそうなんだろうなと納得。立川昭二『江戸人の生と死』、村田喜代子『名文を書かない文章講座』の2冊を購入いただく。いつもありがとうございます!

春の「一箱古本市」で新潮社『yom yom賞』を受賞された「あり小屋」さんがご家族でお見えになるも、不在中で会えず。残念でならない。お嬢さん、また大きくなられただろうなあ。上林暁2冊セットを「こんなに安くは手に入れられませんよね」とご購入いただいたみたいだ。
昨秋の一箱古本市以来の顔見知りであるだけでなく、みちくさ市プレ開催時はお隣同士。いまひとつ人気のない海外小説を(お互い)めげずに出品し続けていることもあり、戦友という感じがしてしならない。

養老孟司・内田樹『逆立ち日本論』ほか3冊購入いただき、店主とみきちのブログにコメントを頂戴した駄々猫さん。驚異的なペースで本を読まれ、古本市参加を目指していらっしゃるとのこと。どこかでご一緒させていただくのを楽しみにしています。

今回ご紹介させていただくことのできなかった方々を含め、当店よりお買い上げいただいたすべてのお客さま、ほんとうにありがとうございました。またのお越しを心よりお待ちしております。

この1週間あまり調子を崩してしまい、エピソード3を予告しながらこんなに遅くなってしまいました。今さらという感は拭えませんが、書き留めて置くことで謝意を表わすことができるのではないかと思い、アップしました。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2009年7月 | トップページ | 2009年9月 »