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殉愛 中河与一『天の夕顔』 〔新潮文庫〕 (1)

中河与一『天の夕顔』(新潮文庫)。こんなにも心を抉られ、慟哭した小説は他にない。

中学2年の時に初めて読んで以来、30回近く読んだろうか。100頁少しの短い小説ゆえ、ストーリーも会話もほとんど頭に入っているのに、読むたびに心打たれ、揺さぶられる。自分の人生に重ねて読むわけではないのに、第三者の目で冷静には読めず、物語の中を生きてしまうからだと思う。この小説の主人公のようには決して生きられないからといって、荒唐無稽の物語とも思えない。然し、単なる憧憬でもない。
ある種歪んだ自己愛の投影ではないのかと笑う者がいても一向に構わない。それぐらい私にとって絶対的な小説なのだ。

不思議に思うことがある。今手元にある新潮文庫、平成15年3月改版の奥付を見ると、昭和29年5月発行以来81刷となっている。一刷ごとの部数が少ない(はず)とはいえ、驚くべきことだ。少なくともこの30年、この本が大々的に取りあげられた記憶はない。ということは、口伝てに読み継がれて来たのであろう。
巻末の保田與重郎による解説を引用しながら、まずこの作品がどのように受けとめられたか、紹介したい。

昭和13年に発表されて以来、大東亜戦争(※保田による表記)中から戦後にわたり45万部も売れた。なのに、ある事情から文壇では黙殺された。この事情を明らかにすることは不要と言う保田の考えには同感である。作品の本質とは全く関係ない。
しかし、永井荷風が絶賛、徳富蘇峰が推賞、与謝野晶子などが称えている。また、カミュや柳田国男の推賞により、英、米、仏、独、中国、スペインなど6ヵ国に翻訳された。カミュは「毅然としてかしかもつつしみ深い」と評している。
保田與重郎は、この小説の中の人々の愛に対する節度と宗教的な態度に共感する若い人々が多いことに安堵感を抱いた。そして、人間の文化が最もけだかく美しいものを念願していた時代の人々のおもいを伝え、愛の情緒と思想を教えていると称えた。

数年前だったか、純愛ものが若い世代を中心に流行ったようだが、関心が向かなかった。どうせたいしたことはないだろうと高を括ったわけでも、傍から眺めて苦笑していたわけでもない。強いて言えば、いわゆる純愛というものが私にはピンと来ないのだ。
しかし、「殉愛」となると違う。どんなに齢を重ねても、惹きつけられる。本の題名や文中にこの言葉が使われているか否かは関係ない。おのが人生や命のすべてを賭けることが、私にとっては愛に殉ずることを意味する。これこそがというように、決してひとつの形があるわけではない。無償の愛とも違う。
今までに「殉愛」が描かれていると感じた小説といえば、『天の夕顔』以外には、ゲーテ『若きウェルテルの悩み』と、アベ・プレヴォー『マノン・レスコー』がすぐに浮かんでくる。この2作品も、若い時に読んで激しく心を動かされたが、今なお読める。ゆえに、私には青春の書ではない。

『天の夕顔』は主人公(男性)の次の言葉で始まる。

信じがたいと思われるでしょう。信じるということが現代人にとっていかに困難なことかということは、わたくしもよく知っています。それでいて最も信じがたいようなことを、最も熱烈に信じているという、この狂熱に近い話を、どうぞ判断していただきたいのです。
わたくしはひとつの夢に生涯を賭けました。わたくしの生まれて来たことの意味は、だから言ってみれば、その儚げな、しかし切なる願いを、どこまで貫き、どこまで持ちつづけたかということになるのです。ばかばかしいといって、人は、おそらく身体をふるわしてわたくしの徒労を笑うかもしれません。それが現代です。しかしわたくしにとって、それは何事でもあり得ないのです。わたくしは現代に生きて、最も堪えがたい孤独の道を歩いているように思われます。

これが、70年以上前に書かれた小説の書き出しである。
(続く)

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