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2009年1月

佐野洋子のエッセイ (2) 『神も仏もありませぬ』

昨年11月にようやく文庫化された『神も仏もありませぬ』(ちくま文庫)は、『ふつうがえらい』から12年後のエッセイになる。(間に『あれも嫌いこれも好き』が出版されているが)

いきなり呆けてしまった八十八歳の母親の話から始まる。著者を「奥様」「そちらさま」と呼ぶ母に年齢を聞くと「四歳」と答える。それでも、「この人の中では私はどこかで動かぬ子として存在していると感じる。」
「私は年老いることをずっと確認しながら生きてきた」と、自らの人生を振り返りながら、次のように語る。

今思うと、十代の私は自分の事以外考えていなかったのだ。共に生きている同時代の人達以外に、理解や想像力を本気で働かせようとしていなかった。しかし自分が四十になり五十になると、自分の若さの単純さやおろかさ、浅はかを非常に恥じ入る様になり、その年になって小母さん達の喜びや哀しさに共感し、そして人生四十からかも知れないと年を取るのは喜びでさえあった。(略)そして、六十三歳になった。半端な老人である。呆けた八十八歳はまぎれもなく立派な老人である。立派な老人になった時、もう年齢など超越して、「四歳ぐらいかしら」とのたまうのだ。私はそれが正しいと思う。私の中の四歳は死んでいない。雪が降ると嬉しい時、私は自分が四歳だか九歳だか六十三だかに関知していない。
呆けたら本人は楽などと云う人が居るが、嘘だ。呆然としている四歳の八十八歳はよるべない孤児と同じなのだ。年がわからなくても子がわからなくても、季節がわからなくても、わからないからこそ呆然として実存そのものの不安におびえつづけているのだ。

肉親が呆けてしまった者には、「よるべない孤児」という言葉が痛く突き刺さるに違いない。佐野洋子は、母のその姿に不安と恐怖を覚える。やがて自分もそうなるであろうと。それでも、母を立派で正しいと言い切っている。そこに救いがある。

このエッセイで佐野洋子は、象徴的とも言える「死」に触れている。一つが、ガンで一週間少ししかもたないと言われた愛猫フネの「死」。
一番高いかんづめを買って、スプーンで食べさせる場面。

フネは私の目を見ながら舌を出して白身を一回だけなめた。私の声に一生懸命こたえようとしている。お前こんないい子だったのか、知らんかった。気が付くとフネは部屋の隅に行っていた。(略)ガンだガンだと大さわぎしないで、ただじっと静かにしている。畜生とは何と偉いものだろう。時々そっと目を開くと、遠く孤独な目をして、またそっと目を閉じる。静かな諦念がその目にあった。人間とは何とみっともないものなのだろう。じっと動かないフネを見ていると、厳粛な気持ちになり、九キロのタヌキ猫を私は尊敬せずにはいられなかった。

ほとんど食べることもできなくなったが、二週間が過ぎる。フネはもう砂箱まで行けない。それでも健気に、人間用のトイレのところまで必死に行って、便器の前で用を足す。一ヶ月後、クエッという声を上げ、息をひきとるが、著者はもう驚かない。

私はフネのように死にたいと思った。人間は月まで出かける事が出来ても、フネの用には死ねない。月まで出かけるからフネの様には死ねない。フネはフツーに死んだ。太古の昔、人はもしかしたらフネの様に、フネの様な目をして、フツーに死んだのかもしれない。「うちの猫死んだ」とアライさんに報告したら、「そうかね」とアライさんはフツーの声で云った。

アライさんというのは、親しくしてもらっている農家の旦那さんで、自然とともに生きている人である。命あるものがいつか死を迎えるのはあたりまえのことなのだと、「そうかね」のひと言によって、著者に静かに伝えている。決して温かさを欠く人ではない。あたりまえのことをフツーに受け入れられない、受けとめられない脆さを、著者は自身にも感じている。

もうひとつは、二歳年下の幼なじみ、孔ちゃん(六十二歳)の突然の「死」。妹からの電話で知らされた時、受話器を持ったままペタンと座りこんでしまい、「外に見えるものが世界中から消えてしまった様な気」がしてしまう。
鍋ごと豪快にカレーを食べ、演劇に打ち込み、やがて商社に勤め、億単位のお金を動かすようになる孔ちゃんだが、ふらっと著者の仕事場に来ては、仕事しているところを何時間も珍しそうに見ていたり、アメリカに渡ってからも時々用もないのに電話をかけてきたりしていた。孔ちゃんとの思い出が走馬燈の如く頭の中を駆けめぐる。

赤ん坊の時から友達は孔ちゃん唯一人だった。何の根拠もなく私が先に死ぬと思っていた。いやそんな事も考えなかった。どこかに孔ちゃんは居るにきまっていたのだ。「もう一回だけ会いたいよう」。私は声を出して床をたたいた。たたきながら、「一人暮らしってこういう時便利だなあと思っているのだ。そうだ、泣いても平気なんだと思うと、私は大声を出して泣いた。

四十九日の朝、オレンジやピンク、うす紫の雲が幾重にも染まって、浅間山の左の方が透きとおったピンクになり、孔ちゃんが極楽を見せてくれたのだ、と著者は思う。

私たちが老いて、誰にも死が近づいている。これから生き続けるということは、自分の周りの人達がこんな風にはがれ続けることなのだ。老いとはそういうさびしさなのだ。
一ヶ月前床をたたいて泣いたのに、今、私はテレビの馬鹿番組を見て大声で笑っている。生きているってことは残酷だなあ、と思いながら笑い続けている。

日常に還ることが生きていくこと、そして強さ、と取れないこともない。しかし、私には笑顔の底に、大事なものをひとつまたひとつと剥ぎ取られていく悲しみが見えてならない。

もちろん、佐野洋子らしさも随所に見られる。エベレストをあおぎ見たときに、その神聖さに畏敬の念を抱き、登ろうとする人間たちを、感受性を失った馬鹿と吠える。自分は女性として、現役を下りたので「今から男をたぶらかしたりする戦場に出てゆくわけでもない」から幸せで心安らかとも語っている。
農家のアライさん夫妻との心温まる交流、何でもそろっている不思議なドラッグストア「ホソカワ」とその店の奥さんの話。夏になると東京からやって来る古道具屋「ニコニコ堂」の親子との微笑ましいエピソードもある。ご主人はつげ義春『無能の人』のモデルになった人らしい。息子さんは芥川賞を受賞した長嶋有。
だがやはり、この本は「老い」と「死」を見つめる著者の視線が深くまとわりついている分、以前の作品とは趣を異にしている。
この『神も仏もありませぬ』が単行本で出版されてから5年後の2008年。『役に立たない日々』(朝日新聞出版)が世に出る。その本のおよそ3分の1弱あたりに「二〇〇五年冬」という章がある。こう始まる。
「ガンになったので、髪の毛がメリメリと抜ける。」

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佐野洋子のエッセイ (1)

『100万回生きたねこ』で遍く知られている佐野洋子のエッセイを読んだのは、『ふつうがえらい』(1995年発行・新潮文庫)が初めてだった。奔放なもの言い、すかっとするような切り口、「だって私は私でしかないんだ」という姿勢を貫いているのに、読後しんみりとしてしまう、不思議な魅力を湛えた本だった。

死んでしまった金魚を埋葬する際の、6歳の姉と5歳の妹の話。姉は猫に食べられないようにと深く土を掘る。妹は穴の中では苦しいし、暗くて寂しいからと、葉っぱを敷きつめ金魚を載せて、上から葉っぱをかける。姉妹の父親は、それぞれの個性を大事にしたいと著者に語りかける。ほのぼのとしたエピソードで終わるのかと思うと、そうはならない。佐野洋子は、前者をくそまじめ、後者を人から見るといいかげんなヤツと捉え、自分は後者だと。この世は、この二つのタイプがいいかげんに分布していて、変にピッタリくっついておぎない合っている。「いいかげんなヤツばっかでも、くそまじめだけでも世界は完璧にならない。神様はえらい。」と結ぶ。こういう視点のずらし方は著者特有のものだ。

40年前にご主人を亡くした、八十三歳のおばあさん。ある時、踏切の向こう側に竜宮城を見たと話しながら、(ご主人のことを)「世界一の男よ、わたくし、本当に幸せです」と言って、著者にボロボロになった写真を見せる。また別の時には、餌をあげたすずめが、「ありがとう」と人間のことばで喋り、お礼として子すずめをくれたと話す。そして、また亡き夫の写真を見せる。著者はその度、うらやましくて、ぽーっとしてしまう。そして次のように語る。
「人は生と死の間をこんなふうにおぼろに渡ってゆくのだろうか。どうしてこのひとだけにこんな美しい嘘と真の世界が用意されているのだろう。たった一人の男を命をかけて、たったひとつの自分のたましいと肉体をかけて愛したからだろうか。」と。私は「美しい嘘と真の世界」という表現に鷲づかみにされ、佐野洋子が好きになった。

「ことばを覚えると覚えるほどことばが通じるようになって、ことばが通じることだけで満足したりして、そしてことばでないものを感じたりわかったりすることを投げすててしまうのだ。」
著者は、内実を伴わないことばのやりとりに疑問を投げかけ、ことばの背後にある「ことばにならないことば」を重んじる。そして絵本における絵にも同じ視線を注いでいる。

ひとりの男性をめぐり三角関係に陥った友人(みよちゃん)の話を引き合いに出して、自らの恋愛のこころざしを語るところ。
敵対する女性が、出刃包丁を持ち出して彼を脅し寝かせない、どこにでもべったりくっついて行って、彼を追い込んでいるのが許せないとこぼす。著者が「あなた、しっとはないの?」と尋ねると、自分の知性、美学が許さない。人(男性)を自分のものだという権利なんかないと語る。それに対して、佐野洋子はこう思う。

私理由はわからない。でもみよちゃん、あなたの負けよ、出刃包丁が正しい、あのひとは私のものだって追いつめるのが正しい、たとえそれで男を失ったとしてもその女が正しい、この正しいというのは正義というのではない。恋愛に「権利」などという言葉を持ち出すみよちゃんの負けだ、と何かが私に教える。恋愛は本来無法地帯なのだ。誰も取り締まれない、全ての人に権利があり全ての人に権利などない。全ての秩序が崩壊する場だからこそ恋愛なのだ。その混沌から美しいものだけをとり出すことはできない。(略)人と人が生きるってもっと抜きさしならないところに追いつめられて追いつめて、追いつめる自分の醜さに耐えて、あたふた楽な方に逃げる相手のずるさを出刃包丁でさし殺すことではないのか。何の為の知性かと反論されれば、私は野生の中にある知性こそが、本当の知性だ、そして、それは人間が生き物であれば、誰でも持っているものだと思う。

恋愛に「正義」なぞを持ち込むことの愚かさは、納得できる。清濁ない交ぜになったところからしか、始まらないものもある。それがわかった時点で終わりを迎えようとも。

難しい言葉はひとつも使われていない。なのに、拡がりをもって読む者に迫ってくる。一見断言していると思えるころでも、「ほんとはひとりひとりが考えればいいことなんだ」「思いはそれぞれのもの」という声が聞こえてくる。彼女は、私たちがふだんうまく言葉にできないこと、言いにくいことを単に代弁しているわけではないのだ。

『ふつうがえらい』はマガジンハウスから発行されたのが1991年なので、今から18年前の文章になる。『がんばりません』(新潮文庫)は、『佐野洋子の単行本』(1985年発行・本の雑誌社)を文庫化したものなので、『ふつうがえらい』より6年前の文章にあたる。2000年にはエッセイ集『あれも嫌いこれも好き』が朝日新聞社から出ている。(現在朝日文庫)

佐野洋子のエッセイの本質を知るなら、『ふつうがえらい』(新潮文庫)、2003年に筑摩書房より出版され、昨年(2008年)11月にようやく文庫になった『神も仏もありませぬ』(ちくま文庫)『役に立たない日々』(2008年5月発行・朝日新聞出版)『シズコさん』(2008年4月発行・新潮社)の4冊を薦める。できれば、この順番に読むのを。最後の『シズコさん』はエッセイとは呼べないかもしれない。母親との愛憎を描いた特異な本だからだ。でも、読んで欲しい。
母親を病院に入れ、亡くし、自身が癌におかされ余命2年と宣告される彼女の人生の流れに添って読めば、ことばの響き方も違ってくるように思えるからである。

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古本の日 いつもの古書店で

夜、馴染みの古書店へ。店主とは写真集の話に興じる。「中平卓馬の写真集はありませんかね」と尋ねたら、現在は在庫なしとのこと。それを機に、いろいろと昔の面白い話を聞かせてもらう。

●中央公論社から発行された映像の現代シリーズをセットで売ろうとしたものの、半年経っても買い手が見つからず、それぞれ値段を考えてバラ売りしたところ、3ヶ月後には完売。しかも、当初セット価格でつけた値段をはるかに上回った。ちなみに森山大道の『狩人』は20万円で売れたみたいだ。

●ある日、細江英公の『薔薇刑』を探しているという女性から電話。持っていると伝えると、「実物を見たい」と言う。やって来たのは豪華な装いの年輩女性で、少しアルコールが入っていたらしい。それでも、手にとって見る目は真剣そのもので、ひととおり目を通すと、「いただくわ。ほかに、面白いものある?」と訊かれ、これはと思う写真集を何点か見せると、計4冊40万円分購入。「彼氏へのプレゼントよ」と微笑みながら、店を後にしたとのこと。

店の奥から森山大道の写真集を出して来てくれたので、見せてもらう。値段もけっこうするが、彼にはこんな写真集もあったのかと思えるものだった。写真集は、来店時、実物があるならすぐ見たいというお客様ばかりなので、めぼしいものは倉庫にではなく店内に置いておくらしい。その後、牛腸茂雄の話を聞かせてもらう。写真についてほとんど知識がないので、初めて聞く写真家だった。どのような写真かを聞いているうちに、魅力を感じ欲しくなる。ネットで調べたものの、高価なものが多い。「SELF AND ATHERS」なら、手の届く範囲だが、とにかく一度図書館で探して、牛腸の写真を見てみよう。

〔 購入本 〕

■ クルト・シュナイダー 『病態心理学序説』(中央洋書出版部) 1000円

20年前に、『臨床精神病理学』(改訂増補第6版・文光堂)を読んだが、この本の存在は知らなかった。「心の異常、心の病態とは、いかにして了解され得るものか?今日の精神病理学の発展に重大な影響を与えた、ヤスパースとならぶハイデルベルク学派の代表的精神科医が、冷たく美しい結晶のような文体で綴るこのうえなく簡潔で端正な精神病理学総論」と、帯に銘打ってある。

■ 三浦つとむ 『マルクス主義の復原』 (頸草書房) 800円

吉本隆明『言語にとって美とはなにか』で、この著者の存在を知った。官許マルクス主義をどう捌いているか、楽しみだ。何度か読んだ、三浦つとむ『日本語はどういう言語か』(講談社学術文庫)は、実に斬新で刺激的な本だ。今なお色褪せていないと思う。他に『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)、『ものの見方考え方』(頸草書房)を読んでいる。『こころとことば』(明石書店)も是非読んでみたい。

■ 井上日召 『一人一殺』 (新人物往来社) 200円

あの血盟団事件を起こした背景に何があったのかを知る、ひとつの縁(よすが)にはならないかと思い購入。井上本人は「一殺多生」をスローガンにしていたと聞いている。それにしても200円は安すぎる。まだ店頭に出していないものを、ちらっと見かけ、この値段で譲ってもらった。

■ 鶴見俊輔 ほか 『まげもの のぞき眼鏡』 (旺文社文庫) 200円

鶴見俊輔、多田道太郎ほか6名が大衆文学の魅力を伝える本。『虹滅記』『やちまた』の著者、足立巻一が執筆者に名を連ねているのだから、買うしかない!

帰宅後、昼間読み始めていた、篠山紀信 中平卓馬『決闘写真論』(朝日文庫)を一気に読了。13年以上前に購入した本だが、これで通読は5回目になるだろうか。部分的には何度も読んでいる。いつかブログで取りあげてみたい。

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ひばり(雲雀) ルナール~~ヴォーン・ウィリアムズ

一つのことに触発され、記憶の奥底に眠っていたものが甦ってくることが時々ある。今回はひばり(雲雀)だった。先日、R.シュトラウス『4つの最後の歌』について書いた際、曲中フルートによって、ひばりのさえずりが奏でられていることに触れた。同曲を何度も聴いたことがきっかけとなったのか、突然、昔読んだルナール『博物誌』(岸田国士訳・新潮文庫)の中に、「雲雀」があったような・・・と思い始める。気になって本棚の奧から引っ張り出して来たらやはり、「雲雀 ひばり」が載っていた。驚いたのはそのことではない。書かれている文章にだ。

私はかつて雲雀というものを見たことがない。夜明けと同時に起きてみても無駄である。雲雀は地上の鳥ではないのだ。(略)
そら、聞こえはせぬか-どこかはるかに高く、金の杯のなかで水晶のかけらを搗(つ)き砕いているのが……。
雲雀がどこで囀っているのか、それを誰が知ろう?
空を見つめていると、太陽が眼を焦がす。
雲雀の姿を見ることはあきらめなければならない。
雲雀は天上に棲んでいる。そして、天上の鳥のうち、この鳥だけが我々ところまで届く声で歌うのである。

文庫の奥付は昭和五十八年七月三〇日 三七刷となっている。20年以上前に読んだ本の詳細までは覚えていない。なのに、私が曲の中で抱いたイメージと重なっている。久しぶりにルナールの『博物誌』にさっと目を通す。ユーモラスで、時に辛辣、でも嫌みがない。自然を見つめるあたたかい眼差しの裏に、寂し気な表情が透けて見えてくる、不思議な本だ。ルナールは『にんじん』が有名だが、『葡萄畑の葡萄作り』(岸田国士訳・岩波文庫)もいい。

ひばり(雲雀)の音楽と言えば、やはり、ヴォーン・ウィリアムズの『揚げひばり』だろう。
田園の光や風をゆったりと感じさせてくれる管弦楽をバックに、空を舞い上がるひばりがヴァイオリンによって叙情的に表現される。ヴォーン・ウィリアムズといえば、あの哀感漂う、美しい『グリーンスリーヴズによる幻想曲』が有名だが、『揚げひばり』を含め、ほかにも魅力的な曲があるので聴いて欲しい。

〔 推薦盤 〕

『ヴォーン=ウィリアムズ 管弦楽曲集』バリー・ワーズワース指揮 ニュー・クイーンズ・ホール管弦楽団  
上記の曲以外に、『トマス・タリスの主題による幻想曲』ほか詩情あふれる曲が入っています。なお、このアルバムでは『揚げひばり』ではなく、『ひばりは昇る』という邦題になっています。

『イギリス管弦楽傑作集』 バレンボイム指揮 イギリス室内管弦楽団
『揚げひばり』『グリーンスリーヴズによる幻想曲』はもちろん収められていますが、『トマス・タリスの主題による幻想曲』などが入っていません。その代わり、ディーリアス、ウォルトンなどの曲が入っていて、それらの作品がまた素晴らしい。※残念ながら、国内盤は入手が難しいようです。

一部曲は重なりますが、2枚とも手元に置いておきたい名盤。聴いていると、その心地よさに、時の流れを忘れてしまいます。

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天上への静かなる飛翔 リヒャルト・シュトラウス 『4つの最後の歌』

リヒャルト・シュトラウスによる最後の作品。ヘッセの詩から3曲、アイヒェンドルフの詩から1曲、計4曲から成るオーケストラ伴奏付歌曲であり、<白鳥の歌>と呼ぶに相応しい傑作である。
死への諦念とともに、安息への憧憬が、厳かで、静謐で、それでいて甘美な、時に官能的ともいえる調べに充たされている。
「春」「9月」「眠りにつこうとして」「夕映えの中で」。季節の移り変わり、昼と夜、静と動の対比を織り合わせながら、人生の終焉へと至る足どりを表現している。
フォーレの『レクイエム』が、安息の光に包まれる天上の世界を描いているのに対し、『4つの最後の歌』は、死を迎えんとする者の、天上への静かなる飛翔を表現していると、私には思える。

■「春」(ヘッセ)
光に満ちあふれた春にやさしく包まれ、わたしたちは至福に震える。
■「9月」(ヘッセ)
季節は移りゆき、冷たい雨とともに夏は終わり告げる。夏を越す疲れから、休息への憧れが芽生え始める。
■「眠りにつこうとして」(ヘッセ)
昼(=人生)の疲れをひそやかに嘆く歌から始まり、やがてチェレスタの独特な音が星のきらめきを奏でる。星降る夜の中、すべてを忘れ、まどろみに沈みたくなる。子守歌を思わせるヴァイオリンの柔らかな独奏後、甘美の極みともいえる調べが拡がっていく。もうすでに生を飛び越え、夜の静謐な世界に包まれているかのごとく。

Und die Seel unbewacht. (そして魂は思いのままに)
Will in freinen Flgen schweben. (その翼をひろげて飛び)
Um im Zauberkreis der Naght. (夜の魔法に魅せられ)
Tief und tausendfach zu leben. (深く、とこしえに生きようとする)

■「夕映えの中で」(アイヒェンドルフ) 
オーケストラによる前奏が眩いばかりの夕映えを現出させ、ソプラノが「我々は手をつないで苦しさと喜びの中を歩いてきた」と、生涯を振り返り、哀切に歌い出す。さすらいを終え、静かな大地に憩うと、夜の帳が落ち始める気配の中で、二羽のひばりが舞い上がっていく。これから迎える孤独の世界で迷子にならぬよう、ひばりのさえずりが誘(いざな)ってくれるだろう。遂に、眠りにつく時(=死)が訪れる。

O weiter, stiller Friede! (おゝ、広い、静かな平和よ!)
So tief im Abendrot. (夕映えの中に深くつつまれ)
Wie sind wir wandermde - (われらはさすらいにつかれた)
Ist dies etwa der Tod? (これは死なのだろうか?)

「夕映えの中に深くつつまれ」と、ソプラノが歌うところは、この曲の中で最も美しく切ない。ソプラノによる歌が終わった後、オーケストラも、緩やかに終息へと向かい、最後はフルートが、彼方へ消えていくひばりのさえずりを奏で、曲は閉じられる。
浄化された魂が、天上へと静かに飛翔してゆく情景が浮かんでくる。

リヒャルト・シュトラウスの作品は、楽劇「ばらの騎士」およびその組曲くらいしか聴かない。映画『2001年宇宙の旅』で使われた「ツァラトゥストラはかく語りき」を始め、「英雄の生涯」「死と変容」「ドン・ファン」ほか多くの交響詩、「アルプス交響曲」もわざわざ聴こうという気になれない。「サロメ」「エレクトラ」も然り。(良さが分からないだけのことかもしれない) だが、この「4つの最後の歌」だけは、格別に愛聴している。

(  )内 日本語訳 渡辺護 ※アンダーライン2ヶ所 ドイツ語歌詞 ウムラウト略

〔 推薦盤 〕
① ★★★ ヤノヴィッツ(ソプラノ) カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

②★★ シュヴァルツコップ(ソプラノ) セル指揮 ベルリン放送交響楽団

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阪神・淡路大震災から14年 (2)

「運命」という言葉は時に虚しい。何かが起こってから初めて意識する。そして、悪い結果を招いた際には概ね、諦めの謂で使われる。恰も自身を納得させるかの如く。
何の因果か、私は震災発生前夜に大阪入りしたが、災害そのものからも、諦めざるを得ないという運命からも免れた。
震災発生翌々日には、三宮へ行く予定でいた。得意先に向かう道に建つビルが斜めに大きく傾いている光景を目にした時、生かされているという不思議な気持ちになった。
地殻変動という自然時間にとっての2日の違いなど、人間の生活時間に置き換えれば、瞬きする間にもならないのではないかと、思えたからである。

14年目の17日、私の知る限り東京で震災を特集した番組はNHKスペシャル「震災・秘められた決断」のみだった。延焼を防ぐか、人命救助にあたるか。どちらを優先させるかで苦渋の選択を強いられる消防士。想像を絶する数の遺体を前に、火葬場を手配できず、このままでは野焼きしかないのかと苦悩する職員などの証言がとりあげられていた。「逃げるんか!」と罵声を浴びせられたと語る消防士の、無念やるかたない表情は、決して忘れられない。せめてもの想いから、棺に野花を添えた職員のことも同様に。
関西では今年どのような特集が設けられたのだろう。

震災翌年の夏には関西担当の任を終えていたが、特別な事情から年に数回、大阪出張は続いていた。1月17日には大阪にいられるように訪れ、東京では放映されない多くの番組を録画し、持ち帰って見た。しかし、6年目以降は、出張の回数が減り、録画本数もどんどん減っていく。東京では関西ほど大きくは扱わないからだ。10年目という、(その数字に大きな意味があるとは思えぬ)区切りの年はそうでもなかったが。少しずつ忘れ去られていくような気がしてならなかった。そして14年目の今年は、45分番組1本。単に数のことを言いたいわけではない。

現在、神戸の人口の約3分の1は震災を直接体験していない人と聞き驚いた。それだけ多くの方が亡くなり、家を失い、離散し、戻りたくても戻れない現状が今なおある事をもの語っている。大規模な都市計画事業、再開発、区画整理事業によって立ち退かざるを得ない人々がいる。遠く離れた復興住宅の生活で孤独死を迎える高齢者も後を絶たない。
この日本において地震は避けられない。ならば、未曾有の惨事となった阪神・淡路大震災から学ぶべき事はまだまだあるのではないだろうか。その後に起きた新潟中越地震も含め、天災から学ぶべき多くの事が。

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阪神・淡路大震災から14年 (1)

1995年1月16日、私は最終に近い新幹線で東京から大阪へ向かった。23時半頃、会社が事務所兼宿泊所として借りていた、天満橋近辺にある3Kの古いマンションに到着。荷をとき、翌日の仕事の準備をしてベットに入ったのが、日付も変わった17日午前3時。そして・・・。

午前5時46分。爆音と揺れで飛び起きる。ベッド横の窓ガラスの衝撃音が凄まじく、一瞬近くでガス爆発が起こったのではないのかと身構えた。東京では何度も震度4を経験していたが、それを上回る衝撃だった。
すぐにテレビをつける。しばらくして京都震度5の表示。しかし、なかなか詳しい情報は入ってこない。6時過ぎ。徹夜していた会社の後輩から電話が入る。「関西の方で大きな地震が発生したみたいですが、大丈夫ですか?」と。皆には無事を伝えるよう、指示。その後妻にTELを入れ、無事を伝える。

朝一番の約束が入っていたので、詳しい状況を把握できないまま、得意先を訪問。担当者は出社していたが、どうやら大阪の地下鉄も止まっている線があるらしい。連絡のつかない社員もいるとのこと。大きな影響が出始めていると感じる。早々に打ち合わせを終え、事務所に戻る。

テレビをつけた途端、からだが震えた。現実とは思えぬ光景が映し出されている。ほぼ全国民が息を呑みながら目にした映像であろうが、激震を我が身で感じていただけに、恐怖に近い感情がわき起こってきた。
阪急、JR、阪神の各沿線、そして神戸には多くの得意先がある。芦屋には親戚が2件。昼頃、親戚の無事が確認された。しかし、得意先に関しては、どうしようもない。大混乱の状況下、連絡を入れるわけにもいかない。(連絡を取ろうとしても繋がらなかったであろう)
夕方、外に出る。すぐ隣の県で大惨事が起きているというのに、大阪の中心街は見かけは平常そのものだった。言いようのない違和感に囚われる。何ヶ所かビルの窓が割れ、歩道にロープが張られているのを見たものの。
出張は10日~12日間の予定だったので、大阪に留まることにした。仕事にはならないが、助かったとはいえ、親戚のことも気掛かりでならなかったからだ。

翌日からある異変が起きる。コンビニ、スーパーの店頭から水、パン、インスタント食品、カセットガスボンベなどが姿を消し、パン屋では「お一人様2個まで」という、販売制限が始まる。身を寄せるあてのある被災者が大阪を目指す一方、大阪の人々は必需品を買い集め、神戸方面へと救助、援助に向かう。

4日後の21日。私も、奈良の従姉、京都の従弟と共に3人で芦屋の伯母の家を目指した。電車で行けるところまで行き、後は歩いて約3時間。乗車中、窓外の街並みが変化していく。最初は屋根にブルーシートがかけられた、おびただしい数の家。それを過ぎ、阪急西宮北口駅に近づくに連れ、壊れたり傾いた家が目に飛び込んでくる。
歩き始めると、道のあらゆるところが盛り上がり、裂けていた。場所によってはうねっている。思うように歩けない。キャリーカートにくくりつけた救援物資が重く感じられる。多くの人が黙々と西へ西へと向かっていた。

芦屋の山側にある伯母の団地は、ところどころ外壁にひびが入っていたものの、なんとか生活できる状態は保たれていた。家の中に足を踏み入れ、いかに大きな揺れだったかを知る。食器類は粉々に砕け散っていた。寝室のベッドにはタンス他家具類が倒れ込んでいる。大きな怪我もなかったことが奇跡に思われた。
日が落ちないうちにと私一人、海側の埋め立て地に建てられた、もうひとつの親戚の家に向かう。阪神芦屋駅あたりから、ぐちゃぐちゃにつぶれた多くの木造家屋の残骸が視界に入って来る。足を止め、思わず手を合わせていた。
車道を走れないところでは、原付バイクの二人乗りが歩道の上をゆっくり走っていく。誰一人咎める者はいない。やむを得ないからだ。国道は車による大渋滞。サイレンの音が響き渡り、上空にはヘリの音。目の当たりにする光景を何と表現すればいいのだろうか。語弊があることを承知で言えば、ある種の戒厳令が布かれたら、このようになるのではないかとさえ思われた。実際、長田など火災による被害が甚大だったところは、戦場の焼け野原のようだとも表現された。

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『鶴見俊輔 いつも新しい思想家』 (河出書房新社)

特集本は隅々まで読む必要はないし、記事内容によっては、必ずしもタイムリーに読まなければならないこともないと思っている。実際私も、この『鶴見俊輔 いつも新しい思想家』 (河出書房新社)は全体の6割強しか読んでいない。高名な精神科医で、魅力ある著書を数多く出している中井久夫との対談、吉本隆明の記事、鶴見と編集グループSUREなどで活動を共にしている、黒川創による鶴見俊輔入門記事、そして自選アンソロジーの中の「退行計画」に惹かれ購入。

中井との対談はやや物足りない。鶴見が主役とはいえ、中井がほとんど聞き手、しかも話を自ら展開するきっかけもないまま、「そうですね」が多く、受けにまわってしまっている。友人の自殺をきっかけに、医局制の問題を衝く医学部批判を書いた28歳の頃に、自分の文体を獲得できたと語っているところがまあまあ長めの発言。(実際はもう少し話していたかもしれないが、流れの中でまとめられてしまった可能性がないとは言えない。しかし)もっと、中井自身の言葉を聞きたかった。
驚いたのは、先日ETV特集「吉本隆明語る」の中で、吉本が桑原武夫の第二芸術論を批判的に取りあげていたが、鶴見も同じことに言及していることだ。

桑原武夫が戦後間もない頃、俳句を否定するような「第二芸術」論を書きました。あれは政治文書としては今も当たっているとは思う。しかし文学論として扱えば、あれはだめ。曖昧さを見ることができていない。「第二芸術」論では和歌・俳句について間違っている。

自分を京大に招き、更に人文科学研究所の助教授にさせた桑原をそのように語るところが、いかにも鶴見俊輔らしい。
ヘレン・ケラーと実際に会って、「私はそのとなりのラドクリフという大学でとてもたくさんのことを学んだ。だが、そのたくさんのことをunlearnしなくてはならなかった」という言葉を聞く。その「unlearn」を「学びほぐす」と訳し、その姿勢を良寛の漢詩や和歌に見る。

中島岳志との対談では、葦津珍彦の影響を受けていることを認め、幕府が倒れたのも「腐っているものが倒れるのは当然」と言う。今の日本政府も腐っているが、潰すだけの力が日本社会の中にないとも語っている。
また、日露戦争時の児玉源太郎や小村寿太郎を、スピノザの『エチカ』からの言葉を用いて、「つくる自然」の人、すなわち、「我々が日本国家をつくるんだという意識をもっていた人たち」と捉え、続いて世界史及びアジア史における明治維新の重要性を説いているところは、とても興味深かった。

吉本隆明は、鶴見の「明治の歌謡-わたしのアンソロジー」(1959年)という文章を読んだ時に、「ナショナリズムの側面をはっきりさせないで、民主、平和といいことばかり言っても意味がないと思いました。それを読んで、この人は本格的な人だなと感じた」と語っている。そして、「戦後リベラルの中でも、あの人は最良ですね。僕なんかが大きな影響を受けた丸山真男でも鶴見さんのような幅のある見識はなかった。ですから、学問があったり知識があったりということと違う何か持っている人ですね」と高く評価している。転向論やべ平連問題では対立点はあっても、認めるべき所は認める。これは両者に共通している。
そして、次のようにも語っている。「戦争自体が悪だと考えるべきですね。その両義性を鶴見さんはよく理解しているのではないでしょうか」。

フランス文学者海老坂武は、鶴見と吉本による対談「どこに思想の根拠をおくか」に触れ、「戦後二十年の日本の思想史が凝縮されている、とすら言える」と述べている。
私は、『どこに思想の根拠をおくか 吉本隆明対談集』(筑摩書房・1989年第5刷)で読んでいたが、今回改めて読み直し、相手から投げかけられる疑問、批判的意見から逃げることなく、両者が見事に対峙しているとの感を強めた。

黒川創による、鶴見俊輔の解説はわかりやすくまとめられている。「展望」1968年3月号初出となっている「退行計画」は、鶴見俊輔という人間を知る上で、恰好の材料であろう。
主要著作解題の章も、いくつか読んでみたら、紙幅が限られている割には、充実している。また、巻末の著作案内もコンパクトでありながら、指針として役立つ。

特集本は概して、ある程度その人物の著書を読んでいないと、焦点が散漫になり、人物像をつかみにくくなる嫌いがある。
とはいえ、本書は自選によるアンソロジーが全体の約35%を占めていることも含め、鶴見俊輔に興味があるならば、入門書としてもお薦めできる。

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わめぞ「外市」を堪能 (2)

先日書いたように、「古書往来座 外市」までに、古書現世向井さんのところへ伺うことができなかった。さて、どうご挨拶したものかと思案中、向井さんの影が。その存在感は圧倒的だ。それでいながら、すうっと引き込まれてしまう柔らかさ、温かさ。(からだに触れてみてということではありませんよ)
風太郎 「すみません、お店の方に伺えず、外市になってしまって」
向井さん 「いついらっしゃるかとお待ちしていたんですよ」
風太郎 「外市前なので向井さんはいないかもしれないけれど、実は8日に伺うつもりでいたんですよ。仕事が延びて行けなくなってしまったんですが」
向井さん 「夜はいたかな。いや~、でも、来なくてよかったかも。私がいない時だと×××××ですから」
<いきなり向井さん節。残念ながら具体的には書けません>
とみきち(妻) 「うちでは勝手に"むかちゃん"って呼んでるんですよ~。ブログ楽しく読んでます。"むとちゃん"(武藤良子さん)の話になると最高!」
<風太郎冷や汗。すみません。勝手にちゃん付けで呼んでしまって>
向井さん 「何とでもお呼びください」
<ステキだ>
風太郎 「今度こそ伺います。狼おじさんになりたくないので」
向井さん (ニコっと笑いながら)「12月31日までに来ていただければ」
風太郎 「???」  <もう過ぎているぞ・・・>
とみきち(妻) 「さ~すが、よくご存じで。いっつも予定は未定。いつになるかわからないですからねえ」
<えっ? 今年の大晦日までにってことか?>
風太郎 「そんな~!」と言いながら、なれなれしく向井さんに体当たり。みごとにはじき返される。
日も沈み寒さがしみてくるはずなのに、ぽっかぽっかに心が和む。
向井さんからは、仕入れや値付けのことなど興味深い話を伺う。退屈男さんのことも話す。しっかり人を見て、愛情深い方だなあと思うことしきり。荻原魚雷さんを紹介していただいたのも向井さんでした。

向井さんから「わめぞ人MVP2008」を贈られたPippoさん。みちくさ市後にその存在を知ったので、彼女の「~pippoの思索劇場~」を読ませてもらいました。ハイデガーやキルケゴールと比して、ニーチェを詩人と捉える感性。車谷長吉『金輪際』に触れ、車谷の人間洞察力を「地獄の門で鬼が全身をねめまわすような」と表現。絲山秋子の文学を、シモーヌ・ヴェイユに言及しつつ、相手を傷つけずに人を見捨てない「恩寵」の文学と呼んでいる。大好きだという萩原朔太郎と、同郷の詩人高橋元吉との交流に思いを馳せる場面。ゲーテ、ヘッセ、横光利一が自身にとってどういう存在かを表現しているところ。強く印象に残った作品として、ポール・オースター『ムーン・パレス』、福田恆存『私の幸福論』などを挙げ。そして自らの想いを伝えることが困難な言葉の本質を意識しながら、言葉を求めてしまうところなど、共感を覚えました。それで、今回是非お話ししてみたかった。

他のお客様と話している後ろ姿、その装い。<Pippoさんに違いない> 声をかけるとビンゴ!
自己紹介すると「ああ、吉本隆明の本をたくさん持っている」と言っていただき、全く知らないわけではなかったんだとほっとする。Pippoさんの書棚にも吉本の本が収められていた。「番頭さん(という呼び方)っていいですよねえ」と褒められ、恐縮。とみきち(妻)が、本の担当は風太郎と説明すると、「それじゃ、こちらは看板娘?」 「むすめ? いやいや、とんでもない、ウワッハッハ」。Pippoさん、おもしろ過ぎです。私は古本市に参加するまで、どうやって本を処分してきたかを話す。とみきちが「いいですよね~、本のことだけやっていればいいんですから」と言いつつ、我が家の惨状を訴える。それを聞いたPippoさん、とみきちに「それじゃ本以外にも何かなさっているんですか?」 とみきちが「本のこと以外の日常全般です」と事実をありのままに伝えたら、「そのほうがたいへんですよね~」と素敵な笑顔。
私が荒川洋治『言葉のラジオ』を手にとるやいなや、「荒川さんのエッセイ、どれもいいですよね。あの幅の広さはスゴイです」とPippoさん。嬉しくなる。「思索劇場」の話になると、「あまり熱く語るのも・・・」と口にされるので、「日常のブログとは別に、楽しみにしていますし、私たち二人とも好きなので、これからも書いてください」とお願い。初対面なのに厚かましいことこの上ない。わずかな時間でしたが、自然体でいながら、常に言葉を探求し、ことばと格闘しながら、大切にしている「現代の吟遊詩人」という印象を受けました。

わめぞ>の方々の中には、まだお話しさせていただいことのない方もたくさんいらっしゃいます。つまり、まだまだ多くの楽しみが残っているわけです。

〔購入本〕 敬称略
● 中原昌也 『KKKベストセラー』(朝日新聞社) 古書現世
● 武藤良子 『オ風呂ノ話。』 m.r.factory(武藤良子)
● 平出隆 『猫の客』(河出書房新社) ふぉっくす舎
● 荒川洋治 『言葉のラジオ』(竹村出版) 小高根二郎『詩人 伊藤靜夫』(新潮選書) チンチロリン商店(Pippo)
● 海野弘 『アール・ヌーボーの世界』(中公文庫) 文壇高円寺(荻原魚雷)
● 古井由吉 『行隠れ』(集英社文庫) 蟲文庫
○ 遊び箋セット・棕櫚ほうき 旅猫雑貨店
南陀楼綾繁 『山からお宝 本を積まずにはいられない人のために』(けものみち計画)
内澤旬子 『おやじがき-絶滅危惧種中年男性図鑑』(にんげん出版)

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わめぞ「外市」を堪能 (1)

夕方4時半頃から1時間強、とみきち(妻)と共に、「古書往来座外市」へ足を運ぶ。多くの人で賑わっていた。昨日は強風に加え、底冷えするような寒さだったから、夜8時までの開催、さぞかしたいへんだったのではないかと思っていた。案の定、<わめぞ>のみなさんの口からは「きつかった」「死にそうだった」と。

外市終了1時間半前に訪れたので、自分の欲しい本は残っていないだろうから、<わめぞ>の方々に会うのがメインかなと思っていたが、何の何の。まだまだ魅力ある本が並んでいた。メンバーの方それぞれが選んで持ち寄っただけのことがあるなあとびっくり。さすが<わめぞ>。見たこともないような本、良質の本だけではなく、話題になった本、近刊本も、他に行ってもこんな良心的な値段では決して入手できない!本好きの人には自信をもってお薦め。

みちくさ市でお世話になった「旅猫雑貨店」の金子さんにご挨拶。その横に、お酒ではないかと思われるコップを片手に持った女性が。「武藤さんに違いない!」 で、金子さんにさり気なく、「あの~、武藤さんはどちらに?」と尋ねたら、ピンポン!ついについにあの武藤さんに会えた!初対面なのに自然に話は進む。みちくさ市で話題にした高校生らしき男の子が昨日現れたらしい。たぶん彼だろう。横で話を聞いていた金子さんは、武藤さんと私の繋がりが気になったご様子。

武藤さん「風太郎さんのブログ、ラブレターかと思った」

風太郎「わかりました?気持ちが通じたんですね」

ラブレターとは、いきなり武藤良子様の書き出しで始まる、私が書いた「みちくさ市」レポート(ブログ)のこと。<わめぞ>の方々のブログではいろいろと面白く話題にされている武藤さんですが、突き抜けたところがあったとしても、根は繊細な方だなと実感。年末から年始にかけて、ブログがちょっとパワーダウンしているように感じられ、心配していたのですが、お元気そうでよかった。その後レジの辺りから「『オ風呂ノ話。』完売!」の声が。人気ありますねえ。

「みちくさ市」で同じ会場だった晩鮭亭さんにもご挨拶。もちろん、我が家のヒーロー、退屈男さんにも!とみきちは、私が本を見ている間に、『山からお宝』裏表紙に載っている退屈男さんの部屋について、いろいろ質問していたらしい。本が積み上げられているので、カーテンは閉められない、窓も開けられない。ということは結露によって本が濡れてしまわないかと。そこで退屈男さんのひと言。「窓が二重になってますから」。誇らし気な表情がとてもキュートだったとか。

「みちくさ市」でお世話になり、長田弘『二十世紀書店』を購入していただいた、ふぉっくす舎さんの出品本を購入後、寒さを凌ぐため店内に入っていくと、「ありがとうございます」と声をかけていただいた。細かい気配りをされる方だなと思った。

古書往来座の瀬戸さんは店内カウンターで忙しそうにされていたので、残念ながら、ご挨拶のみ。

<わめぞ>の存在を知る以前に『古本暮らし』(晶文社)を読んでいた。その著者、文壇高円寺の荻原魚雷さんとも初めてお会いできた。どこか別世界から現れた人ではないかと思われる、不思議な方だった。でも、本やブログで書かれている文章との違和感は全く無かった。「新しい本が出るのを待っています」といきなりお願い。変なおっさんと思われたに違いない。口には出さなかったが、魚雷さんが小説を書いたら、どんな世界が描かれるのだろうかと勝手にわくわく想像してしまう。

話題になっていた蟲文庫さんには声をかける機会がなかった。というより、これまで接点がないので、気後れもあったというのが正直なところ。蟲文庫さんからは古井由吉の文庫を1冊購入。深沢七郎の単行本『楢山節考』と『極楽まくらおとし図』、所有していなかったら、躊躇わずに買っていたのだが。

次回はその(2)として、古書現世の向井さんとPippoさんについて触れます。

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信頼できる心の友 小児科医

以前「友と出逢い 本と出会う」という記事の中で触れた、現在小児科医として、クリニックを開いている友のことです。頭は文系なのに、特別な理由があって医者を目指したと書きましたが、彼は、小さい頃から足にハンディキャップを持っていたのです。しかし、運動神経は抜群で、休み時間に野球をした時には驚かされましたし、卒業後テニスをした時も、かなわなかった。高校、医大では卓球部所属。信じられないほどの本を昔から読んでいる彼のブログから、二つほど紹介してみたくなりました。

一つ目は医大で卓球をしていた頃を振り返っての話。

6年生までクラブを続けて、一番うれしかったのは、尊敬していた先輩に
『俺が一番嬉しかったのは ○○が試合で短パンはいた時だ』と言われた時でした。
100メートルは18秒でも、工夫次第で戦えるのはわかっても、4センチ短くて、細い足を見せることが始めて大学生で出来たのをその先輩は覚えていてくれました。
お尻の大きさ違うからジーンズはいたことはありません。
でも、その頃付き合っていた彼女は、お尻にポケットのない短パンの内側にお尻がちいさく見えないように、タオルを入れる内ボケットを着けてくれました。
喉元過ぎればなんとやら、今では夏いつも短パンです。(略) 自分のハンディキャップは目に見えるから、優しくして貰えて、楽なことだったんだって今は思えます。でも、やっぱり自分をつくってくれた不具合だと思っています。
どうしても出来なかったことはとても普通のことでした。

親御さんにはけっこう厳しい先生という評判です。一番近くで見守ってあげなくてはならないのが親だということを説いている姿が浮かんできます。怒られたと思って来なくなる若いお母さんがいるとしたら、寂しいことだなと思います。医師としての愛情ゆえに違いないはずだから。

二つ目は、仲間7、8人と「何時間人を待てるか」という話題になり、高校の時に7時間待った経験を持つ彼は、2番目の長さだったということ。
彼に聞いたら、いろんな歌を聴くので、完全に自分の作というより、無意識に誰かの歌の歌詞が混じっているかもしれないよとのことですが、こんなことを書いていました。

どうして君を好きになってしまったんだろう
と思いながら、本当にあきらめられるまで待ちました
途中からは、自分自身があきらめきれるのを待ってました

こういう心情って、男にはというより、自分にもあったなと、しんみりしてしまいました。
彼に魅力を感じたのも、自然なことだったんだなと思えるのです。
彼が自身のブログで、医大卒業時進路を決めてくれた本(絶版)を挙げていたので、日本の古本屋に注文し取り寄せました。
日下隼人『子どもの病む世界で』(ゆみる出版)。
今日プロローグの部分を読んで、これは簡単には読めるものではないと、一端閉じました。激しく心を揺さぶられそうな、重い本だと思えたからです。
彼も久しぶりに読んだみたいで、次のような感想を書いていました。

24年ぶりに読んだら、字が小さくてつらいけど『どうしてこんなに優しく出来るんだろう』と同じ思いをまた持ちました
自分なりにはあれだけ強い気持ちを持ったつもりで道を選んでも
やっぱり努力しても得られない優しさをもつ人がいるんだと思います

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〔 雑記 〕舌の根も渇かぬうちに古本買い

昨日8日(木)、「今日こそは古書現世さんに行くよ。外市前だからお店にいなくて、向井さんに会えないかもしれないけれど」と妻に言って家を出る。夕方、依頼された書類をアポなしで高田馬場の得意先に届けることになっていた。黙って受付に預けていくのも失礼なので、声をかけると担当者が出てきてくれた。それから話すこと1時間。失礼してから時計を見ると、18:45。ああ、間に合わない。泣く泣く古書現世さんに足を運ぶのを諦める。みちくさ市でお会いした際、お店の方に伺いますと言っていたのに,外市前に伺えなかった・・・。

雪にはならなかったものの、今日は一段と寒かった。神保町の得意先へ向かう途中、ある古書店の前を通りかかると、以前とはなんだか趣が違う。確か時代小説専門の古書店だったはずだが・・・。気になって看板を見ると、「りぶる・りべろ」となっている。「あれ?どこかで聞いたような。そうか、退屈男さんが以前ブログに書いていた古書店か!」
仕事の打ち合わせを終わらせた後、さっそく訪問。

小さめの店舗だが落ち着いた雰囲気。外の喧噪が嘘のようにそこだけが静まりかえっている。店内中央にはガラスのショーケースが置かれ、澁澤龍彦などの高価本が陳列されていた。文庫はそれほど重視していない感じを受けた。一般読者向けの本が100円均一で置かれたりしている。驚いたのは、思想系。左右問わず、美味しそうな本がずらっと並んでいた。トロツキーの亡命日記、影山正治の本など、懐に余裕があったら買っていたのに。懐かしい雑誌『流動』もあった。彷書月刊もバックナンバーを含め置いてある。週末の外市のことが頭にあったので、2冊だけ購入。
● 山村政明 『新編 いのち燃えつきるとも ある青春の遺稿集』(大和出版 1970発行)
● 中村真一郎 『夜半楽』(新潮文庫)
 今手元にあるものが日焼けで真茶色になり、文字も薄くなっているので買い直し。

次の仕事を終え、最後の仕事まで(移動時間を入れても)30分ほど空きができたので、得意先近くのブックオフへ。珈琲でも飲みながら本を読むのもいいのだが、自然と足が向いてしまう。時間がないので、哲学・思想、心理、音楽のコーナーのみ。100円コーナー、目を引くもの皆無。仕方なく半額の方へ。
ショーペンハウアー『存在と苦悩』〔金森誠也 編・訳〕が目に止まる。値札が貼っていない。中をパラパラめくる。10頁ほど鉛筆で線が引かれている。
そのことを指摘した上で、「これはおいくらですか?」と尋ねたら、「ああ、この状態ですから105円でいかがでしょうか」と言われ、即購入。
以前別のブックオフで、半額ではちょっとなあと思える線引き本があって、店員に交渉したら、「すみませんでした。これは売れません」と奧にしまい込まれてしまった。線引き、書き込み有りなどと表示されていて、それに見合った値段で売っている店舗もある。もっともそこは、一般の古書店に近いコーナーも設けてあり、ブックオフグループでも特殊ではあるが。
試してみるものだと実感。ただ、ブックオフは、中身を丁寧にチエックしていない場合の方が多いので、美本だと思って買うと痛い目に会うこともあるのでご注意を。
手袋忘れ、傘をさす手もかじかんでいたが、3冊も安く手に入れられ、いつのまにか暖かくなっていた(笑)。
年初に、今年は古本をあまり買わないようにしようなどと宣言したが、早くも崩れてしまった。

10日(土)、11日(日)は「古書往来座 外市」。どちらか一日、行くつもりでいる。楽しみだ。

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ETV特集「吉本隆明語る」(2009.1.4放映)を見る

90分という枠で、戦後思想界の巨人、吉本隆明の本質を描くことなど到底不可能とは思っていたが、予想通り断片的にしか伝えられていなかったというのが、正直な感想である。また、3時間に及んだという講演の3分の1も、番組には収められていなかったはずで、初めて吉本の語りを聞いた者にとっては、わかりにくい点が多かったのではないだろうか。
一歩進んでは立ち止まり、半歩後退したかと思うと二歩、三歩と進んで、また立ち止まる。たどたどしい語り口は、昔と変わらない。絶えず自分の中の言葉を紡ぎ出すことに苦闘している。
しかし、30年以上吉本の著書を読み続けてきた私には、「真実」と思える言葉を真摯に探る姿こそ、吉本隆明そのものであり、熱いものが伝わってきた。
以下、番組の内容を簡単にまとめながら、感想を述べてみたい。

いきなり、自らを「主戦主義者」だったと語り出すところなど、正直な人だなと共感を覚えた。終戦時、「生きていることの恥ずかしさでいっぱいだった」とも言っている。〔私は、吉本は右でも左でも、中道でもないと思っている。そんな枠には収まりきらない〕。
精神的には虚無に近い状態の中で、それまで身につけてきた教養が全く役に立たないことを自覚し、「世界をどう把握するか」を自らの課題として、古典経済学を学び始める。アダム・スミスからマルクスまで。スミスの『国富論』の中から、リンゴを枝からもいで取ってくるまでの例を挙げ、労働価値説に触れるが、TVの放映内容だけではわかりにくいように思えた。
吉本思想の大きな要である、マルクスとマルクス主義の違い、反スターリニズムについて触れられていないのも残念であった。もっとも、そのことに時間を割くわけにはいかなかったであろうが。

そしていよいよ「芸術言語論」。他人とのコミュニケーションのために用いられる「指示表出」の言葉は枝葉であって、言語の根幹は、沈黙にある。沈黙に近い、片言、ひとり言ともいえる「自己表出」が芸術の価値を形成していると語り始める。
著書『言語にとって美とはなにか』において、「自己表出」「指示表出」の概念に関しては、あらゆる角度から説かれているが、そう容易に理解できるものではない。ゆえに、話はもう少しわかりやすい具体例を挙げながら進められていく。
日本の俳句など、作者の名前を伏せてしまえば、芭蕉の句とて素人のものと見分けがつかないではないかという、桑原武夫による「第二芸術論」への批判として、小林秀雄も言っているように、芭蕉の句はバルザック、ヴァレリーなどの海外の芸術に、「自己表出」においては決して劣るものではないと語る。
〔※長編小説において、物語の起伏性が芸術的価値に間接的に関与していることを、小林が見落としていると、別のところで吉本は書いているが〕
日本の芸術は「短くすることによって蘇生させようとする」ものだと。
確かにバルザック、ドストエフスキーなどの海外長編文学は、純文学にして大衆文学の要素も兼ね備えていて見事ではあるが、物語に起伏を与えているのは「指示表出」の言葉であって、副次的なものであると語る。
その後、機能主義(ファンクショナリズム)の危うさを説くために、マルクスに触れる。
労働価値を付加していけば、つまりひとつの作品を直せば直すほど、芸術的価値も上がるというマルクスの考え方に異を唱える。「即興的に書いたって、いいものはできる」と。
予定の時間をオーバーし、熱弁を続ける最後のところで語られた内容は、特に印象に残った。

言葉の使い方という点では、現代人の方がはるかにたくさんの言葉を使える。しかしながら、それぞれの分野に専門化していることも否めない。そう話すことで、(はっきりとは言っていないが)吉本は現代の文学における密度の薄さを嘆いているようにも思える。
そして、こう結ぶ。
文明的価値も科学的価値もない時代の(万葉、古今、新古今などの)歌には「全人間力」が込められている。気分、感覚、情操というものが集約されていて強烈である。現代の方がよくなるというものではない。1000年や2000年で人間力の差はでないはずなのに・・・、と。

「半世紀もかけて考えてきたことを、そう簡単にはしゃべれない」という言葉が重く感じられた。
講演の最後近く、聴衆には目も向けず、上を向いたまま語り続ける姿は、まさに吉本自身が「自己表出」の言葉を絞り出しているように、私には思えた。

この番組で語られていたことを、もう少し詳しく知りたいと思うなら、吉本隆明著『日本語のゆくえ』(光文社)が役に立つはずです。 『「言語芸術論」への覚書』(李白社)という本も出ていますが、こちらはTVでとりあげた講演内容とは、ほとんど重なるところはないのでご注意ください。
ただ、最初にとりあげられている「神話伝承と古謡」「歌集『おほうなはら』について」という、やや専門的な文章を除けば、吉本隆明の人間性が明確に出ている、いい本です。

「言語のコミュニケーションとしてはゼロに等しいけれども、自分が自分に内心で問うている。その状態が「自己表出」です。それが芸術的な価値の純粋な意味になると、ぼくは理解しています」
「自分と、それから理想を願望するもうひとりの自分とのあいだがどれだけ豊富であるかということ、これが自己表出の元であり芸術的価値の元である」 
吉本隆明『日本語のゆくえ』(光文社)より

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2009年 古本買い初め

古本、新刊を問わず本屋には、できるものならわずかな時間でも構わないから、毎日でも訪れたい。この性癖は生涯直らないように思える。正月2日から早速行動開始。

2日 ブックオフ
● 大原富枝『息にわがする』(朝日文芸文庫) 『地上を旅する者』(福武文庫) 各105円
 私にとって、好きな作家と言うよりは、読まねばならぬ作家という位置づけである。事実、『婉という女』『アブラハムの幕舎』には圧倒された。『建礼門院右京大夫』には唸った。『息にわがする』はまだ読んだことのないエッセイ集。 『地上を旅する者』は今から読むなぞ、遅すぎるくらい。これに続く『地籟』(文藝春秋)も年内には何とか見つけて、読みたいと思っている。
● 『現代短編名作選2 1948-1950』(講談社文庫) 105円
 田中英光 「さようなら」、林房雄 「四つの文字」を読みたくて。
● 車谷長吉 『贋世捨人』(文春文庫) 105円
 この人の作品を読むにはある種の覚悟が要る。精神状態が向かないと思える時には、遠ざけた方が賢明だ。と言いながら、読まずにはいられない。
● 河盛好蔵 『回想の本棚』(中公文庫) 105円
● 井筒俊彦 『イスラーム生誕』(中公文庫) 105円
● 渡辺慧 『生命と自由』(岩波新書) 105円
●  桑野隆 『バフチン 〈対話〉そして〈解放の笑い〉』(岩波書店) 500円

3日 ブックオフ
● クライスト 『チリの地震』〈種村季弘訳〉(河出文庫) 105円
 ドイツ文学にある程度の造詣があれば知らない者はいない、34歳で自殺した19世紀初頭の孤高の作家。岩波文庫で『ペンテジレーア』『ミヒャエル・コールハースの運命』『O侯爵夫人 他六篇』『こわれがめ』は既読。河出文庫版には、「チリの地震」ほか6篇は岩波の『O侯爵夫人』の中にも入っている。しかし、「チリの地震」を一読して、同じ作品とは思えぬ趣に、読後言葉を失う。
狐のペンネームで有名な書評家、山村修が『もっと、狐の書評』(ちくま文庫)の中で、「マニエリスト種村季弘のこうした姿勢が、訳文にも影響しているとみていい。チリの大地震という十七世紀の史実を背景に、男と女の恋の異常な結末を書く表題作など、訳文の日本語が、さながらうねるがごとく波立つ」と書いている。全く同感である。
お薦めしたい本だが、残念ながら品切れで入手困難。

● 山村修 『気晴らしの発見』(新潮文庫) 105円
 後は、『遅読のすすめ』(新潮社)を入手できれば、狐=山村修に関しては、満足できる。

3日 古書店
● 保田與重郎 『後鳥羽院』(保田與重郎文庫4 新学舎) 400円
 言わずと知れた日本浪曼派の泰斗。戦時下の言動を批判され、終戦後、言論界から黙殺された。著者の本を読むことはタブーともされていたようだ。橋川文三『日本浪曼派批判序説』を先に読んでいれば、抵抗を覚えることがあっても不思議ではない。1960年後半以降の復権がなければ、こうして保田の多くの著作を文庫で読める環境にあったかどうかわからない。

『日本浪曼派の時代』『英雄と詩人』『ヱルテルは何故死んだか』ほか何冊かは、新学舎の文庫を購入して読んだものの、『後鳥羽院』には手が伸びなかった。そろそろ購入しようと思った時には、書店から姿を消していた。通常とは違う棚にひっそりと埋まっていた『後鳥羽院』が、私に微笑みかけてくれた。
『後鳥羽院』の中の、「近世の唯美主義」「近世文芸の誕生」は、『保田與重郎文芸論集』(講談社文芸文庫)に収められている。同書には、必読とも言える「日本の橋」も入っている。

● 奧浩平 『青春の墓標』(文春文庫) 300円
 単行本(ソフトカバー)と、同じ文庫を2冊所有しているのだが、つい購入してしまった。人に贈呈したものも含めれば、5冊は買っているだろうか。この他にも、樺美智子『人しれず微笑まん』、大宅歩『詩と反逆と死』、原口統三『二十歳のエチュード』、岸上大作『意志表示』などは、見つけるたびに値段に関係なく買ってしまうので、これまでに何冊購入し、何冊人の手に渡ったか正確には覚えていない。

● 臼井吉見 『大正文学史』(筑摩叢書) 200円
 友人が、臼井吉見の孫なので、気になった本は買うようにしている。
● 紀田順一郎 『日本の書物』(新潮社) 300円

まだまだ家じゅう、本の詰まった段ボール箱が積み上げられたままなので、今年は古本買いも、昨年より少な目にしようと思う。たぶん、無理。

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〔 雑記 〕 三が日

〔元旦〕
大晦日の晩も、普段と変わらずTVもつけずに過ごしていたので、気が付いたら、年明け1分前。危ないところだった。午前1時頃、近くの不動尊に初詣。4時頃就寝。
午後、実家に弟家族含め3家族集まり、元旦の祝い。8畳あるかないかのスペースに9人。すごい人口密度だ。腹休めに、姪(高2)、甥(高1、小5)を連れ、4人でコンビニへ。往復約40分。「飲み物含め、各自3品買っていいぞ」と言うと、時間をかけて選びにかかる。ココア、イチゴ風味のミルクティー、果汁100%オレンジジュース、黒梅のど飴、グミ、カローリーメイト(チョコ味)など、姉弟とはいえ好みもさまざま。見ているだけで面白い。行き帰りは、両親もいないし、大人は私一人。そのせいか会話もリラックス。両親(弟夫婦)の話になると、こどもはよく見ているものだと感心。歳の離れた弟が、姉、兄に対しどんなスタンスをとっているのかも興味深い。やはり家の中には歴然とした力関係があるようで、「お姉ちゃんがいらいらしている時だけ、お兄ちゃん側につくんだ」という発言に思わず微笑んでしまう。昨秋、明らかにメタボという感じで巨大化した私に久しぶりに会った時のことに触れ、「おじちゃんってわからなかったよ」という長男のひと言にはぐさ(笑)。しかし、「だいぶもとに戻ったね」のフォローに救われる。こどもたちの素顔、笑顔に触れることができ、楽しいひと時だった。

〔2日〕
昼頃起きる。午後は賀状書き。ここ4年ほど、年末から年始にかけてエネルギーが一気に枯渇する。単なる疲れと言うより、精神的なものか。それで、年内に賀状を書ききれない。元旦早々に賀状をいただく方には、申し訳ないな・・・と思いながら、改善できずにいる。

3年続けて、ありきたりの挨拶のみで、どんな暮らしをしているかも書かれ(というより印刷され)ていない。宛名も含め、手書き部分は一字も無し。20年以上の知り合いなのにこれかと、返事を出す気が失せる。それと、ペットの写真のみという賀状。近況もなければ、コメントもいっさい無し。50歳近くなろうというのに、こういう賀状を出す神経がわからない。実家で犬も猫も飼っていたので、かわいいのはわかる。でも、違うだろ。こういうことを言うと、年賀状は挨拶、交わすだけでもいいのではないかと、たまに人から言われるが、納得いかないものは納得できない。頭が固いのだろうか。
夜、車で20分ほどのブックオフへ。馴染みの古書店に引き取ってもらうのは憚られる本を、一箱分処分。2000円弱で売れる。1時間ほど本を見て回る。

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