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〔 雑記 〕 36年振りに読む息子の文章

仕事を早めに切り上げ、夕方から母を整形外科へ連れて行く。リハビリも行うので、3時間近く要する。病院横の珈琲店で話をする時間も含まれるからだ。
23日に両親と妻の4人、(実家で)ささやかなクリスマス会をした際、プリントアウトした(私が書いた)ブログ記事を何点か渡しておいた。それを何度も読んだみたいだ。身体はボロボロ、痛みもあるはずなのに、穏やかな顔を見せてくれた。
考えてみれば、小6の時に書き、市報に掲載された臨海学校感想文。中2で書いた「暗夜行路論」。それぐらいしか、息子の文章を読んだことがない。誕生日や母の日、クリスマスカードに書くのは文章と呼べるほどのものではないから。

高3の時、倫理社会の授業には試験がなく、提出する論文のみで成績を評価されるのがわかっていた。それをいいことに、代返で、開始早々少なくとも10人は教室から抜け出した。私は抜け出したメンバーの一人なので、3分の1くらいしか授業を受けていない。ノートを取ることは一度もなかった。申し訳程度に出た授業中も、好きな本ばかり読んでいたからだ。つくり話ではなく、そういうことが科目或いは教師によっては許される高校だった。教師も、代返とわかっていて、ニヤニヤ笑っていた。ひどい時は、一人の生徒が3、4人分「はい」と返事するのだ。
その先生の名誉のために言っておくが、卒業後開かれた同窓会で誰かがクラスノートを持ってきて、その中に授業のことが書かれているのを見て腰が抜けそうになった。ヘーゲルの弁証法のことなどが、こと細かに書かれている。その先生、数年後にはヨーロッパの大学へ哲学の勉強のため留学してしまった。要するに、「私の授業なんぞ、君らにはわかるまい」という感じで、余裕の笑いだったのだろう。完全に小僧っ子扱いされていたわけだ。
私は原稿用紙60枚前後の「ドストエフスキー論」を書いた。コメントはなく、最後に「Good」と書かれていた。教師が読んだのは、最初の5枚と最後の5枚程度ということがはっきりとわかった。その部分だけ、ところどころ赤い線が引かれ、4重丸や5重丸が書き込まれ、時に?があった。間の50枚は、図書館で借りてきたE.H.カー他の本からの引用などに、拙いコメントを付けた程度。つまり、そんな部分はわざわざ読むに値しない、お見通しだよと言われたようなものだ。なのに、一番いい評価をくれた。奇人、変人の類なのか、酔狂だったのか、今もってわからない。
そんなわけで、その文章は両親には見せられなかった。

拙いものであれ、36年振りに息子の文章を読んで、嬉しかったのだろう。
ちょっとした親孝行になったみたいだ。

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