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鶴見俊輔 片翼をになう人

時代のメルクマールとなる人物の多くが物故してしまった現在、日本思想、言論界の両翼を担っているのが、吉本隆明と鶴見俊輔であると、私は思っている。最前線で活動しているか、その発言が若者を含め多くの者に影響を与えているか否かを、さしあたって基準とはしていない。二人が抱く「倫理」という点で、その言説の根っこの部分が信ずるに足るものか否かという点で、この二人以外の名前は、残念ながら浮かばないのだ。

鶴見俊輔の『悼辞』が、編集グループSUREより発行されることは知っていたが、「みちくさ市」(古本市)への参加に伴い慌ただしくなり、忘れていた。12月7日付朝日新聞の書評欄で重松清が取り上げているのを読み、今日仕事の合間に連絡入れるもなかなか繋がらない。朝日の影響大と思い知る。結局10分かけ続けた。年内入手は無理であろうと思っていたが、既に増刷を終えており、入手できそうだ。明日手続せねば。重松の評は鋭い切り口もなく、物足りなかった。しかし、もとより買うつもりでいたので、影響はない。

鶴見俊輔という人物を知るのに、格好の材料が手元に残っていたので、少し長くなるが、紹介したい。

2003年3月24日付朝日新聞 「殺されたくない」を根拠に イラク反戦に見る新しい形より

9.11テロ以後に始まったこのピース・ウォークの第一回で私が出発地点にきたとき、集まったのは百五十人。そのうち百人が女性で、五十人が男性だった。男性には、共通の性格があり、女にひっぱられる男だった。もう少し踏み込んで言うと、女にひっぱられて生きる役割をよろこんで受け入れる男たちのようだった。(略)

私は、土讃善麿の戦後始まりの歌を思い出す。一九四五年八月十五日の家の中の出来事を歌った一首だ。

あなたは勝つものとおもつてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ

明治末から大正にかけて、啄木の友人として、戦争に反対し、朝鮮併合に反対した歌人土讃善麿は、やがて新聞人として、昭和に入ってから戦争に肩入れした演説を表舞台で国民に向かってくりかえした。そのあいだ家にあって、台所で料理をととのえていた妻は、乏しい材料から別の現状認識を保ちつづけた。思想のこのちがいを、正直に見据えて、敗戦後の歌人として一歩をふみだした土讃善麿は立派である。

敗戦当夜、食事をする気力もなくなった男は多くいた。しかし、夕食をととのえない女性がいただろうか。他の日とおなじく、女性は、食事をととのえた。この無言の姿勢の中に、平和運動の根がある。(略)

戦争反対の根拠を、自分が殺されたくないということに求めるほうがいい。理論は、戦争反対の姿勢を長期間にわたって支えるものではない。それは、自分の生活の中に根をもっていないからだ。

「理論は、戦争反対の姿勢を長期間にわたって支えるものではない。それは、自分の生活の中に根をもっていないからだ。」

戦争というものを考える際、咀嚼せねばならぬ、重い言葉だ。

まず、何から読めばいいかであるが、正直難しい。さしずめ、『期待と回想』(朝日文庫)が入手しやすく、値段も手頃であろうか。話題になった『戦争が遺したもの』(新曜社)、大衆芸術の本質をみごとに突いた『限界芸術論』(ちくま学芸文庫)などもあるが。

共著も含めると、驚くほどの著作数なので、図書館に足を運び、自分の興味あるテーマについて書かれている本から手にとってみるのも、いいかもしれない。

鶴見俊輔86歳。吉本隆明84歳。まだまだ健在でいてもらいたい。

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