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モーツァルト 「トルコ行進曲」 悲しみの調べ

遍く知られ、愛奏されてもいるこの曲について、今更書くことがあるのかと思われるかもしれませんが、少しお付き合いください。

ピアノをならい始めた少女なら必ず一度はお稽古させられる初心者向きのあのトルコ風ロンドを、母を喪った日にモーツァルトは書くのである。父親への手紙(※)より、よっぽど、K三三一のこのフィナーレにモーツァルトの顔は覗いている。ランドフスカのクラブサンでこのトルコ行進曲を聴いた時、白状するが私はモーツァルトの母の死後にこれがつくられたとは知らなかった。知ってから、あらためて聴き直して涙がこぼれた。私の娘もピアノでこれを弾く。でも娘のでは涙はうかびもしない。演奏はこわい。涙のまるで流れないトルコ行進曲が今、世界のどこぞで恐らく無数に演奏されているだろう。モーツァルトは二百年後の今だってそういう裏切りかたをされている作曲家だ。

五味康祐『五味康祐 音楽巡礼』(新潮文庫)より

(※)母の死を、最初は「母は重態です」と偽り、六日後に前便の虚偽を詫びて、「ぼくも心から苦しみ、激しく泣きました。・・・・・お父さん、お姉さん、泣けるだけお泣きなさい。しかし、しまいにはお諦めなさい」と、父に宛てた手紙。

母の死の直後に、有名な「トルコ行進曲」を含む、ピアノソナタ第11番イ長調K.331を書いたことを、この本で知りました。22歳の頃だったでしょうか。爾来、このエピソードに呪縛され、誰の演奏で聴いても、心から「ああ、これだ」という演奏に出逢えませんでした。内田光子、グールド、ギーゼギング、バックハウス、ピリス(新録)アラウ、ペライア、グルダ、ブレンデル、ハイドシェク、ポゴレリチ、ハスキル、ラローチャ、サイetc. 数多くの演奏を聴いてきたのですが。

ピリスの新録音は評価も高く、事実美しいのですが「トルコ行進曲」が自分の求めるものと違います。グールドの演奏は、一般に流布されているモーツァルト像を敢えて壊すことを意図したかのような、特異な演奏のため、物議をかもしたものです。低音の分散和音が重苦しく、例によってグールドの声が聞こえてきてしまうのが気になるものの、嫌いではありません。グールド自身、後期のモーツアルトを評価していないということはあっても、凡百の演奏家ではなし得ない世界を築いているからです。

楽譜上の指定はアレグレット(やや快速に)となっていますが、アレグロ(快速に)で弾く演奏者も多く、私が思い描く理想の「トルコ行進曲」が現れることはないのでは、と思っていました。

年に何度も聞きたい曲ではないため、マレア・ペライアの演奏で聴くことが比較的多いという程度でした。

先日、街の小さな中古CDショップの廉価コーナーを何とはなしに見ていたら、ピリスの旧録音が目に止まりました。一時期活動を停止する前の演奏。「演奏の比較もできるし、200円なら買ってみるか」と、期待もせず軽い気持ちで購入。

帰宅後聴き、第3楽章に入った瞬間、「えっ…」。その後、10回ほど連続で「トルコ行進曲」の含まれる第3楽章ばかり繰り返し聴いてしまいました。

ようやく、「理想に近い」演奏に巡り逢えた気分です。確かにテクニック、表現力の大きさの点で新録音には及びません。まるで練習曲を弾くかのように素朴で、飾り気のない演奏ですが、この「トルコ行進曲」は心の奥深くまで届いてきました。母を喪ったモーツアルトの悲しみが伝わってくるかのように。

作曲家がどのような精神状況下で作曲したか、何を意図して作曲したかを、知らずにいる方がいいこともありますし、逆に、知っているから適度なスパイスとなって、味わいを深くしてくれる場合もあります。有名な作曲家は恋愛にからんだエピソードも多く、たくさんの本が出版されているのも肯けます。

同じ曲が、演奏家によってまるで違う曲のように聞こえてくる。何度も何度も聴いた曲なのに、初めて聴いたように感じさせてくれる。クラシック音楽の面白さであり、魅力の尽きないところです。

音楽は、その人の人生に重ね合わせて聴くことが許される。クラシック音楽に限らず、そう思えます。あなたにはあなたの「トルコ行進曲」があるように。

モーツアルト『ピアノ・ソナタ第8(9)番、第10番、第11番』 ピリス(ピアノ)

私が購入したのは、2003年に発売された『11番、8(9)番、15(16)番、16(17)番』という組み合わせ〔COCO-70629 DENON〕ですが、トルコ行進曲は現在発売されているものと同じ演奏です。

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