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言葉にならないことば 言葉と沈黙 

言葉は難しい。そのひと言で救われることもあれば、何気なく向けられたひと言に深く傷つくこともある。どれだけ言葉を費やしても伝わらない想いもあれば、言葉などなくても、寄り添っているだけで、想いが伝わることもある。長年連れ添った相手、心から信頼できる友であっても、言葉にしなければ伝わらないことがある。
一方、沈黙はどうだろう。峻拒の表明。あるいは、敢えて言葉にしないのが愛情ということもあり得る。
言葉と沈黙。本質的な部分では、補い合い、支え合っている。言葉は、時に沈黙を背景として際立ち、沈黙は無ではなく、多くの言葉が語られる中で、大きな意味を持つ。

スイスの哲学者マックス・ピカートに『沈黙の世界』(みすず書房)という著書がある。沈黙を失ったがゆえに、人間の本質が変わってしまったと、警鐘を鳴らしている。60年も前に書かれた本だが、現代のように言葉や音が、あたかも記号の如く消費されることを予見しているのだ。ピカートは、自然、文明、病と死、など多くの場面における沈黙の本質、意義を説いている。

「沈黙は言葉にとって自然であり、休息(いこい)であり、未開の原野である。沈黙によって言葉は、言葉自身によって生じた暴虐から身を清める。沈黙の中で言葉は息をひそめ、そしてふたたび根源的な力でもって自己を充たすのである」。
「沈黙は言葉がなくても存在し得る。けれど、沈黙なくして言葉は存在し得ない。もし言葉に沈黙の背景がなければ言葉は深みを失ってしまうであろう」。
「沈黙は決して消極的なものではない。沈黙は単に『語らざること』ではない。沈黙は一つの積極的なもの、一つの充実した世界として独立自存しているものなのである」。

私は、ピカートが、沈黙に至上の価値を見いだしているとは思えない。沈黙が内包する豊かさを感知できれば、この世界が、より奥行きをもって現前することを伝えている。

また、ピカートは、根源的な愛の在り方を次のような言葉で語っている。

「愛の中にはことばよりも多くの沈黙がある。恋する男が恋人に語りかけるとき、恋人は、その言葉よりも沈黙に聴き入っている」。
黙って!あなたの声が聞こえるように」。

歌手長渕剛が、以前次のように語っていた。

互いが理解し合う時、その共通言語なんてほとんどないと思っています。口に出せば出すほど、自分の想いはますます空回りします。そして、わかってもらえたかなあと半端に期待して、そのあげく想い通りの答えが返ってこないことを恐れるのです。そして、ますます、また孤独になります。だから、「そんな事わかってるだろう?」というところから常に出発するのです。その人間の内側から発せられる手段が言葉だとすれば、さらにその言葉の裏側というか、内側の想いを理解しようと努めます。「なにを言いたいんだろうか?」と考えるのです。だから、瞳と背中しか信じません。それだけで、充分ですから---。

長渕は言葉を否定してはいない。良くも悪しくも人に影響を及ぼす言葉の力、危うさというものを受けとめている。そうでなければ、言葉に想いを託して歌うことなどできないはずだ。内奥から発せられる「ことば」に耳を傾けようとしている。それが、「瞳と背中しか信じません。それだけで充分ですから」という言葉になったのではないだろうか。

私は「沈黙」の重要さを感じている。と同時に、「言葉」も大切にしたい。言葉は両刃の剣でもあるから、よりいっそう大事にしたいと思う。相手に自分の「ことば」が届くように。容易なことではないが。

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