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〔雑記〕 クリスマスの思い出

私の父は、1943年、神宮外苑で行われた学徒出陣式の中にいた。医者だった父親(私の祖父)を3歳の頃に亡くし、母親(私の祖母)が妹二人を含む3人の子供を女手ひとつで育てた。母親と離れ、親戚の家にやっかいになることも多かったらしい。

幼少の頃から絵を描くことが大好きで、絵描きになりたかったみたいだ。大阪から単身上京し、上野の美術学校に入ったものの、戦況の悪化で徴兵された。戦地に赴く前に九州で終戦を迎えた。銃の整備中、仲間の銃の暴発で左の指を弾が貫通し、今も曲がったままである。美術学校は繰り上げ卒業。戦後の混乱期、油絵を描いて食べていけるはずもない。学校でしっかり技術を習得することもなかったのだから。社会がある程度落ち着くまでは、看板描き、雑誌のイラスト、童話の挿絵など、金になることは何でもやって糊口をしのいだらしい。

母と一緒になる頃には、油絵も描けるようになっていて、花や果物を描いた静物画、依頼された企業人の肖像画など、ぽつぽつと売れるようにはなっていたみたいだ。それでも、食べていくのは楽ではない。

私が小学校に上がる前のクリスマスの頃、年子の弟を含む家族4人で横浜へ行った。父は油絵を抱えていた。交渉は不成立、絵は売れなかった。母と3人で待っていた私にも、うまくいかなかったという雰囲気は伝わってきた。せっかく横浜まで来たのだからと、出来て間もないマリンタワーに、父と私と弟の3人で上った。母は倹約のため一人、下で待っていた。その後、市街の大衆食堂へ。大勢の人で賑わっていた。

何を食べたかは憶えていない。食事中、ひとりのおじさんがやって来て、弟と二人にミニカーをプレゼントしてくれた。絵を抱えた父、そして母、幼い兄弟。その光景が目立ったのだろうか。おじさんが何故ミニカーを持っていたのかも、わからない。我が家の外で現れたサンタクロース。雪は降っていなかった。街にはジングルベルやきよしこの夜などの音楽が流れていた。

幼い心に焼き付いた、忘れられないクリスマスの思い出。

贅沢はできなかったが、貧しいという思いは一度も抱かなかった。ほしいものがあっても、誕生日まで、クリスマスまで、○年生になったらと言われ、それまで待った。それがあたりまえと思え、苦痛ではなかった。

その後父は油絵を断念し、劇画、新聞、雑誌のイラスト、社報の表紙を描いて家族を養った。弟が一足先に家を出て働くようになり、まだ学生だった私も、バイトをかけもちし、学費以外は負担をかけないようになっていた。油絵も含め、ようやく好きなことができるかもしれないと思いかけた時、父の妹と同居していた母親を突然ひきとることになり、父の願いはかなわなかった。狭い団地のため、祖母の部屋がない。急遽、私が家を出て、一人暮らしを始めることになった。エアコンも風呂もない、6畳一間のアパートだった。

今父は86歳、母は85歳。クリスマスは必ず両親と過ごすことにしている。今年もその日が近づいてきた。

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