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荒川洋治のことを考えながら「みちくさ市」の準備

荒川洋治が著書『本を読む前に』(新書館)の中で語っている。

文庫は安いので、必要時にたまたま見つからないと買ってしまうと。久米正雄『学生時代』は新潮、角川、旺文社の各文庫で所持していて、その理由を「さわやかな青春小説だけに、各種揃えておきたいのである」と書いている。高見順『昭和文学盛衰史』『いやな感じ』は角川、文春文庫で計7冊。小山清『落穂拾い・聖アンデルセン』は新潮文庫だけで何と6冊も所持。

しかし、著者が同じ本を複数所持するほんとうの思いは、単行本に触れているところで、吐露されている。

「この本をさがしていた、どうしても手に入れたいという人が現れるものである。二冊あって、ぼくが読んだために一冊が汚れているときは、新品のほうをさしあげる。(中略)もちろんぼくは、一冊買うのが原則。当たり前の話だ。でもときにはそうでないときもある、というだけのこと。誰にだってそういう一冊があるだろうが、としをとってくると自分のためだけの姿勢で書物に向き合うことがむなしいことに思われてくる。いまは引き取り手がなくても、こうして手もとに残しておけば、いつか誰かの役にたつかもしれない。それでなくても、出たとたんに絶版になる時代である」

本や人への愛情にあふれていると思う。著者の本の多くは、単に詩人らしい感性に包まれているだけでない。ふっと立ち止まり、いろいろなものに思いを馳せる喜びを与えてくれるーそういう力を持った本でもある。

私などは、相手から求められなくても、これはと思える(気に入った)本は、近しい人に進呈したくなってしまう。懐に余裕がある時には、新刊で2、3冊買うときもある。品切れ、絶版になったら古書店で買って、手元に残しておく。ついに新刊で買っておいたものが切れたら、私が読んだほうを進呈し、古書店で買ったものを手元に残す。人の好みはさまざまであるから、決して感想を求めないことにしている。もちろん、相手から「いい本をありがとう」の一言があれば嬉しいが、なくても拘らない。荒川洋治の本も、すでに何冊も私の手元から旅立っていった。

今回のみちくさ市は、自身二回目の古本市への出店。本を選ぶのに、思っていた以上に悩み、時間がかかった。本を単なる「もの」として売りたくはない。道ばたの小さなスペースとはいえ、自己表現の場にしたい。そんな欲が出てくるから迷うのだろう。徹夜でようやくまとめたものの、満足度70%といったところである。

「秋も一箱古本市」の時と同様、素人店ゆえ、マニアの方が唸るようなものはありません。それでも、本好きの方がたくさん鬼子母神通りに足を運ばれるのですから、少しでも立ち止まってもらえるような本を選んでみました。どんな本かは、開催前に少しだけご紹介したいと思っています。

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