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「荒川(洋治)」に触るな!・・・?

荒川洋治の新刊が出ると、生活のリズム、ペースががらりと変わってしまう。他のことが手につかなくなってしまうのだ。まずは、さっと気になるところを中心に読む。熟読でも速読でもない。本全体の雰囲気を感じたいのだ。それから、じっくり味わう。これは熟読に近い。それが終わると、手元近くに置き、気に入ったところを読み返す。とりあげられている本で、未読のものの中から、これはと思う本をメモる。購入予定リストに加える。こんな感じで、他の本を読みながらも、一ヶ月は荒川洋治漬け。未読本が多いと懐も寂しくなってしまう。

そこで妻の一言。「荒川に触るな!」(笑)。新刊のみならず、荒川洋治の著作すべてを、しばらく禁じられてしまうのである。

本日、みちくさ市出品本の発送を無事終えたので、本番前ではあるが、荒川洋治『読むので思う』(幻戯書房)購入の許可が出た(笑)。いつもなら、日をおかずに購入し、読み始めているのだが、今回は「みちくさ市」が控えているために、珍しく自制。しかし、手元にあれば、本を開く誘惑には勝てない。ちょっとだけ目を通した。目次を見るだけでわくわくする。話題も多岐にわたっている。

独特のリズム、言葉遣い、ものを捉える視点、まちがいなく荒川洋治がいる。

「本を読むと何かを思う。本など読まなくても、思えることはいくつかある。だが本を読まなかったら思わないことはたくさんある。人が書いた作品のことがらやできごとはこちらには知らない色やかたち、空気、波長を持つ。いつもの自分にはない思いをさそう。読まないと、思いはない。思いの種類の少ない人になり、そのままに。」

ただ漫然と読むのではなく、きちんと「読める」人になりたいと思わせる。思いの種類の多い人になりたいと思う。

「日記は実際にあったことに従うものではない。ときに別の岸に流れ着く。現実や、思うところと違う道をとり、ちょっと笑って、どこかへ向かう。そんなことが一日のなかにあるのだ。面白いことだ。人にとって、とてもいいことだ。日記のように生きられたら、どんなに楽しいだろう。」

高見順『敗戦日記』(中公文庫)をとりあげ、小説や詩よりもかえって自在でのびやかな、「日記」の特性を説いている。

著者は、若者たちの読書離れをくいとめるために、どんな本を薦めるべきかを主張する際に、(必ずしもその本に読む価値がないと言っているわけではないが)古今の名作を選から外している。同時に、薦める側の未成熟さを指摘。また、絵本や童話には、しっかりと批評されるべき場がない、と嘆いている。こういう辛口の部分も変わらない。詩的で、人をやわらかく包む表現が多いだけに、その厳しさがいっそう際立っている。

塚本邦雄『百句燦燦』(講談社文芸文庫)の紹介文は、わずか2ページでありながら、奥行きがあって、見事である。『百句燦燦』の中でとりあげられている名句を例に出しているため、荒川自身の言葉は少ないにも関わらず。

まだ40ページほどしか読んでいないが、これから何が出てきて、何を考え、思わせてくれるのか、楽しみでならない。しかし、みちくさ市がある。のめり込んではまずいので、泣く泣く本を閉じた。

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