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2008年11月

「鬼子母神通り みちくさ市」 無事終了

何とか準備を間に合わせ、「みちくさ市」を終えられました。商店会および「わめぞ」関係者の方々の熱意ある、そして細やかなサポートあってのことと感じております。心より感謝申し上げます。また、足をお運びいただき、本をお買い上げいただいた方々、ありがとうございました。

古本市への参加は今回が2回目でしたが、ブログを始めたことも少なからぬ影響があったようで、自分を取り巻く環境があっという間に変わってしまったようにも感じられ、混乱しています。前回の「秋も一箱古本市」で知り合えた方々との再会、今回の新たな出会い、ブログから生まれた縁などが拡がっていき、気がつけば、これまでは全く知り得なかった繋がりの中に自分がいたのです。

ただ、今日は2時間弱しか寝ていないせいか、頭を整理し、言葉を選ぶのが難しいというのが、ほんとうのところです。ゆっくり、何回かに分けてご報告させていただきます。とはいえ、本日触れておかねばならないことがありました。

10月の不忍ブックストリート「茶話会」でご一緒させていただき、「とみきち読書日記」に早速コメントを頂戴したbanbanさん、またお会いできる機会を楽しみにしています。

そして、昨日当ブログにコメントをいただいたばかりか、ご来店の上、嵐山光三郎の本をご購入いただいたizamanさん、ありがとうございました。ブログからの流れで、実際にお会いできるのは初めてのことなので、嬉しかったです。しかし、正直なところ、アナログ人間の私はブログの仕組みが分かっておらず、本日の時点ではまだブログを拝見しておりませんでした。帰宅後、読ませていただいたところ、「あいうの本棚」さんにも寄られたのですね。

明日は、仕事の関連で、ほぼ毎年招待状を入手できる、「新語・流行語大賞」の会場へ都合がつけば、足を運ぶ予定です。

私ども「とみきち屋」の「みちくさ市」での様子を早く知りたいと思われる方は、妻「とみきち」が「とみきち読書日記」に書いておりますので、そちらをご覧下さい。

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「鬼子母神通り みちくさ市」出品本の中から

みちくさ市」に出品する本のいくつかを羅列するだけでは面白味に欠けるので、若干紹介させていただきます。正直申し上げて、私どもが出店する「とみきち屋」の宣伝です。また、選んでいるうちに気づいたのですが、書評家、古本ライターとして有名な岡崎武志さんが言及されている本の紹介がほとんど。「秋も一箱古本市」で初めてお会いし、ほんのわずかですが、お話しさせていただいた際、雰囲気のある、素敵な方という印象を強く持ちました。今回のみちくさ市にも参加されるとブログで知ったことの影響もあります。しかし、何より、その著書の多くが本好きには魅力あふれるもので、私自身何冊も読んでいたからだと思います。

数箱設置する中に、数も少なく、ありきたりではありますが「本の本、本屋の本、読書の本、ベスト本」というテーマの小さな箱をつくりました。その中からブックデザイン、装幀に関するものとして。

     栃折久美子『モロッコ革の本』(筑摩書房)※1

     菊地信義『装幀=菊地信義』(フィルムアート社)

本屋の本でも、読書の本というものではありませんが。

長田弘 『二十世紀書店』(中公新書)※2

※1 記憶は定かではないのですが、岡崎さんがちくま文庫に触れて書いている中で挙げられていたような・・・。出品するのは単行本(ソフトカバー)の方です。※2 岡崎さんが自著『読書の腕前』(光文社新書)の中で、「中公新書を思うとき、まっさきに思い浮かべるのがこの一冊」「一時期、古本屋通いのバックにいつもこの一冊があり、自分の書棚をうるおす最高の教科書だったことをいま思い出す。」と書いています。

     野呂邦暢 『丘の火』(文藝春秋) 『一滴の夏』(集英社文庫) 『落城記』(文春文庫)

講談社文芸文庫『草のつるぎ 一滴の夏』は今入手が難しいようです。再販の予定はあるのでしょうか。品切れにしておくのはもったいない。野呂から120通もの手紙をもらい、交流のあった豊田健次がその著書、『それぞれの芥川賞直木賞』(文春新書)の中で多くのエピソードを語っています。野呂という人物を知る上だけでなく、ひとつの物語のようにも読め、いい本です。

     野呂邦暢については、岡崎さんと山本善行さんの共著『古本屋めぐりが楽しくなる 新・文學入門』(工作舎)の中でも、約2ページにわたって語られています。この本、古本好きには堪らない。お二人の所有される本の質と数、知識の広範さ、情熱には圧倒されます。『丘の火』は遺作となった長編。

「とみきち屋」お薦め本。

・ 荒川洋治 『忘れられる過去』(みすず書房) 『文学が好き』(旬報社) 『読書の階段』(毎日新聞社)

極めてマイナーかもしれませんが。

・ 樋口修吉 『回転木馬』(集英社)

目黒孝二(=北上次郎)の書評の一部をもって紹介。

「この小説は樋口修吉らしい魅力にあふれた長編で、カジノ場面の迫力や脇を固める登場人物のあざやかさなど唸るほどだが、すぐれた恋愛小説もなっているのは、このヒロイン(注)たちが際だっているからだ」 目黒孝二『活字三昧』(角川文庫)より  

(注) by風太郎  普通の男ではとてもたちうちの出来ない、もぐりのカジノを経営する男の妻(老嬢)。いわば極道の妻。加えて、高校生の時に主人公と知り合った、家出娘。生一本の若い女性のこと。

ほかに、寺山修司ファンへ(品切れ本ではありませんが)、『ひとりぼっちのあなたに』(新書館 3冊入り復刻版)。ちょっと変わったものとして、後藤明生『四十歳のオブローモフ』(旺文社文庫)、辻邦夫『楽興の時 十二章』〈CD付〉(音楽之友社)。また、日本文化論の名作(と私は思っている)『自死の日本史』(ちくま学芸文庫・品切れ)の著者モーリス・パンゲによる、『テクストとしての日本』(筑摩書房)など。

一箱分を、300円均一コーナーとしても設けます。200円均一もあり。

「とみきち屋」出店場所:池田大シャッター前 みちくさ市本部 案内所横 (地図内 杉橋畳店前辺り)http://kmstreet.exblog.jp/9246115/

地図:http://kmstreet.exblog.jp/9564988/

明日は天気もよさそうです。鬼子母神では「手創り市」も開催されるとのこと。よろしかったら、足をお運びください。

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「鬼子母神通り みちくさ市」 カウントダウン

目録、POP作成など、準備が終わっていないためか、もうすでにカウントダウンに入った気分です。わくわくと、ドキドキとは違い、おろおろ(笑)

10月の不忍ブックストリート「秋も一箱古本市」でお世話になった「四谷書房」さんが、昨日私どものことをブログで紹介してくれました。心強く、嬉しいことです。四谷書房さんは「みちくさ市」には参加できないとのこと。とても残念です。次回お会いできるまでは、ブログの記事を日々読まさせていただきます。面白い情報満載、本への愛情、あたたかいお人柄が伝わってくる素敵な「四谷書房日録」、お薦めです。

「秋も一箱古本市」でお隣だった「あいうの本棚」さんは、みちくさ市に、名取ふとん店横の駐車場において出店されるので、またお会いできるのが楽しみです。私ども「とみきち屋」とは斜向かい。必ず伺います。「みちくさ市」関連のブログをちょこちょこ見ていると、錚々たるメンバーが集結する模様で、古本市参加2回目の私ども素人は、緊張の限り。会場は、ザ・ふるほ~んという感じが漂うのでしょうか。だとしたら、「あいうの本棚」さんは、センスあふれる独特の世界をお持ちなので、多くの方の目を惹きつけると思います。

古本市をきっかけに、さまざまな本好きの方たちと出逢い、刺激を受け、学べる。そして、新たに知り合えた方との交流が深まっていく。そのことが楽しくてなりません。次の記事では、出品本のご紹介をさせていただきます。何とか夕方までに。

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「荒川(洋治)」に触るな!・・・?

荒川洋治の新刊が出ると、生活のリズム、ペースががらりと変わってしまう。他のことが手につかなくなってしまうのだ。まずは、さっと気になるところを中心に読む。熟読でも速読でもない。本全体の雰囲気を感じたいのだ。それから、じっくり味わう。これは熟読に近い。それが終わると、手元近くに置き、気に入ったところを読み返す。とりあげられている本で、未読のものの中から、これはと思う本をメモる。購入予定リストに加える。こんな感じで、他の本を読みながらも、一ヶ月は荒川洋治漬け。未読本が多いと懐も寂しくなってしまう。

そこで妻の一言。「荒川に触るな!」(笑)。新刊のみならず、荒川洋治の著作すべてを、しばらく禁じられてしまうのである。

本日、みちくさ市出品本の発送を無事終えたので、本番前ではあるが、荒川洋治『読むので思う』(幻戯書房)購入の許可が出た(笑)。いつもなら、日をおかずに購入し、読み始めているのだが、今回は「みちくさ市」が控えているために、珍しく自制。しかし、手元にあれば、本を開く誘惑には勝てない。ちょっとだけ目を通した。目次を見るだけでわくわくする。話題も多岐にわたっている。

独特のリズム、言葉遣い、ものを捉える視点、まちがいなく荒川洋治がいる。

「本を読むと何かを思う。本など読まなくても、思えることはいくつかある。だが本を読まなかったら思わないことはたくさんある。人が書いた作品のことがらやできごとはこちらには知らない色やかたち、空気、波長を持つ。いつもの自分にはない思いをさそう。読まないと、思いはない。思いの種類の少ない人になり、そのままに。」

ただ漫然と読むのではなく、きちんと「読める」人になりたいと思わせる。思いの種類の多い人になりたいと思う。

「日記は実際にあったことに従うものではない。ときに別の岸に流れ着く。現実や、思うところと違う道をとり、ちょっと笑って、どこかへ向かう。そんなことが一日のなかにあるのだ。面白いことだ。人にとって、とてもいいことだ。日記のように生きられたら、どんなに楽しいだろう。」

高見順『敗戦日記』(中公文庫)をとりあげ、小説や詩よりもかえって自在でのびやかな、「日記」の特性を説いている。

著者は、若者たちの読書離れをくいとめるために、どんな本を薦めるべきかを主張する際に、(必ずしもその本に読む価値がないと言っているわけではないが)古今の名作を選から外している。同時に、薦める側の未成熟さを指摘。また、絵本や童話には、しっかりと批評されるべき場がない、と嘆いている。こういう辛口の部分も変わらない。詩的で、人をやわらかく包む表現が多いだけに、その厳しさがいっそう際立っている。

塚本邦雄『百句燦燦』(講談社文芸文庫)の紹介文は、わずか2ページでありながら、奥行きがあって、見事である。『百句燦燦』の中でとりあげられている名句を例に出しているため、荒川自身の言葉は少ないにも関わらず。

まだ40ページほどしか読んでいないが、これから何が出てきて、何を考え、思わせてくれるのか、楽しみでならない。しかし、みちくさ市がある。のめり込んではまずいので、泣く泣く本を閉じた。

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荒川洋治のことを考えながら「みちくさ市」の準備

荒川洋治が著書『本を読む前に』(新書館)の中で語っている。

文庫は安いので、必要時にたまたま見つからないと買ってしまうと。久米正雄『学生時代』は新潮、角川、旺文社の各文庫で所持していて、その理由を「さわやかな青春小説だけに、各種揃えておきたいのである」と書いている。高見順『昭和文学盛衰史』『いやな感じ』は角川、文春文庫で計7冊。小山清『落穂拾い・聖アンデルセン』は新潮文庫だけで何と6冊も所持。

しかし、著者が同じ本を複数所持するほんとうの思いは、単行本に触れているところで、吐露されている。

「この本をさがしていた、どうしても手に入れたいという人が現れるものである。二冊あって、ぼくが読んだために一冊が汚れているときは、新品のほうをさしあげる。(中略)もちろんぼくは、一冊買うのが原則。当たり前の話だ。でもときにはそうでないときもある、というだけのこと。誰にだってそういう一冊があるだろうが、としをとってくると自分のためだけの姿勢で書物に向き合うことがむなしいことに思われてくる。いまは引き取り手がなくても、こうして手もとに残しておけば、いつか誰かの役にたつかもしれない。それでなくても、出たとたんに絶版になる時代である」

本や人への愛情にあふれていると思う。著者の本の多くは、単に詩人らしい感性に包まれているだけでない。ふっと立ち止まり、いろいろなものに思いを馳せる喜びを与えてくれるーそういう力を持った本でもある。

私などは、相手から求められなくても、これはと思える(気に入った)本は、近しい人に進呈したくなってしまう。懐に余裕がある時には、新刊で2、3冊買うときもある。品切れ、絶版になったら古書店で買って、手元に残しておく。ついに新刊で買っておいたものが切れたら、私が読んだほうを進呈し、古書店で買ったものを手元に残す。人の好みはさまざまであるから、決して感想を求めないことにしている。もちろん、相手から「いい本をありがとう」の一言があれば嬉しいが、なくても拘らない。荒川洋治の本も、すでに何冊も私の手元から旅立っていった。

今回のみちくさ市は、自身二回目の古本市への出店。本を選ぶのに、思っていた以上に悩み、時間がかかった。本を単なる「もの」として売りたくはない。道ばたの小さなスペースとはいえ、自己表現の場にしたい。そんな欲が出てくるから迷うのだろう。徹夜でようやくまとめたものの、満足度70%といったところである。

「秋も一箱古本市」の時と同様、素人店ゆえ、マニアの方が唸るようなものはありません。それでも、本好きの方がたくさん鬼子母神通りに足を運ばれるのですから、少しでも立ち止まってもらえるような本を選んでみました。どんな本かは、開催前に少しだけご紹介したいと思っています。

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「みちくさ市」に向け苦闘中

わめぞ協賛、「鬼子母神通り みちくさ市」の準備を始めようと、狭い我が家を見回したら、7つある本棚に収まりきらない本が、20箱以上あちらこちらに積み上げられている。これにクラシックCD(処分時、個人観賞用として音楽用CDに入れたもの)を加えると、ゆうに30箱を超えている感じだ。妻が「何とかして!!」と文句言うのも無理はない。コレクターのつもりはないのに、これはやはり病気である(笑)。どの箱にどんなものが入っているか、8割方把握しているつもりであったが、歳のせいか、かなり怪しくなってきた(笑)。

どの本を出品しようか、頭では描いていたものの、きちんと値付けをしていなかったため、箱から出しては床に並べ、戻してはまた他の箱を漁り。終日肉体労働となってしまった。レイアウトを考えながらの仕分けにも手間取る。

いざ出品用の箱に入れてみると、どうも貧相だ。後ろ側の本は一段高くしないと見えにくい。並べているうちに、この本は手元に置いておきたいと心が揺れる。次から次へと問題発生。5時間かけてどうにか形にはなったものの、正式な値付け、リスト(目録)やスリップ作成、さらに、すべての本にスリップを挟み込むというように、気の遠くなるような作業が残っている。金曜には発送を終えなければならないことを考えると、まさにピンチだ。

今回、テーマは「本の本、本屋の本、ベスト本」の一つのみ。やってみたいテーマは他に4つほどあるのだが、トータルでの品不足、テーマの目玉としたい本の一点が、上下巻の片方しかない(これでは意味がない)などの理由で断念した。また、300円均一コーナーとして丸々一箱分使いたくなり、テーマを増やす余裕が無くなったのも一因。

「秋も一箱古本市」の時とは違い、1冊4,000円以上という高価な本の出品はしません。古本市を経験し、少しばかり怖れ(無謀)というものを知りました(笑)。

講談社文芸文庫、ちくま文庫、中公文庫ほか、単行本も含め全体の6割強を、入手しにくい品切れ本で揃えられるよう奮闘中です。新刊で入手可能な本についても、お薦めしたい荒川洋治、佐野洋子の本などは、お手頃な価格で出品します。

わめぞや、その関連の方など、プロやセミプロに混じっての出店ですが、ゴーイングマイウェイ、気張らずにいきます。ちょっと覗いていただけた時に、「これじゃあねえ」と思われない程度には格好をつけますので、是非お立ち寄りください。

私ども「とみきち屋」の出店場所は池田ビル大シャッター前となっております。
11月30日(日)の開催までは、「みちくさ市」関連の記事が多くなると思います。ご容赦のほどを。

写真は、だいたいこんな感じで出店という、完成途上のしろものです。

Photo_3

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わが憩いの場 地元の古書店

夜、25年以上の付き合いがある地元の古書店に、本を1箱半処分。みちくさ市を控えているのに何をやっているんだろうと思われかねないが、売ったり買ったり、定期的な物々交換。付き合い上、いろいろあるのです(笑)

店主によると、文庫は動くものの、単行本が厳しいとのこと。特に筋の良い本の買い取り量が減ったため、在庫を出し続けても限界があり、書棚が寂しくなるのを嘆いていた。一時期は、書評ライター、編集者、大学の先生などが定期的に処分してくれていたので、「ははあ。まとめて入荷があったんだな」と一目でわかることが多かった。私の行きつけの、憩いの場でもあるのだから、がんばってほしい。

・ 今東光『毒舌文壇史』(徳間書店)
・ 池内紀『出ふるさと記』(新潮社)
・ 福永武彦『書物の心』(新潮社)
・ 黒田三郎『やさしい現代詩』(明治書院)
・ ブランショ『文学空間』(現代思潮社)カバーなし
・ 宅島徳光 『くちなしの花 ―ある戦没学生の手記―』(旺文社文庫)

などを購入。今東光については、改めて書いてみたい。ブランショの本は、若い頃、お金がなくなった時に処分してしまったので、手元に買い戻したようなもの。カバーなしで、日焼けも目立つが、読み直せる。800円なのだから文句なし。

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「古書ほうろう」さんとの出逢い、そして縁

仕事帰りに千駄木へ足を運ぶ。「古書ほうろう」を訪ねた。噂に違わぬ、いや噂以上に魅力ある古書店だった。

想像していたよりも広いスペースの中、ジャンル別に仕分けされた本が、ぴっちり整然とではなく、一冊ずつ時間をかけて見たくなるような、心地よい案配で並べられていた。昔風の古色蒼然たるイメージはなく、清潔感があって、店内のあちらこちらに目移りしてしまう工夫も凝らされている。様々なイベントのチラシ、小物、こだわりの商品や本も、訪れた者を飽きさせない。私のような素人には、お初にお目にかかる本ばかりだ。なのに、その多くの本からは(実際は稀少で高価な本であっても)「さあどうだ」と、こちらを圧倒せんばかりの表情は感じられず、購入しなくとも、出逢えたことに喜びすら感じられるのが不思議でならなかった。経営する4人の方のこだわりが随所に見えながら、繊細かつ控えめに、店そのものを表現しているようにも感じられた。

漏れ聞こえてくるお客様との会話からも、店のポリシーが感じられた。買値を付けられる本とそうでない本を丁寧に説明している様子に、こちらまでやさしい気持ちになってしまう。

私の周りには、「古本屋さんに一度本を売りに言ったら、ひどく横柄な態度で、怒られているように思えた。以後、二度と行く気にならない。」と言う者も少なくない。
「古書ほうろう」さんのような古書店に最初に巡り逢えていたら、抱くイメージも違っていただろう。

「秋も一箱古本市」で、私どもが並べた箱を見て「いいですねえ。テーマがあって。こういうの好きですよ」と声をかけていただいたのが、今日お店に出られていた宮地さんとの初めての出逢いだった。単に髪を短くされているからではなく、穏やかでありながら、内面には厳しく鋭い目を持つ、「僧侶」のような印象を私は受けた。その後、茶話会でお会いし、いろいろと話をさせていただいた。「本にも念が宿るんですよ」という宮地さんの言葉が忘れられない。営業のお邪魔をするわけにはいかないので、話せたのは、本を購入した際の、ほんのわずかな時間ではあったが、今もって私の印象は変わらない。店内のBGMは、ピアノ演奏によるクラシック音楽だった。宮地さんの好みと思われた。

帰宅してから、宮地さんが昨年11月に書いた記事を見つけて読み、自分の推測が間違いではなかったと知る。「50年前の音楽会」の魅力的なこと!クラシック音楽ファンにはたまらない内容だ。コルトー、バックハウス、ハイフェッツ、シゲティ、ケンプ・・生で聴けたらどんなに素晴らしかったことだろう。想像するだけでため息が出る。すべて、私が生まれる前の演奏会ゆえ、はかない夢に過ぎないが。

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内堀弘『ボン書店の幻』を読む

先日、内堀弘『ボン書店の幻』(ちくま文庫)を読み終える。ボン書店という店舗を持たない出版社を立ち上げ、採算を顧みず、美しい詩集を一人で出版した鳥羽茂。読み進むにつれ、彼の青白く燃え盛る情熱に包まれ、神秘的ともいえる謎多き人生にぐいぐいと引き込まれた。著者の鳥羽茂を追う温かい視線、ひとつひとつ資料を丹念にあたり、関係者の話を聞き、鳥羽の人生を再現していく労力、執念には、ただただ頭が下がる。また、「文学史」というものが、身を削るようにして書物を送り出した刊行者には全くといっていいほど触れないことへの著者の違和感、いや、絶望的な不満にも共感を覚えてならない。今回、文庫化にあたり加えられた「文庫版のための少し長いあとがき」がまた、素晴らしい。これはいわゆる「あとがき」と呼ぶ範疇を超えている。著者の愛情があふれんばかりに注ぎ込まれた小篇と言っても過言ではない。特に最後の一行の余韻は、心の奥深くまで染み込んでくる。

モダニズム(詩人)の知識がなくとも、特別な本好きでなくとも、しっとりとした読後感を得られる素敵な本です。

ちなみに筆者内堀弘さんは、古書店「石神井書林」の店主さんです。

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旧制高校生の〈三種の神器〉本復活か?!

岩波文庫がウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』、シモーヌ・ヴェーユ『自由と社会的抑圧』、レヴィナス『全体性と無限』、ホルクハイマー/アドルノ『啓蒙の弁証法』などを出版した時も少なからぬ驚きはあった。しかし、近年、ユクスキュル/クリサート『生物から見た世界』、シュレーディンガー『生命とは何か』など、科学系のものを出していることにも目がいく。『生命とは何か』は同社が新書で発行していたこと、ベストセラーとなった福岡伸一『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)の中でシュレーディンガーが取り上げられている影響も少なからずあるのだろう。

しかし、ここに来て、坂口安吾『堕落論、日本文化私観 他二十二篇』を皮切りに安吾の文庫を続々と出版する岩波のねらいはどこにあるのだろうか。新潮、角川、集英社、ちくま、講談社文芸文庫など、「堕落論」は、掲載作品の組み合わせこそ違え、多くの出版社から既に文庫が出ている。しかも、ちくま文庫は全集だ。岩波という知的(?)ブランドを看板にしたところで、売上げ上の限界はあるはず。

そして、なんとなんと岩波は、倉田百三『愛と認識との出発』までも復刊した! 角川文庫版が絶版になって以来、文庫で読むことが叶わなかったわけだから、個人的には喜ばしい。が、底流に何があるのかはわからない。「まさか、教養主義の復興?? ならば、阿部次郎『三太郎の日記』なんかも、そう遠くないうちに出版されたりして。そこまではあるまい・・」とぶつぶつ独りごと。

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コンセルトヘボウ演奏会雑感

先週の11日、マリス・ヤンソンス指揮によるロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏をサントリーホールに聴きに行った。海外オケのコンサートに足を運んだのは、コルボ指揮、ローザンヌ器楽&声楽アンサンブルによる、バッハの「マタイ」とフォーレの「レクイエム」以来2年半振り。高校時代からの親友が招待券を入手し誘ってくれた。自腹ではとうてい手の出ない豪華なS席。やはり持つべき者は友。

曲目はブラームス「交響曲第3番」とムソルグスキー「展覧会の絵」 ブラームスは哀感漂うというより、木漏れ日の中をたゆたうような演奏。極端な表現は避け、オーソドックスなものだった。弦の音色はビロードの如く艶があって心地よい。ヴァイオリンは、重厚さは欠くものの、弱音部ではその美しさが遺憾なく発揮されていた。特筆すべきはヴィオラ、チェロ、コントラバス。それらが溶け合った時の得も言われぬ響き。からだがぞくぞくと震えた。木管はどれも柔らかく、甘やかで、技術も高い。金管も咆哮するわけではないが、ホルンの弱音という難度の高いところも難なくこなしていた。ヤンソンスは、ところどころ独特の味付けを施してはいたが、総じてアンサンブルを重視し、美しい音色を響かせることを心がけているように思われた。

「展覧会の絵」はオーケストラ総動員でこれが今のコンセルトヘボウだ!と言わんばかりの熱演。(音楽の後半、指揮者のカマーバンドが外れ、式台に落ちた。こんな光景初めてだ)それでいて、これみよがしに最強音で度肝を抜かせるようなこともなく、美しくまとめていた。音の洪水に身を浸したいと思っていた者にとっては、やや期待ハズレだったかもしれないが、私は好感が持てた。

団員がさりげなくスコアをめくる姿が目にとまり、アンコールあるよと友人に囁く。アンコール曲はブラームス「ハンガリー舞曲第1番」とグリーグ、ペール・ギュントより「山の魔王の宮殿にて」。アッチェレランドを効かせた爽快な演奏に、会場も盛り上がった。

ブラームスは注目したが、「展覧会の絵」は個人的に曲そのものにそれほど魅力を感じないので(10年に1回聴くか聴かないか)、もっと違う曲でコンセルトヘボウの音を聴きたかったが、ただで聞けたのだからそれは贅沢というもの。罰があたる(笑)。

伝統を感じさせさる個性的なオケの音色、アンサンブルの秀逸さは十分堪能できた。

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ブログ始めました!

まさか自分がブログを始めるなど夢にも思っていなかった!10月、不忍ブックストリート「秋も一箱古本市」に素人参加で出店した折、体験記を公開したことがきっかけになりました。本について、あるいは人との交流について書くのは意外と楽しい。そこで、35年にわたる読書、30年に及ぶ古本屋通いの経験で蓄えたものを少しずつ外に出し、形にしてみたくなったのです。同じ書くなら、好きなクラシック音楽のこと、日々の雑感なども織り交ぜていこう。

時間さえ許せば本屋に足を運ばずにはいられない性分なので、水先案内とはやや誇大表現。実際はあっちでふらふら、こっちをうろうろといった徘徊記になりそうです。まさに自分の人生そのまま。でも、その方が肩に力が入らず、のんびり、長く続けていけそうな気もして。好みが偏り、周囲からは変人扱いされることも多いので、このブログにお付き合いしていただける方は、ちょっと変な方でしょう。ご自身にその自覚がなくとも(笑)。

本日はご挨拶だけのつもりでしたが、11月30日(日)、雑司が谷で催される「鬼子母神通り みちくさ市」に参加することになりましたので、ご案内させていただきます。

独特の雰囲気を醸し出している「鬼子母神」のお膝元の商店街が一日だけ古本街に変身するイベントです。「鬼子母神通り商店睦会」と「わめぞ」が組んで、一般参加型の古本をメインとしたフリーマーケット。「わめぞ」とは早稲田、目白、雑司が谷地区の「本」に関係する仕事をしている方々の集まり。今回は、素人だけでなくまさにプロの方も商店街内でミニ古本市を開催するため、緊張します。お客様は、まちがいなく「わめぞ」のお店に殺到するはずですから。しかし、そんな中でどれだけ成果を上げられるか、挑戦しがいがあるというもの。ダメもとで頑張ろう。興味を持たれ、お時間の許す方は是非お越しください。「とみきち屋」という店名で妻と出店します。

妻はブログ歴5年半で「とみきち読書日記」を書いています。よろしかったら読んでみてください。10月に参加した「秋も一箱古本市」についても触れていますし、体験記(1)~(3)として、私、風太郎の文章もとみきち屋番頭の名で掲載しております。

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